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新型コロナでフェスが消えた2020年初夏、半世紀以上前の文字通り「今日」開催されていた、「今日」のロックフェスの「走り」を、「駆け足」で振り返る 〜 モントレー・ポップ・フェスティバル 1967年6月16日~18日: アニマルズ, サイモンとガーファンクル(歌詞拙訳), オーティス・レディング, ラヴィ・シャンカール, ジャニス・ジョプリン, ジミ・ヘンドリックス ...

前回、前々回の投稿の流れで、ピルグリム・ファーザーズのメイフラワー号と花のメイフラワーに関わる話を投稿しようと思っていたのですが、今はちょうど 53年前のモントレー・ポップの時期、新型コロナウイルス感染症のせいで日本を含む世界各地のフェスが消えた 2020年の初夏、今日のロックフェスの「走り」を駆け足で振り返る試みをすることにしました。

前書き

もちろん出演したミュージシャンは他にも沢山。と、に、か、く、53年前のちょうど今の時期の金土日 3日間、今日のロック・フェス(今年は新型コロナウイルス感染症の世界規模の拡大のせいで日本のフジロックを含む世界の多くのフェスが中止の憂き目に遭っていますが)の先駆けになったイヴェント、通称「モントレー・ポップ」がアメリカ合州国のカリフォルニア州モントレー郡モントレーで開催されていました。

2020年の今現在、再び三度と盛り上がっている、アメリカが何年か毎に繰り返している(というより日常茶飯事だと思いますが)人種差別を核とする大きな事件、とりわけ白人警官によるアフリカ系アメリカ人に対する不当な暴力に抗議することから始まる、これもこれまで繰り返し行なわれてきた Black Lives Matter の運動のことを想起しつつ振り返ると、半世紀以上前のモントレー・ポップにおいて、その時点でも既にアメリカのポピュラー・ミュージックに多大な影響を及ぼしてきていたブラック・ミュージックのミュージシャン(ブルーズ、ソウル、R&B など、またロックンロールの黒人ミュージシャンを含む)が出演者に占める割合が非常に小さいことはある意味「時代」を感じさせますが、しかし、それでも、Booker T. & the M.G.s, Otis Redding, Jimi Hendrix などは出演していて、それぞれ、聴衆を熱狂させています。いや、そもそもその聴衆も白人中心ではありますが、これは今日のロック・フェスでもある程度、その傾向があるかもしれない。まぁこの話題は今日はこの辺りまで。

1967年 6月ということは、1960年 911 生まれの私にとっては、7歳になる年の 6月、季節はもちろん、その年の、ちょうど今現在の季節と同じ初夏ということで、かつ学齢で言えば、小学校に入学してまだ 3ヶ月目。

私が初めて洋楽なるものを意識して好んで聴いたのはそれから 3年後の 1970年、アメリカのカントリー歌手 ジェリー・ウォレス Jerry Wallace が歌った化粧品マンダムのCMソング「男の世界」や(原題は当時は全く意識していなかったけれど ”Lovers of the World", 日本独自シングル発売だったようですが、なけなしの小遣いだったか貯金だったか、兎に角はたいて買いました)、オランダのロックバンド、ショッキング・ブルー Shocking Blue の「悲しき鉄道員」(Never Marry a Railroad Man)を聴いた小学校 4年の時でしたが、その 2曲は後に振り返って考えると、私にとっては言わばオープニング・アクト的な役割を果たしたもので、その後直ぐに今はミュージシャン稼業をしている 3歳年上の兄の影響で聴き始めた Simon & Garfunkel が(当時の感覚で書けば、サイモンとガーファンクル)、自分にとっての「洋楽の世界」、今思えば自分の人生における日本の外の世界の入り口で、その先を案内してくれた人達でした。

以降は Paul Simon のソロ、Eric Clapton, Cream, Pink Floyd, Deep Purple, James Taylor, CSN&Y .. 書き出すと止まらないな。そのうち Blues を聴くようになり、その他、日本(日本だと当時よく聴いたのは はっぴいえんど や 細野晴臣、鈴木茂、小坂忠など)や世界の様々な音楽を聴きまくる人生、自分も下手なギターを弾いてバンドをやったり、家族でコンサート観に行ったり、この話は始めるとキリがないので、今日はここまで。

というわけで、この、1967年6月のモントレー・ポップ・フェスティバルについては、私個人は当然ながら、当時リアルタイムで認識していたものではありません。後になって音を聴いたり、映像を観たりして、また大人になってからヴィデオを買ったりもして(ただし VHS時代、しかも今は我が家の DVD/VHS兼用の録画・再生機の VHS機能が壊れてしまっていて観れないヴィデオ)、それらが印象として残っているものです。

出演者とセットリスト

さて、モントレー・ポップ・フェスティバルの正式名称は Monterey International Pop Music Festival で、出演者は(一部 2回登場) 初日の 6月16日(金)が The Association, The Paupers, Lou Rawls, Beverley (Kutner), Johnny Rivers, Eric Burdon & The Animals, 今で言うところのヘッドライナーは Simon & Garfunkel, 2日目の 6月17日(土)は Canned Heat, Big Brother and the Holding Company with Janis Joplin, Country Joe and the Fish, Al Kooper, The Butterfield Blues Band, Quicksilver Messenger Service, Steve Miller Band, The Electric Flag, Moby Grape, Hugh Masekela, The Byrds, Laura Nyro, Jefferson Airplane, Booker T. & the M.G.s, そしてヘッドライナーは Otis Redding, 最終日の 6月18日(日)は Ravi Shankar, Blues Project, Big Brother and the Holding Company with Janis Joplin, The Group With No Name, Buffalo Springfield, The Who, Grateful Dead, The Jimi Hendrix Experience, The Mamas & the Papas, Scott McKenzie, そして最後にもう一度、The Mamas & the Papas & Scott McKenzie, これで終わり。終演は何時頃だったのかな。

セトリはとりあえず安直にウィキペディア参照。

因みに、フェスに限らず、世界中の色々な国の、色々な都市の、各年の年間を通した、色々なアーティストの、色々なコンサートのセトリについては、このサイトが便利です。以下は 1967年のモントレー・ポップ(ここではアーティストがアルファベット順に並んでしまっていますが)。

アニマルズ

ではでは、1967年のモントレー・ポップ、その初日、6月16日の金曜日のステージから、Eric Burdon & The Animals.

00:00 Intro
00:39 San Francisco Nights
04:36 Gin House Blues (Bessie Smith cover)
10:14 Hey Gyp (Dig the Slowness) (Donovan cover)
18:39 Paint It Black (The Rolling Stones cover)

サイモンとガーファンクル (一部 歌詞拙訳付き)

6月16日金曜日のヘッドライナーは、Simon & Garfunkel.

以下に記載する 7曲を歌っていますが、残念ながら上にリンクを貼ったヴィデオではそのうち 3曲だけ収録されていて、曲順も編集され、Homeward Bound, The Sound of Silence, The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy) の順になっています。折角なので(まぁ私自身が子どもの頃からのファンだということで、笑)、3曲の英語歌詞、それから超有名な The Sound of Silence を除く 2曲は歌詞を翻訳したことがあるので、拙訳、それらを合わせて掲載します。

1. Homeward Bound
2. At the Zoo
3. The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)
4. For Emily, Whenever I May Find Her
5. The Sound of Silence
6. Benedictus
7. Punky's Dilemma

以下、ヴィデオに収録されている 3曲の歌詞と、上に書いた通り、うち 2曲の歌詞の拙訳です。

Homeward Bound

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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僕は駅舎で座っている
目的地への切符なら買った
一夜限りのライブを転々とする旅さ
スーツケースとギターを手に持ってね
どこに行ってもきれいに揃ってるよ
詩人を兼ねたワン・マン・バンド用にね
家路に・・・
今 家に向かっているのならいいのに
僕の想いが宿る家
愛する音楽が流れる家
愛する人が待っている家
静かに 僕を

毎日が果てしない川の流れのよう
タバコと雑誌でやり過ごす
どの街も僕には同じに見えるよ
映画館や工場
そして見知らぬ人々の顔
何を見ても僕の想いが向かうのは
家路なのさ
今 本当に家路にあるのならいいのに
僕の想いが宿る家
愛する音楽が流れる家
愛する人が待っている家
静かに 僕を

今夜また 僕は自分の歌を歌い
堂々とやって そして取り繕う
だけど僕のどの言葉も自分に帰ってくる
月並みな陰影を帯びながら
ハーモニーが持つ虚しさのように
だから 慰めてくれる誰かが必要なんだ
家路・・・
今 家に向かっているのならいいのに
我が家 そこには僕の想いが宿り
我が家 そこでは愛する音楽が流れ
我が家 そうさ 愛する人が待っている
静かに 僕を
静かに 僕を

The Sound of Silence

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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スピード落とせよ
急ぎ過ぎだぜ
朝の気分を楽しまなきゃ
敷石を踏みつけながら
楽しいことを探すんだ
そうすりゃいかした気分になれるよ
全くいかした気分さ

街灯さんよ元気かい
何かニュースはあるかな
僕は君の足下に花が咲いているのを見に来たんだ
何か韻を踏んでみせてよ
ハハハ 本当にいい気分さ
全くいかした気分さ

気乗りもしない義理はないし
約束なんか何もないのさ
僕はふらっとまどろんじゃって
すぐに眠れそうだよ
朝のひとときさんよ
その花びらをみんな僕に降りかけてくれないか
生きてるって最高さ
全くいかした気分だよ

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なお、上に掲げたヴィデオの最後に、Paul Simon が Blues Project を紹介する場面が入っていますが、実際はこの部分は 6月18日(日)の夜に録画されたものです。

本投稿の上部にリンクを貼ったウィキペディアによれば、コメディアンで作曲家・ミュージシャンでもある Tom Smothers に紹介された Paul Simon が、同日夜の部の最初の出演者(昼間の部はインドのシタール奏者 Ravi Shankar のみ)である Blues Project を紹介しています。

初日のトリで歌った Paul Simon, 彼はこのモントレー・ポップの運営の中心的役割を担ったミュージシャンの一人ですが、最終日の 3日目も会場にいて、出演者紹介の役目を果たした、ということのようです。

オーティス・レディング

さて、2日目、今からちょうど 53年前の今日に当たる 1967年6月17日土曜日のステージのトリを飾った Otis Redding(オーティス・レディング, 1941年9月9日 – 1967年12月10日)、悲劇の自家用飛行機による事故で 26歳の若さでこの世を去った彼が、亡くなる半年前に歌った "I've Been Loving You Too Long" ..

後の忌野 清志郎(1951年4月2日 - 2009年5月2日)の「愛しあってるかい?」は、この時のオーティスの決めゼリフ、"We all love each other, don't we?" からとったものですね。

"Ah, thank you! .. This is the love crowd, right? We all love each other, don't we? Am I right? Let me hear, say, yeah with you!! .. Alright!"

"Ah, thank you! .. This is the love crowd, right? We all love each other, don't we? Am I right? Let me hear, say, yeah with you!! .. Alright!"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

ラヴィ・シャンカール

次は最終日、1967年 6月18日日曜日の午後、Ravi Shankar .. インドの偉大なるシタール奏者の演奏から。聴衆の中のジミヘン(Jimi Hendrix, 1942年11月27日 – 1970年9月18日)を確認することもできます。 

上記の通りで、もちろんこの演奏も生で観ていない私ですが、インドを 1ヶ月半ほど旅したことがある私には、なんだか懐かしくなる音です(インドを旅したのは 1983年から 84年にかけてですが、夜、ラジオを付けると大体こういう音楽が流れていた、「こういう音楽」って雑な言い方ですが、しかし私には非常に心地良い音楽でした)。

ジャニス・ジョプリン

最終日の 6月18日日曜日の夜の部のステージには、前日演奏して大好評だった Big Brother and the Holding Company with Janis Joplin が再び登場しています。

その中から伝説的名演、というか、Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン, 1943年1月19日 - 1970年10月4日)の伝説的熱唱で、"Ball and Chain" を。

3:28~ は、是非とも注目していただきたい場面です。ステージ下辺り、聴衆の中にいた The Mamas & the Papas の Mama Cass こと Cass Elliot (1941年9月19日 – 1974年7月29日) が、Janis Joplin のヴォーカル・パフォーマンスのあまりの凄さに圧倒され、口をあんぐり開けています。まさに言葉が出ない、文字通りの絶句状態。歌が終わった後の 5:25~ のところで、Mama Cass が思わず Wow と言っているシーンも入っています。

Bonus Track: ジャニスの "Ball and Chain" のオリジナル、 Big Mama Thornton's "Ball and Chain"

ここでちょっと モントレー・ポップから離れますが、ジャニスの熱唱で有名になった "Ball and Chain", そのオリジナルは歌も作曲もこの人、アラバマ生まれの R&B, Blues シンガー・ソングライター、Big Mama Thornton (Willie Mae Thornton: December 11, 1926 – July 25, 1984) で、以下のパフォーマンスはジャニスが歌って有名にしてからのもの、どうも刑務所の囚人の前で行なったライヴのようです。

YouTube 上のこのクリップのところには Recorded live at Monroe State Prison in Monroe (1987) と記載されていますが、彼女は 1984年に亡くなっているので、これは誤りで、このライヴが録音された年は、例えば 1977年とかが正しいのでしょうか。

素晴らしいブルーズ、いかにもブルーズらしいブルーズの "Ball and Chain",  Willie Mae "Big Mama" Thornton の熱唱です。

ジミ・ヘンドリックス

ではでは、モントレー・ポップに戻って、最終日、1967年 6月18日日曜日の夜の部の、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix, 1942年11月27日 – 1970年9月18日)の演奏から、超絶カッコイイとしか言いようながない、私にはオリジナルの Bob Dylan よりも百倍、千倍、一万倍はクールなパフォーマンスと感じられる、"Like a Rolling Stone".

脱線、ボブ・ディラン批判

私は元々、ディランの数々の名曲については、彼自身のものよりも他のミュージシャンがカヴァーしたパフォーマンスの方が好きでしたが、4年ほど前にディランに関する看過できない事実を知った後は、ディランはそもそも人として認めていません。

私は普段は政治的文脈を「優先して」音楽を聴くような愚を犯しませんが、しかし、これについては別です。彼は完全に、人として超えてはならない一線を超えている。

ジミ・ヘンドリックス に戻る

さて、1967年 6月18日日曜日夜のジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix, 1942年11月27日 – 1970年9月18日)の "Like a Rolling Stone" に戻ります。まぁしかし、この歌詞の内容とジミの素晴らしいパフォーマンスは、私が軽蔑するこの歌の作者ボブ・ディラン(上にリンク 2つ)に差し上げましょうかね。

上のクリップが消えた場合に備えて、こちらはジミヘンの公式アカウントによる音源。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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続いて、同じくジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix, 1942年11月27日 – 1970年9月18日)の "Hey Joe". 

次は ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix, 1942年11月27日 – 1970年9月18日)の最後の曲、"Wild Thing". 

ジミヘンと言えばアレ、というコレも一応。聴衆が唖然としている姿も。

モントレー・ポップ 3日間の 2時間12分圧縮版

最後はこれ。1967年 6月16日、17日、18日の 3日間のモントレー・ポップを、2時間12分に圧縮して記録したもの。

以上、コロナのせいで世界の大方のロック・フェスが消えてしまった 2020年の初夏、今から半世紀以上前に行なわれた、後の世界中のロック・フェスの「走り」、モントレー・ポップを、駆け足で振り返ってみました。

なお、本投稿のタイトル上の写真は、このサイトから拝借しました。


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