【コロナ禍】留学決定までの道のり
⚠️注意書き⚠️
この記事めっちゃ偉そう!そして少し話が重い!!笑
それでもよろしければお読みくださいませ!
(わたし後日談)
つい先日、アメリカへの交換留学が決まり、本日手続きもろもろが完了しました。
今大学2年生です。大学入学時に、大学の制度を利用した留学を目指し始めてから、約2年かかりました。
この間、1度はイギリスへの語学留学が決まり、COVID19の影響で中止となります。そこからもう1度留学を目指して、今回は交換留学生として採用してもらえました。
その道のりを書いていきまーす🙋♀️🙋♀️
大学1年生①
世界を見たかった。
英語が上手くなりたかった。
なにか大学生活において全力で頑張りたかった。
色々と理由はあったけど、大学のシステムを利用して留学すれば安く&長く海外に滞在できる。
ということで留学を目指しました。
最初に手をつけたのはTOEIC。
TOEIC550点以上とそれなりのGPA(大学の成績)があれば語学留学ができる。
私は、センター試験の英語120点の実力だった。決して高くはない。
4月頃、最初にTOEICを解いてみたら、400点くらいだった。
単語帳として金のフレーズと、公式問題集6を購入して、ひたすら繰り返し勉強。
ちょうどその頃、大学はコロナ禍の混乱で4月〜5月まで授業がなかった。
そんなわけで、1日6時間〜8時間TOEICの勉強をする。当初は420点だったのが、6月には560点にまで点数が伸びていた。
少し戻って5月、大学の授業が始まっていた。
高いGPAを取らなくてもTOEICスコアがあれば留学できる。
でも、留学生選抜は学内選考なので、GPAが高いほど、希望とする海外の大学に行ける可能性が高くなる。
私は、なんとしてでも好きな国に留学したかったので、首席をめざしました。
この頃は、どこの国に行きたいかなんて決まっていなかったけれど、将来の選択肢を増やすために勉強を頑張った。
大学の授業が始まってからは、TOEICを1日2~3時間勉強した。
6月頃から、人生初めてのバイトを始めた。
世の中はコロナ1年目の時期で、警戒心が非常に強かったため、家族からは私がバイトをすることに対し嫌な顔をされた。
私はマスクを二重につけ、外では水分補給以外マスクを外さずにバイトをした。まぁこの頃は当たり前の対応だった。
大学の授業に加えて膨大な課題、TOEIC、バイト。タスクは多かったが、こなせなくはなかった。
今思うと、この頃はかなり病んでいた。
顔が暗くて、口数が少ない。でも、愚痴はこぼさない。目標達成までこぼしてはいけないと思っていた。
愚痴った瞬間、自分が弱くなるのではないか。
家族にも言えなかった。
大学の課題は多いですよ。
みんなコロナ禍にもオンライン授業にも慣れていない時期。先生ももちろんそう。
大学からの指示も、先生同士の情報交換も行き届いていない。だから、どの先生もみんな思い思いの量の課題を学生に課す。
予習課題、授業課題に、復習課題。これを12コマほどの全授業が毎週出してくる。
それが3ヶ月間、休みなく祝日もなく続く。
大学生なりたての私には、非常にキツかった。
でも、周りの人がどうしてるのか分からなかったから、自分が辛い状況にあることを客観視できなかったし、友達と愚痴をこぼすこともできなかった。
その選択肢がなかった。
オンライン授業に慣れてきて、友達ができ始めた頃、やっと
「課題多くね?」
という話題になり、
「やっぱそうだよね!!」
と共感しあえてほっとした。
そして、私は前期の成績において、無事首席を収めた。TOEICも600点台にのった。
大学1年生②
わたしは、TOEICの勉強、大学の授業・課題に加えて、就職活動をスタートさせていた。
1年前期から1day仕事体験には参加していたが、1年後期は、キャリアを考える授業やセミナーに参加したり、自己PRを考えたりと我ながら活動的だった。
大学2年生9月〜留学する予定だから、早めに就活を始めておこうと考えたのだ。
でも、就活やりすぎて、社会から求められる人物像にはめ込まれる感じがして、嫌になった。
3ヶ月くらい「就活」というワードから離れていた時期もあった。
ところでこの頃は毎日フルコースでオンライン授業だった。
外に出ず愚痴も言えず、精神的に「おかしい」と胸を張って言える状態になった。
コロナもそれに対する世間の反応も「おかしい」。だからこそ、その流れに適応し自分も「おかしくなれた」ことに少し安堵した。
精神状態に反してTOEICは700点台にのり、オンライン英会話レッスンを始めた。
すごく暗い人間だったけど、将来の留学が常に希望の光で、心が折れることは無かった。
後期も無事首席を収め、5年パスポートを発行し、語学留学に申し込んだ。
成績がよかったのと、TOEIC700点を取れていたので、学内選抜を通過してイギリス留学生に選ばれた。
落ち込むことはあったけど、なんとか留学に向けて思い通りの道を歩んでいた。
春休みは、早期就活としてインターンやSPI対策をしていた。
この頃には精神状態も回復し、2年生としての生活に期待をふくらませていた。
大学2年生①
初の対面授業が始まる。
対面での生きた学びは吸収できる内容が多く、毎日興奮していた。
学校の授業を受けることにこんなにもワクワクしたのは初めてだ。
去年、首席をとったことで、大学から給付型奨学金として、1年間の授業料分のマネーが投じられた。
留学は準備段階から最中までとにかくお金がかかるので、かなりありがたい臨時収入だった。
ちなみに私は3個上の男性と交際を始め、2ヶ月後スピード破局した。
2021年6月頃、新型コロナウィルスは猛威を奮っていた。この時期から、緊急事態宣言と蔓延防止措置のエンドレスリピートが止まらなくなる。
もう誰もが察していると思うが、留学は完全中止となった。
病んだ、病んだ、病んだ。
泣いても泣いても悔しくて、その悔しさが1ヶ月経っても3ヶ月経っても心のなかに居続けた。
そして、私はすでに完全燃焼をしていた。
去年1年生のときに受験生並みの時間を勉強に費やし、2年生前期に始まった対面授業にガチ勢で臨んだから。
心はとっくにヨレヨレだったが、体は、また来年の留学を目ざしていた。
今年は語学留学の予定だった。そこで来年は、レベルを上げて交換留学を目指すことにした。
語学留学は現地の語学学校で、非ネイティブの人たちといっしょに英語を勉強する。
アジア人の学生と友達になることが多い。
↑↓
対して、交換留学は現地の大学にはいり、ネイティブの学生たちと同じように授業を受けるのだ。
語学留学と交換留学の1番の違いは
「英語を学ぶ」と「英語で学ぶ」というポイントである。
交換留学に行くには、TOEICではなくTOEFLが必要なので、夏前から勉強を始めていた。
2ヶ月ある夏休み中、1ヶ月はTOEFLにオンライン英会話レッスンと、毎日頑張っていた。
しかし、薄々感じていたが既に精神的闇は深く、残りの1ヶ月はNetflixを見ていた。本気のチートデイが続いた。
せめてもの救いは、週3はバイトをしていたこと。バイト代を使わなかったので、お金はまあまあ貯まった。
大学2年生②
9月20日頃。後期の授業が始まろうとしていた。TOEFL試験まであと2ヶ月。やばい、焦る。
11月のTOEFL ITPまでに留学基準点550を越えないといけない。
スコアは490~560の間を変動し続けていた。
安定して550を越えないといけないからプレッシャーがデカい。
夏休みは休んだはずなのに、授業に力が入らなかった。
私はもともと好奇心が強く、色々なことに興味を持つ。裏を返せば飽きやすい。
だから「大学の勉強がんばる」という目標は、とっくに飽きていた。
パリパリに乾ききった心にもう一度潤いを与えるのは難しい。
毎日死んだ顔で勉強していた。
生きてるのか死んでるのか分からなかった。でも留学には高い成績が必要だから、心を殺してやる(勉強する)しかなかった。
2年生後期は、人生で最も病んでいた。
PMS(月経前症候群)が悪化し、毎週婦人科通い。
大学の相談室にも毎週通い、毒を吐き出していた。
TOEFL対策は1日2時間ほど、バイトはほぼ手につかなくなっていた。
私のバイト先は飲食店で、ピーク時は非常に忙しい。
このままでは精神的にも体力的にも11月のTOEFL試験まで持たないと思ったので、
超絶ラクな塾のスタッフ業務をみつけ、働き始めた。
どのくらいラクかと言うと、6時間ほど椅子に座ったり立ったりしながら、塾講師や生徒さんたちと楽しくおしゃべりしていれば、最低賃金がもらえた。
たまに掃除とかして、働いてる感出す。
塾の生徒たちは可愛かった。各々悩みを抱えていたが、自分も受験を経験していたから彼らの気持ちに共感できるし、ちょっとは力になれるのが嬉しかった。
11月、TOEFL試験。
TOEFLの対策を始めてから6ヶ月目だったが、相変わらずスコアが安定しない。
試験直前になって、基準点550を越えない日が増えてきた。
TOEFL ITPの試験は年に2回。そのうち、来年の留学出願に間に合うのは、11月の1回だけ。
ここで落としたら、来年の交換留学は叶わない。行けたとしても、高額なお金を払い外部機関を通して留学するしかない…
そんなプレッシャーと不安と焦りが重荷になっていたのだろうか。
本番1週間前から10〜20点ずつ、点数が下がり始めた。
TOEIC対策を含め、英語試験の勉強は1年半ずーっとやってきた。ここに来て、スランプ的なものに出くわしたと感じた。
それでも、今は緊張してるだけで、本番は冷静に全力を出しきれば、スコアは伸びるはず。だって、毎日真面目にコツコツと勉強してきたもん。
友達から「真面目だよね〜」と言われるのがなんか嫌だったけど、ここで初めて自分の真面目さが好きになれた。
・
TOEFL試験本番。出来は想像以上の悪さだった。私には、本番に飛び出るミラクルパワーを出せなかった。
絶対に基準点を越えられなかった感覚があり、悲しくて悔しくて外部でTOEFL ITPを受けられないか探した。
すると、1ヶ月後に受験できる会場があるということだ。
すでに力は出し切っていたが、もうひと踏ん張り、と勉強を続けた。
ただ、ガス切れなので、丸々1日勉強できない日もあった。
…11月に受けたTOEFLの結果が返ってきたら553だった。
基準点550を微妙に超えた。
留学出願が叶った。
大学2年生③
TOEFLスコアはあくまで「足切り」なので、留学選考を突破するには、ここから3000字の志望動機レポート&英語面接を乗り越える必要があった。
レポートと面接は、去年の語学留学にはなかったオプションだ。やはり交換留学はレベルが高い。
3週間ほどかけて志望動機書を完成させ、提出した。
『閉鎖的な家庭環境や、軍隊さながらの高校時代の部活、コロナ禍による自宅待機。これらの「押し込められた経験」から、もっと広く世界を見て、色んな人と交流し価値観を広げたい。』
という漠然とした内容を書いた。でもこれが本心だ。「留学する目的は、〇〇の分野に興味がありアメリカで学ぶため」といった立派な動機はない。
嘘を書いても、面接でそこをつかれた時、しどろもどろになるだけだ。
私の大学は具体性だけでなく曖昧さや未来の不透明さを考慮してくれると信じて書いた。
卒業後のキャリアも「決まってない」と書いた。
絶対に突っ込まれると思った。面接官から「まだ仕事は決まってないとしても、方向性くらいは決まってるでしょ?」という眼差しで見られることが予想できた。
しかし、私はあえて決めないのだ!!
決めてしまうと視野の広さが限定されて、自分にとって未知の情報から自然と遠ざかってしまう。「自分の道は決まってるからこっちを知る必要はない」というように。
そんなのもったいない!明確にやりたいことがないなら、これもいいな、あれもいいなと探し続けたい。
就活とか、否が応でも何かしら決めないといけないタイミングまで。
レポートも通過し、面接まで進んだ。
ZOOMを通して行われ、5人の先生に囲まれて英語と日本語で質問された。
めちゃくちゃ緊張したけど、笑顔と真面目さ、あと情熱をアピールした。
「結局、アメリカで何を学びたいんですか?興味が沢山あるのはいいことですが…」と質問された。
「ひとつに絞れ」というオーラが伝わってきてドキッとしたけど、面接官の圧に屈する必要は無い。
面接官が求める答えではなく「私はこう思う。だからこうする」と伝え「でも状況に応じて柔軟に対応する」という臨機応変さを伝えれば彼らは安心してくれる。と感じた。
面接が終わり、交換留学に行くための全ての選考が終わった。
私は叔母と、金沢へ旅行に行った。
ちょうど人気のフルーツ大福のお店に並んでいるとき、
「素晴らしい面接でした。今すぐ〇〇大学(アメリカ)への手続きを始めましょう」
というメッセージが届く。
2度目の留学決定の瞬間でした。
現在🕊
自分の経験を文章にしてみると、なんだか「すごく頑張った人」に見えますが、、、
1日Netflix見ながらお菓子をパリパリと食べ続けた日も何回もあるし、病みすぎて家族と喧嘩になったことも、毎日のようにスタバで勉強して出費がヤバくなったこともあります。
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今は、オンライン英会話や英検の勉強をしつつ、週に3〜4日ほどバイトをしてお金を貯めています。
あと、今年の9月に留学するため、それまでに就活も進めたいと思い、外資系企業へのエントリーを始めました。
「留学」というワードは情熱的で破壊力のある言葉です。
「留学したい」と言うだけで社会から「すごいね」「がんばれ」と言ってもらえる。だからこそのプレッシャーや過度なストレス、留学への執着などを私は経験しました。
まだ留学していませんが、留学決定まで諦めず、心が折れても折れたままでいいのでなんとか行動してよかったと思います。
けどもう少し、自分に優しく、周りの圧に負けることなく淡々とこなせたら、苦しまないで済んだかな。
とりまおつかれさまです。
.
ここまで5400字でした。
こんな長い文章を読んでくださった方、誠にありがとうございます😊
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