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大学軟式野球出身のプロ野球選手   ~相原雅也さん~≪後編≫

 前編では相原さんの球歴を簡単にご紹介させていただきました。後編では日本代表でのご経験を存分に語っていただきました。

 大学軟式野球には、さらなる高いレベルの大会があります。「大学軟式野球国際親善大会」いわゆる大学軟式野球日本代表チームです。大学軟式野球日本代表チームは、1995年に東日本・西日本でそれぞれ代表チームを結成し、台湾遠征したのが始まりです。軟式野球を世界へ広げることを目的に活動し、2000年には念願のベースボールの聖地アメリカ遠征が実現しました。記念すべき第1回アメリカ遠征メンバーとして相原さんは日本代表入りを果たします。

 当時50イニング無失点、ストレートの球速は130キロ台後半にまで伸びていた相原さん、自身を持ってアメリカ遠征に臨みました。

しかし、そこに待ち受けていたのは本場アメリカの驚異的なパワーでした。

「自信をもって投げ込んだストレートを左中間フェンス直撃の打球を打たれた、あのワールドボールで...硬式球ならまだしも、軟式球であんな鋭い打球を打たれたのは初めての経験でした...」

相原さん_日本代表時代①

 テキサスに乗り込み、相原さんは4試合すべてにリリーフ登板、この4試合で感じたことは相手打者のスイングの鋭さと、選球眼の良さでした。日本では経験できないパワーを目の当たりにし、レベルの高さを痛感した有意義なアメリカ遠征だったとのことです。

「対戦相手だけではなく、試合会場のスタジアムの天然芝の匂い、なだらかな傾斜に設計されたスタンド。見るものすべてが新鮮で、あれから21年が経つ今でも、その情景を鮮明に覚えています。
それだけ、私にとって印象に残る経験をさせていただいた日本代表チームであり、私自身の力不足を痛感し、さらにレベルの高い世界へチャレンジしたいという決意を持つきっかけをくれたのが日本代表としてのアメリカ遠征でした。」

それから15年の月日が経ち、相原さんに日本代表の投手コーチ就任の話しが浮上する。選手、指導者としても日の丸のユニフォームを着るという大役に就くこととなりました。

相原さん_日本代表コーチ時代

「私に課せられた投手コーチとしての責務は、日本代表に選ばれた選手たちにも今までに味わったことのない感動を、軟式野球を通じて味わってもらうことと自分に課して、2015年から4年間投手コーチに就かせていただきました。1週間という短い期間で、日本代表の選手たちに何ができるかは未知でしたが、今までに味わったことのない感動を味わってもらうためにも、日の丸をつけ自信と誇りを持ってプレーしてもらえるように選手一人ひとりが持つ能力を最大限発揮できるよう努めました。」

 二度と同じメンバーで結成されることのない、一度きりの日本代表チーム。たとえ1週間という短い期間であったとしても、かけがえのない仲間たちとひた向きに白球を追いかけ過ごした時間が学生たちを大きく成長させます。

 メンバー入りをした学生たちを見ていつも感じていたことは、日本を出発するときとは別人のように目の色が変わっていたということ。日本代表コーチという大役をいただきながら、学生たちの心身共にすさまじい成長ぶりを間近で見させてもらい、学生たちよりも多くの刺激をもらっていたのは、紛れもなく私自身だったのかも知れませんね。


 最後になりますが選手、コーチとして日本代表に選出してくだった大学軟式野球関係者の皆様方にこの場をお借りして心より感謝をお伝えしたいと思います。

 筆者が相原さんとお会いしたのは、ホグレルの野球ワークショップを受講した際のことだ。これだけの野球キャリアを持った方にもかかわらず非常に物腰がやわらかく、律義で丁寧な方だなという印象でした。

 現在は、ホグレル硬式野球部の監督として都市対抗野球出場を目指しています。将来は、相原さんの教え子たちの中から、自身の果たせなかったNPBへドラフト指名される選手が生まれることを期待し、応援していきたいと思います。

ぜひ皆さんもホグレル硬式野球部に注目してください!!

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。次回の記事にも期待してください。引き続き、よろしくお願い致します。

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