短歌で詠むポルノグラフィティ その②

敬愛するバンド・ポルノグラフィティは、活動23年目を迎えて「新始動」を切った。その23年間の長きに渡り、彼らが作り上げてきた歴史は厚い。ミュージシャンがその「歴史」を語るのに、まず挙げられるのが彼らの曲だろう。

ポルノも、本当にたくさんのシングルやアルバムを世に、そしてファンへしたためてきてくれている。今回はそのごく一部、5thアルバム「THUMPχ」から詠んだ三首を、それぞれの曲とともに紹介していきたい。

経緯はコチラ

ポルノ短歌とは

知らない方のために少し補足すると、ざっくり言うと「ポルノグラフィティの曲であなたの好きな曲を短歌に詠んで愛を表現してみよう!」という、ファンによる非公式な活動のひとつである。曲をモチーフにして表現する形は、絵ならファンアートだろうと思いつくが、それ以外短歌にして詠むという表現方法はなかなか思いつかない。私も時々参加してはいるが、これがなかなか難しい。けれど楽しい。ファンの多くは、ポルノのメンバー(主にギタリスト)に影響を受け天才の集まりなので、「#ポルノ短歌」とTwitterで検索しただけでも素晴らしい短歌がゴロゴロあるのでぜひ見てみてほしい。犬は飼い主に似る、ファンはその敬愛先に似る。



短歌に選んだ曲

今回私が詠んだ歌は3首。5thアルバム「THUMPχ」から、「黄昏ロマンス」「Twilight, トワイライト」「シスター」である。このアルバムは、メンバーの一人でありベースのTama(現・白玉雅己)が脱退してからリリースされたオリジナルアルバムであるのだが、岡野昭仁と新藤晴一の二人で再出発を切ったポルノグラフィティの音楽が詰め込まれた、当時のファンの多くにとっては思い入れのある一枚となっている。

たとえば某大手健康飲料メーカーのCMタイアップ曲であった「ROLL」、某大手軽自動車産業のCMタイアップ曲であった「ネオメロドラマティック」など、テレビをつければポルノの曲および岡野昭仁の歌声は日常的に流れていた。もちろんアルバムであるので、これらの曲も収録されている。取り上げやすいのはそういったメジャーな曲たちでありそうだが、私がポルノ短歌を詠むのも今回で4回目くらいであるので、調子に乗って少し今までと趣向を変えて選択してみた。

この3曲、共通して歌詞あるいは曲タイトルに「黄昏」という言葉がある。厳密に言うとそれぞれ「黄昏」「Twilight」「たそがれ」なのだが、これに気付くとトラック順にも意味を感じられるだろう。ROLLを挟んで、この3曲は続いて聴けるようになっている。私はそこから、同じ「黄昏」でも別々の空、色、あるいは愛を感じたのだ。

特に黄昏ロマンスは、アルバムバージョンとしてアウトロからフェードアウトして次のTwilight, トワイライトに入るアレンジがされている。1曲の世界を保ったままもうひとつの曲の中へ自然と繋げられるようになっているが、このグラデーションも考えてみた。

以下、その三首を曲ごとに紹介したい。まずは一首目。


黄昏ロマンス

この先の地平へ眠る愛を見る もたれた頬に触れる肩 熱


詠むにあたり、私が印象に残った歌詞をひとつ取り上げてみたのだが、それが以下の2番AメロとBメロになる。

いつの日か年老いて 終わりを感じながら
公園のベンチで思い返してみる

君にとってのしあわせが 一体どこにあったのか
ひとつくらいは増やせてあげられたかな

「黄昏ロマンス/ポルノグラフィティ」j-lyrics.netより


「こんなふうに年老いていけたら」と恐らく10人中7人は思った事はあるのではないだろうか。

情景としては、「公園のベンチ」で隣り合って座り、夕焼けを眺めながら1日の終わりと、もしかしたら人生の終わりを見つめている二人が浮かぶ。茜色の夕陽に煌々と照らされる彼らの表情は穏やかだ。その手はきっと重ねられていて、妻は夫の肩にもたれているかもしれない。沈んでゆく太陽の熱や半身で感じるあたたかさにまどろんで、ちょっと目を閉じるかもしれない。そんな愛しい相手の体温を感じながら、これまでを想う夫。満たされる想いとは別に、「ひとつくらいは増やせてあげられたかな」と、一抹の不安がよぎったかもしれない。

けれど同時に、確かに胸に灯るものは愛だ。「体温」と「愛」を「熱」という言葉で表してみたが、いかがだろうか。


黄昏ロマンスは当時、タイアップとしてドラマ主題歌となっていたらしい。「らしい」というのは、私がその主題歌だった事を知らなかっただけなのだが、ポルノがドラマ主題歌を担当すると、なぜかその曲の印象や知名度が薄れるという摩訶不思議な現象が起こる。しかし曲自体は、当時から私はしっかり覚えていたぞ。

黄昏時、陽が沈んでいき薄暗くなると、人の姿も顔も見えづらくなる。隣にいる大切な人もわからなくなってしまうのではないか。「あなたは誰ですか?」「僕の大切な人です」そんなロマンチックなやり取りがあるであろうことが感じられる。改めて歌詞を見て曲を聴くと、曲タイトルにぴったりのあたたかさがある。

ポルノに多くあるラブソングの1曲である。ストリングスとギターの響きが優しく、穏やかに相手を想うボーカル・岡野昭仁の歌声が溶け合うファン人気の高い曲だ。あなたもぜひ、聴いてみては。


さて、二首目。

Twilight, トワイライト

同じ顔 同じ音出る僕も皆 別の空へと暮れ落ちいのち

この曲は戦争をテーマに歌っている。曲作りの際に何が元になったのかなどの情報を得られていないため、完全に曲と詞から読み解くしかない。だが、テーマがはっきりとしているぶん、想像力にモノを言わせて詠んでみた。

詠むにあたって引用したのは、以下の1番Bメロである。

みんなを乗せて走るナイトトレイン
「行き先をどなたか告げてくれませんか?」
嗚呼 もう 戻れない

「Twilight, トワイライト/ポルノグラフィティ」J-lyrics/netより



そしてもうひとつ、繰り返される「twilight トワイライト」というフレーズから、戦争がもたらす恐怖と彼らの悲鳴を感じずにはいられない。戦地へ送られる彼らは皆一様に同じ表情でうつむき、同じ言葉を口にしているのだろう。「行き先をどなたか告げてくれませんか?」。

名もなき兵士たちや、まだ若い命達のその叫びを乗せて、夕陽と共に彼らの命は沈んでゆく。未来があるはずだった彼らは一人残らず終わりへと向かわされる。この容赦のなさが「太陽は西へ沈む」ことの自然さと対照的で、戦争への暗い怒りを色濃くさせるようだ。そうしたものを詠んでみた。明記されていないが「僕」という一人称を入れたことで、彼らにとってより現実味を感じさせるものにしてみたつもりだけれど…ちょっと怖くなってしまったな……。

否応なしの残酷さと絶望を昭仁の歌声が確かに歌っているのにも関わらず、悲しみだけを感じるのではなく、かといって怒りが押し出されているわけでもなく、どこか包み込まれるあたたかさがこの曲にはある。「Twilight」は「黄昏」を意味する英単語であるが、その単語のリフレインが夢物語のような、まさに冒頭歌詞にある「亜細亜のスミ」のようなどこかの小国での出来事のようにも感じられる。風呂敷が大きいぶん、解釈がどこかふわふわしてしまう曲でもあるが、「戦争」というものはそれほど「非日常」であり、また誰かにとっては「日常」なのだ。


ちなみにイヤホンで聴くと左耳はカラオケ風の演奏、右耳からはなんと岡野昭仁のアカペラ風という耳が驚く仕様になっている。「風」と言ったが、左耳からは昭仁の声が全く聴こえないようになっている。それがワンフレーズだとか1番Aメロのみとかではなく、なんと1サビまで丸々こうなっているのだから本当に耳が驚く。トラック順は正解で、黄昏ロマンスから繋がる仕様にしたのも頷ける。


続いて最後、三首目。

シスター


誰そ彼?凝らして浮かぶあなたの名 陽が落ち昇ればまた会えるかな

シスターは、メンバーの脱退を経て再出発を切ったポルノが最初にリリースしたシングル曲である。「再出発にしては暗い」という声もあったようだが、確かに暗い。というより、どうにも悲しい気持になるが、同時に彼らの覚悟と決意も感じられる。ポルノを語る際には外せない一曲になっている。

このシングルのジャケットは夜明けの海辺にたたずむ二人が写されているが、夜明けの瞬間(いわゆる「マジックアワー」だろう)を狙って撮られたという。まさに曲の顔となっているジャケットだ。

詠むにあたりヒントをもらったのは、以下のラスサビである。

悲しみが友の様に語りかけてくる
永遠に寄り添って 僕らは生きていく

西の海まで舟は流れて たそがれと一緒に沈めばいい
明日になったら会えるかな

「シスター/ポルノグラフィティ」j-lyrics,netより


シスターの「たそがれ」は、前2曲と違い(厳密にいうと「Twilight, トワイライト」の中にあるそれとは暗さが異なる)、「黄昏」が「誰そ彼」にかけられているように感じた。これは一首目の「黄昏ロマンス」で言えてしまうことだが、そうすると全く「読んで字のごとく」になって面白みに欠けてしまうのではないかと思ったので、シスターで使ってみたのである。

というのも、この曲に出てくる主要人物は「僕」と「あなた」の二人であり、問いかけの対象が登場しているというのがひとつ。先述したジャケットの「マジックアワー」の時間帯でやや浮かび上がる姿があるというのがひとつ。

そして、シスターに感じるいくつかのキーワードのひとつ「時間」にある。「東の海」、「西の海まで」、「夜明け前の海」、「懐かしい日々」、「時間の移り」、そして「たそがれ」。直接にせよ間接にせよ、時間の流れによって何かを葬り、何かを思い出し、何かを呼び戻したいという願いも伝わってくる。

夜から朝へと明けてゆき、繰り返される時間の中で、しかし、この「時間」に囚われることなく、主人公の「僕」はもういない「あなた」の代わりに、忘れられない悲しみを友として、喪失の痛みを抱いてこの先を生きてゆくのだろう。

「たそがれと一緒に沈めばいい」では、「あなた」を失った「僕」が日没と共にその悲しみを沈ませ、やがて夜明けと共に訪れる「明日」を迎えて涙の乾いた目で前を向く。しかし、「明日になったら会えるのかな」で確かに震える声には、夜明けの瞬間のまだ陽の昇り切らないがわずかに明るくなり始める中に目を凝らし、「たそがれ」ではわからない「あなた」を今一度求めてもいいだろうかという望みを感じてもしまう。個人的にだが。

シスターの中で私が一番好きな岡野昭仁の歌い方が、この「明日になったら会えるのかな」にあるため、選んだ理由もそこにある。この歌詞からはこうした響きを私は感じられて、どうにもこうにも好きである。


彼らが明確に否定していても、どうしても当時の二人の心境を思い苦しくなってしまうのはファン心理というものだ。彼らにとっても苦楽を共にしてきたメンバーの脱退は、今後を揺るがす一大事であった。新たな再出発としてこの曲をリリースしたポルノの、「これからも音楽を届ける」という覚悟と決意を感じられる名曲だ。それに恥じないように詠んだつもりではある。



おわりに

曲から、あるいは歌詞から、またはそれを聴いた自分が感じたものや曲が作られた背景から。曲をモチーフに短歌を詠むとなると、いくつかの選択肢から選べるバラエティに富んだものになる楽しみがあるのだが、4回くらい詠んでもまだ難しい。精進あるのみ。


そして、なぜ今回は「THUMPχ」からだったのか。

なぜならば今日、2022年4月20日のこの日が、THUMPχリリース日から17年目となる記念日だからである。平たく言えばお誕生日だ。特に思い入れがあるアルバムというわけではないのだが、しかしアルバムタイトルが表す「ドキドキ」はこの1枚で十分堪能できる。いくつもあるポルノグラフィティの歴史のそのひとつに敬意を払って。リリース17年目、おめでとう!

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