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大清西部劇 第八話 ロシア領

●8.ロシア領
 石たちは、イスマイ家の地下牢に入れられていた。林は一人、イスマイ家の別宅の豪勢な応接間に通されていた。
「しかし、ここは豪勢だな。本庄が好き勝手に使って良いのか」
林は、応接間にある調度品を一通り見回していた。
「飲むか」
本庄はワイングラスにワインを注いでいた。
「まるで、お前の邸宅みたいだが、イスマイ家の当主はどうしている」
林はワンいグラスを手にして、香りを嗅いでいた。
「上の階のもっと豪勢な部屋に何も知らずに暮らしているよ」
「それじゃ、アフメットに身代金を要求したことなどは知らないのか」
「あぁ、あれはニヤゾフと示し合わせて俺が画策したことだ」
「なんでまた、そんなことを」
「来るべきロシアとの戦争には、コサック騎兵が投入されるだろう。日本にはそのような騎兵はいない。だから対抗できる騎兵をニヤゾフのような軍閥を利用して育成しようと思ってな」
「でも身代金とは、穏やかではないし、横取りも良くないぞ」
林はワインを飲み干していた。
「当主は知らないのだから、横取りするしかないだろう。それにここは混とんとしている世界だ」
「無法地帯とも言えるな」
「とにかく育成にはカネがいる。資金集めなどを考えての策だったのだが、お前らの活躍で大幅に狂ってしまったよ」
本庄は苦笑いしていた。
「そこでだ。新たに資金集めをしたい。林たちも協力してくれるか」
「どうするんだ」
「まもなくイルクーツクまで開通するシベリア鉄道だが、あそこを金塊を運ぶ列車が通る」
「まさか、ロシア領に入って列車強盗でもやるつもりか」
「察しが良いな」
「断ったらどうなる」
「もう一度アフメットに身代金を要求するしかないかな。今度は本当に娘を人質にしてな」
「それは、気が進まんな」
「林、あのウィグル人や漢人は現地人だぞ。肩入れし過ぎていないか」
「一緒に居ると何人であれ、仲間意識が生まれてな」
「お前は、すっかり現地に溶け込んでいるな」
「…やるからには、その前にアフメットに娘を会せてくれるか」
「そんなことか。引きあわせて一緒に暮らさせても良いぞ。但し事が済んでからだ」
「いや、会わせるのが先だ。じゃないとアフメットの協力は得られないし、お前は殺されるぞ」
「そうなのか。わかった。会わせてやる」
本庄はつまらなそうな表情であった。

 林は石たちが待つ、地下牢に入れられた。
「林、お前だけ優遇されているようじゃないか。日本人同士で何か良い話でもしてきたか」
アフメットは皮肉っぽい表情を浮かべていた。
「娘さんたちに会せるように申し出てみた。やはり当主の娘婿も娘さんも、今回の身代金のことは知らされていなかった」
「えぇ、そうだったのか」
アフメットの目が虚ろに動いていた。
「するとニヤゾフと内通していたのは、あの日本人か」
石が口を挟んできた。
「あぁ、本庄の画策なんだが」
林は近々起こりそうな日露戦争のことなどを話し始めた。

 「それで、そんな約束をしたのか」
アフメットは乗り気ではなかった。
「仕方ないだろう。娘さんたちに会せることを確約した」
「林、それを信じて大丈夫なのか」
石は疑り深い目をしていた。
「俺には嘘はつかんだろう。しかし列車強盗の件は言うなよ」
林が言うとアフメットはうなずいていた。

 翌日、アフメットは手下と共に娘と娘婿のいる2階に案内された。本庄と共に林も同行していた。
「あら、父さん、どうしたの。なんでここにいるの」
当主の娘婿の傍らに立つアフメットの娘のアイ。
「奥様、お父上は、オアシス荒らしの一団を追って、ここまで来たついでに立ち寄られたのです」
本庄がすぐに説明し始めた。
「あぁ、ちょっと父さんに似ている盗賊のことね」
「奥様、ご冗談を」
「陸、アフメット氏をお連れするとは、お前にはいろいろと世話になるな」
当主は本庄をねぎらっていた。林は、本庄のことを陸と呼んでいたことに肩眉を動かしていた。
「後は、親子で話せ」
「いえ、これからオアシス荒らしの討伐に行きますので、今回はごあいさつ程度になります。募る話は戻りましてからということでお願いします」
本庄は恭しく言っていた。
「そうか。それじゃ、仕方ないな」
「アイ、無事が確認できてよかった」
アフメットは、わずかに目が潤んでいるようにも見えた。
「父さん、無事だなんて大袈裟な。幸せに暮らしているわよ」
アイが言うと、アフメットは何か言いたげな表情になった。
「では、こちらで失礼いたします」
本庄は、一礼して一同を階下に導いていった。

 林たちはイスマイ家の別宅まで運んできた荷車から、ダイナマイト、銃弾をそれぞれ手分けして、自分の馬の鞍に括り付けていた。本庄とイスマイ家の手下3人を含めて総勢10人は、アルタイ地区とロシア領を隔てる山地を乗り越えていた。
「このあたりは、夏でも結構寒いな」
林は珍しくぼやいていた。道筋の脇にはちらほら雪が残っていた。
「ここを過ぎれば、後は下りだ。それに風がなくなるから多少は暖かくなるぞ。いや昼は暑く夜は寒いというのが適切だな」」
本庄は林と同じようにウィグル語で言っていた。
「ロシア領では目立たないように、この先の裾野の集落で2台のトロイカに乗り換える」
本庄は、馬を停めて、全員に声を掛けていた。
「トロイカって、ロシアの三頭立ての馬車か」
石が少し馬を本庄の横に近づけて言っていた。
「駅逓馬車に見せかけてあるから、急いでいても目立たない」
本庄はすかさず応えていた。
 「本庄、その集落には仲間でもいるのか」
林は鼻息を荒くして首を振っている馬をなだめながら言っていた。
「俺の情報網の拠点あるんだ」
「ロシアにも築いたのか。さすがだな」
林の言葉に本庄は少し得意気であった。

 集落でトロイカ2台に分乗した林たち。先頭を行くトロイカに林、本庄、イスマイ家の手下3人と御者。その後ろを行くトロイカには石、アフメット、アフメットの手下3人と御者であった。ロシア領に入ってから1日目
は快調に走り、草原地帯から森林地帯へと周りの景色が変わっていった。
 2日目は、針葉樹と広葉樹が混じる地帯に伸びる道を進んで行った。
「新疆省とかなり違う所だな」
林は駆け抜けていく三頭立て馬車から周りを見ていた。
「シベリアだからな」
隣に座っている本庄はトロイカ専属の御者の鮮やかな手綱さばきを見ていた。
 「本庄、騎兵の育成にカネがいるということは、ニヤゾフ一味の生き残りを再編成するつもりか」
「そのつもりだが」
「これからは騎兵よりも機関銃の方が威力はあると思うが」
「騎兵、シベリア鉄道と脅威はいろいろある。いずれにしてもカネはいる。金塊をいただく必要があるんだ」
「そうだな。それじゃシベリア鉄道を爆破して金塊をいただけば、一石二鳥になるか」
林は久しぶりに日本の立場に立っていた。林が言った直後、林の視線はぐるりと回って空が見えた。何か巨大なものが森から飛び出し、トロイカに激突したようだった。トロイカは飛び上がるように横倒しになり、林はその拍子に高々と宙に舞い、道の反対側の草地に叩きつけられた。
 次に林が気が付いた時には、大破したトロイカと車輪の一つが数十メートル離れた所にあった。体高2メートルはありそうなヘラジカの肉片が飛び散り、イスマイ家の手下二人と御者がトロイカの残骸に押しつぶされて死んでいた。本庄は腕を骨折し、もう一人手下は足を引きずっていた。
 後ろを走っていたトロイカから飛び降りた石とアフメットが駆け寄ってきた。
「林、あんたは運が強いな。周りを見てみろ」
石は、擦り傷と打ち身だけで済んでいる林の体を見回していた。アフメットはイスマイ家の手下たちの死体を覗き込んでいた。
「こりゃ、酷いな」
息が荒い林は、拳銃が壊れてないか確認していた。

 林は右腕を抱えている本庄の所に来る。
「本庄どうする。列車強盗は諦めるか」
林の言葉に黙ったままの本庄。
「林、日本の軍資金は俺らにゃ関わりないが、金塊は手にしたいものだな」
アフメットは、行きたそうにしていた。
「そういえば、分け前をどうするかまだ決めてなかったな」
石は、本庄に詰め寄っていた。本庄は助けを求めるような顔をして林を見ていた。
「石の言うことにも一理はあるな」
「林、お前、日本のことよりも漢人たちの肩を持つのか」
「一理あると言っただけだが、当初の予定とだいぶ狂った気がする」
「この状況からして、列車を襲うのは、俺らだ」
石は地べた座っている本庄を見下ろしていた。
「…わかった。折半と行こう。金塊は20キロ(現在の価値1億4500万円程度)だから10キロずつだ」
本庄が渋々言ったのだが、石たちは納得していない顔をしていた。
「その10キロのうち俺の分け前を石とアフメットに加えてやってくれ」
林は平然としていた。石とアフメットは顔を見合わせていた。
「お前、良いのか」
石は申し訳なさそうにしていた。
「俺の分は日本の軍資金に回したと思うよ」
「お前ってやつは、お人よしだな。まぁいいだろう。これでどうだ本庄さんよ」
アフメットは、林の顔を見てから本庄の方に向き直った。本庄はうなずいていた。
 「それじゃ、俺らはこの地図にあるマリインスクに行くが、帰りに立ち寄るまで、ここで身を潜めて待っていてくれ」
林は、本庄から渡された列車の通過時刻や地図をなどの書類を手にしていた。
「くれぐれも熊とかヘラジカに襲われないようにな」
アフメットはニヤニヤしていた。石は本庄とイスマイ家の手下のことなど、あまり気にしていない様子だった。

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