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観相師・景春 第二話

●2.長野原城
 長野原城は、草木が覆い茂る小高い山の上にあった。
「役立つ家臣を顔で選べると書状に書いてあったが、そこまで観相学に長けているのか」
湯本善光は、鼻が上向きの男だった。
「もちろんです。それに湯本殿と、観相談義がしたいこともあります」
「なるほど、それでは、わしのことをどう見る」
「気前が良く、家臣の面倒見が良いのではないでしょうか。それに慣習にとらわれず、自分が良いと思ったら、実行するお人ではないですか」
「うむ。あっぱれだ」
「言い当てておりましたか」
「して、その方はだな、鼻の肉が薄いようだから、気さくで、物事は楽観的に考えるであろう。しかし、繊細な面も持っている。どうだ」
「湯本殿も、素晴らしい観相眼をお持ちと拝察いたします」
「そうか、そうか。それでは、書状にあった家臣取り立ての、見極め人として、そなたを召し抱えよう。とはいうものの、小領主のわしだから、禄は期待せんでくれ」
「一家が暮らせれば、それ以上は望みません」
「しかし、板倉殿は、嫡男は残念のことになったな。御家存続のため、城を出たことは、さぞかし無念のであったろうに」
「御家存続というわけではなかった言えますが、とにかく、今は妻、息子、庭師、侍女だけです」
「まぁ、しばらくは、ここにいてくれ」

 景春たちは、長野原城の御文庫の隣の座敷蔵に住まうことになった。
「殿、ここなら、川越のお堂とは、大違いです」
「源兵衛の庭師や大工の腕は発揮できないがな」
「そのうち、御屋敷の方に移れるのではないでしょうか」
「どうだろう。家臣取り立ての見極め人の働きぶり次第であろう」
「景春殿、ここは冬になるとかなり寒くなるのではないですか」
「久代、心配は入らぬ、この蔵なら、しかと寒さはしのげるはずだ」
「ならよいのですが」
久代は、景親が駆け寄ってきたので、抱き上げていた。

 翌日から、景春は、側用人の早瀬と領内を歩き、家臣として役立ちそうな領民を探す役目を任された。
「板倉殿、あの農家には、力自慢の男がおりまして、まずはあそこから」
早瀬は、前に立つて歩き出した。
「早瀬様、あそこで縄を編んでいる男ですか」
「その通りだ」
「あの男は、耳が三角ですし、耳の位置が低過ぎます。頑固で運がない相です。やめておきましょう」
「そっ、そうなのか。力持ちだがな」
早瀬は、非常に残念そうにしていた。その後、二人は、領内を歩き、目ぼしをつけていた農家などを訪ねたが、吉相の者には出会わなかった。

 5日後、景春たちは、大殿の許しを得て、小諸付近にまで足を伸ばした。小諸の農家では、外見的には、力持ちではない男と遭遇した。しかし、景春は二度見する何かを感じたようだった。
「おぬし、その大きい目の牛眼と申して善良で福寿の相だし、上下ともに厚い唇ので、忠実で信用がおけるな」
急に景春が言い出したので、男はたじろいでいた。
「この方は、観相師なのだ」
早瀬が言うと、男は土下座をしようとした。
「いやー、土下座するほどの者ではない。それにしてもおぬしは、眉が長いので、聡明で俊才であろう」
「なんだか知らねぇーっすが、恐れおおいことです」
「早瀬様、この男を召し抱えてはどうですか」
「板倉殿、この男ですか。私には、目が大きいだけにしか見えないですが」
早瀬は、その男をしげしげと見ていた。
「おぬし、名はなんという。熊蔵です」
景春は、にやりとした。
「牛眼なのに熊蔵とはな」
景春は一人で笑っていたが、周囲の誰も理解していないようだった。
 熊蔵は、長野原城の下働きとして、取り立てられた。今のところは、知識も技能も何もないのだが、物覚えが良いのは確かであった。

 「板倉殿は、長野原に来てどのくらいになる。もうかれこれ、半年以上になりますか」
湯本は、人相書きを見ていた。
「湯本殿、そちらには、目新しいものはございますか」
「特にない。しかしな、今年は日照り続きだ。年貢はいつも通りにはならない。どうにか良い手はないものかな」
「私は観相師ですから、そのような知恵は思い浮かびませぬが、蕎麦でも植えたらどうでしょう」
「そうか。あれは荒地でも育つな」
湯本と景春は、何気なく窓から外を眺めると、黒い煙に包まれた火の玉にようなものを目にした。
「あっ、あれはなんだ」
「かなり大きな火の玉でございます」
景春が言った直後、地響きがして城が揺れた。
「あれは、上部山の方だな」
「手が空いている者は、私ぐらいなので、明日にでも見て参りましょう」
「確かに、橋作りに、家臣たちも駆り出されているからな。よろしく頼む」

 景春と源兵衛は、上部山中に分け入った。獣道をたどること、一時半程(3時間)。山の斜面に木々が激しくなぎ倒されている場所に出た。
「殿、凄まじい限りです」
「こんな大きな穴が開くとは、驚きだ。金物の破片もある」
「こんな金物みたことありませんよ」
「源兵衛、穴の中心で何か動いているように見えるが」
景春は歩き出す。
「殿、なんか危ない気がします。行かない方が」
仕方なく、源兵衛も後に続いた。

景春は、穴の縁を滑り降りて、何か虫のようなものが動いている所を覗き込んだ。
「源兵衛、見たことがない虫が、うようよいるぞ」
「殿、お気をつけて」
「あっ、おぉ」
景春は、足元が這い上がって来る虫の群れを払い落そうとするが、数が多く、落としてもすぐに黒だかりとなった。景春は声を上げる間もなく、倒れて全身が虫の群れに覆われてしまった。一部鼻の穴が体内にも侵入しているようだった。駆け寄る源兵衛は、景春を覆う黒だかりの虫を取ろうとするが、どうすることもできなかった。
「殿、大丈夫でございますか」
源兵衛はどうして良いかおろおろしていた。源兵衛は、木の枝を手にして、虫を必死に払おうとする。全く歯が立たない。腰の巾着から、火打石を取り出し、近くの枯れ葉に火を起こす。その間に虫たちは、景春の口から体内に入っていく。源兵衛が松明のようなものを手にして、景春を見ると、虫の最後の一匹が口の中に入った所だった。
「殿、せっかく、火をつけたのに」
源兵衛は、地面を叩いていた。しばらくそのままになり、静まり返った。源兵衛があ然としたまま立ち上がると次の瞬間、景春の口から大量の虫たちが、這い出てきた。黒い帯のように列をなしていた。源兵衛は、その虫たちに松明を押し付けるが、焦げ目一つ残さず、平然と動いていた。やがて、虫の群れは、景春の体の周りに一匹もいなくなった。
「殿、私としたことが、奥方になんと申し開きをすれば」
源兵衛は、うっすらの涙を浮かべていた。
「ん、どうした源兵衛」
景原は、せき込んでから、平然と起き上がった。
「殿、ご無事だったのですか。あの変な虫が体内に入ったのですぞ」
「虫にたかられたのは覚えているが、そのあとはよくわからん」
「殿、歩けますか」
「あぁ、大丈夫だ。少し喉が渇いたがな」
源兵衛はすかさず、竹筒の水を景春に飲ませる。
「一時はどうなることかと案じておりました」
「むやみに変なものには、近づかんことだな」
「へい。さっ殿、帰りましょう。またあの虫が出てくるかもしれません」
「あれは、なんだったんだろう」
景春は、火の玉が作った穴の方を見ていた。

景春は、長野原城に戻り、湯本にいきさつを報告していた。
「板倉殿、して大丈夫なのか」
「今の所、虫による影響は何もないようです」
「それで、あの火の玉は、何だと思う」
「わかりませぬが、この世のものとは思えません」
「すると、あの世とか妖怪の類なのか」
「化け物というか、神の御業としか言いようがないようです」
「まぁ、とにかくご苦労であった。今日の所は、ゆっくりと休んでくれ」
湯本は、領民に被害がなかったことに安心していた。

 座敷蔵に戻った直後、景春は、ふらついて倒れた。すぐに、布団が敷かれも、景春は横になった。
「景春殿、凄い熱です。今冷やしますから」
久代は、水に浸した手拭を景春の額にのせた。意識がもうろうとしている景春。
「源兵衛、何があったのです」
久代は問い詰めるような言い方だった。
「それが、虫が殿の体の中に入ってしまって」
「源兵衛は、それを黙ってみていたのですか」
「いいえ、払い落したりしたのですが、あまりに大量だったので」
「その虫と熱は関係しているようですね」
「はい。とにかく得体の知れないものでして」
 久代は心配そうに景春を見ている。
「湯本様にお願いして、お医者様を呼ぶしかありません」
「わかりました。さっそく呼んでまいります」
 源兵衛は、すぐに本丸に走った。久代は、それを見届けると、景春の手をさすっていた。
「景春殿、私がわかりますか」
「ぁ、久代か。頭がくらくらする」
「今、お医者様が来ますから、しばらくの辛抱です」

 しばらくすると、医者が来たが、症状の意味が全くわかっていないようだった。しかし、解熱剤だけは、調合して帰った。景春は、久代に抱き起されて、それを飲もうとすると、口から、虫が一匹飛び出してきた。久代は、
びっくりして、尻餅をついてしまった。
「源兵衛、あの、金物の虫ですか」
「はい。あれです。とっ捕まえました」
しかし、源兵衛は拳骨で叩き潰してようだったが、ほとんど変形していなかった。しかし、動きは停止していた。
「こんな小さいものは、金細工師でも作れるかしら」
久代は、源兵衛が渡された虫を見ている。
「生き物ですよ。これは」
源兵衛は、その虫を巾着袋に突っ込んだ。
「殿が、元気になったら見せて差し上げましょう」
源兵衛は、大事そうにそれを棚にしまった。久代は、あらためて、景春に解熱剤を飲ませていた。

 翌朝になると、景春は熱は少し下がり回復に向かっていた。景春は、まだ頭がふらついているが、自分で立ち上がり、朝食を作っている久代のところに行く。
「景春殿、今日の調子は良さそうですね」
「あぁ、しかし昨晩は寝ずに看病してくれたようだが、ありがとう」
「何をおっしゃいます。夫婦ではないですか。しかし、まだ無理はなさらずに」
「わかった」
景春は伸びをする。袖がずり落ちて二の腕が見える。景春は、子供の頃の傷痕を探すが、どこにもなく、きれいになっていた。
「久代、子供の時の傷がないぞ」
「景春殿、最近、その傷を見てますか」
「気にしたことなかったから、わからんが。最近まであった気がする」
「子供の頃の傷ですよね。少しずつ薄れて行ったのですよ」
「そうかな」
景春は、腕を下ろし袖を戻していた。

 一か月後、景春は、今まで以上に元気になっていた。この日は湯本に呼ばれて、長野原城の本丸にいた。
「堺や平戸にいる、南蛮人や紅毛人は、鼻が本当にこんなに高いのだろうか」
「湯本殿、多少大袈裟に描ているとは思いますが」
景春と湯本は、堺の商人が置いて行った風説帳を眺めていた。
「この顔からすると、紅毛人は皆、自我が強いことになる」
「あちらの国にも観相術があるのでしょうか」
「一度、堺に行ってみたいものだな」
「確か、信繁様が、大坂に呼ばれているのではないですか」
「わしも御供すれば、良かったかのぅ」
「何かしら、用を作って、行ってみるのは、どうでしょうか」
「板倉殿、手立てを考えてくれるか」
「承知いたしました」
景春は、一礼をしてその場を立ち去ろうとした。すると廊下の所で、
湯本の家臣とすれ違う。景春は、その家臣の顔を見て、ハッとなった。
その家臣は、湯本のいる部屋に入っていき、ほんのわずか話すとすぐに部屋から立ち去った。景春は、厠で様子を見てから、湯本の部屋に戻った。
 「湯本殿、あの者は、」
「板倉殿、いかがいたした。あの者は、我が城の勘定方の林部だが」
「あの勘定方の顔には、銭を使い込む相が出ておりました」
「そっ、そうだったか、頭を垂れていたので、気がつかなかったが」
「鼻の穴から赤い筋が何本も出ていました」
「それは、金運の凶相ではないか。勘定方は任せられんな」
湯本は手を叩いて、側用人を呼ぶ。
 「殿、お呼びでございますか」
早瀬は、小走りにやってくる。
「早瀬、林部の身辺を改めてくれ」
「殿、先ほどの勘定書きに不手際でもございましたか」
「銭を着服したりするかもしれないからな」
「なっなんと。わかりました」

 景春は、座敷蔵に戻った。
「堺に行きたいのだが、何か良い方法はないものかな」
景春は、景親の服に継ぎを当てていてた。
「堺で、ございますか。何をしに行くのですか」
「湯本殿と南蛮人の顔を見たくてな」
「また観相術の話ですか」
「観相術のおかけで、ここにいられるのだから、良いではないか」
「そうですね、路銀もかかることですし、南蛮人の顔が見たいだけでは、真田の大殿もお許しなさらないでしょう。あら、そういえば、大殿の次男信繁様が大坂城に出仕していませんか」
「そうだがな」
「それでしたら、大殿や湯本殿の近況報告と言うのはいかがでしょうか」
「近況報告だけではな、物足りない弱いぞ」
「堺は、商人が多いようですけど、商いに出も行きますか」
「そうだ、鉄砲の買い付けはどうだろう」
「景春殿、それは良いかもしれません。秀吉様が天下統一なされて、今なら値が下がっているのでは」
「買い時かもな。わかった。久代に話して良かった」
景春は、久代を抱き寄せて喜んでいた。

 翌日、景春は、本丸に湯本を訪ねた。
「湯本殿、堺には、鉄砲の買い付けに参ることにしてみては、いかがでしょうか」
「鉄砲か、それは良い」
「それで、大坂にも立ち寄り、信繁様に近況報告と言うことにしては」
「うん。それなら、大殿も納得してくれるかもしれん」
「湯本殿、南蛮人の顔が間近に見られるますぞ」
「板倉殿、楽しみだな。あぁ、それと、昨日の林部の件だが、早瀬の調べによると、金20両を着服していた」
「やはり、そうでしたか。あそこまで顕著に凶相が表れていましたから」
「板倉殿のおかげだ。これも大殿に話せば、堺行きは、ほぼ確定だぞ」
湯本と景春は、十年来の友のように喜び合っていた。
 湯本の願いは、すぐに真田の大殿が受け入れて、路銀も渡された。しかし、湯本たちの本当の狙いも、大殿には、見透かされていたようだった。その上で、近況報告を頼むと念を押されていた。

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