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Say a few words 〜 サン・テグジュペリ、クリスマス、アムネスティ
サン・テグジュペリ は 日本語での正式表記はおそらく サン=テグジュペリ ですね。フルネームは アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ, いや, まだまだ, 彼の名は Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, vicomte de Saint-Exupéry, アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ(1900年6月29日 - 1944年7月31日?), ウィキ丸写し, 最後が ? なのは他界の日が不明だから。
掲題は, 22年余り前, 2002年12月21日(土) と 翌 22日(日) の自分の日記のタイトル。前年, 2001年の夏にふと思い立って, 「完成までたったの 3日間 ゼロからのホームページ作り」という本を買い(まぁ当時 激務の仕事してたし, 実際には 5日ぐらいはかけたけれど), 文字通りゼロから html の基礎を独学して原始的なホームページを立ち上げ, 今もネット上にそのままにしてあるけれど, その「日記」コーナーに載せていたもの。
昨日, 切っ掛けがあって たまたまその22年前の自分の日記を目にし, そうか「クリスマス」か, と懐しさ半分で note で取り上げてみようと相成ったのだった。
で, これはその日記に絡む今日の note の 2本目(1本目へのリンクは第3章にて)。
Flowers Never Bend with the Rainfall" by Simon & Garfunkel 〜「雨に負けぬ花」(歌詞和訳)
"Flowers Never Bend with the Rainfall" by Simon & Garfunkel, 歌詞和訳
昨日, 以下の自分の過去 note を見る機会があった。
だいぶ以前は "拙訳" なんていちいち付していたんだけど, それは要するに "拙者による訳" という意味で, 中身は良薬は口に苦し, 良訳は口に .. 良訳だと内心は, 自訳自賛。
この際, 歌詞和訳を以下の note リンクに続けて掲載。
Flowers Never Bend with the Rainfall from Simon & Garfunkel's 1966 album Parsley, Sage, Rosemary and Thyme 🎶
英語原詞 https://genius.com/Simon-and-garfunkel-flowers-never-bend-with-the-rainfall-lyrics
[ 和訳 ]
眠りの回廊を通り抜け
暗く深い影を通り過ぎて
僕の心は混乱の中を踊り 跳ねる
何が本当のことなのか分からない
感じるものに触れることが出来ない
そして僕は僕の幻想の盾に身を隠す
そうさ僕はずっと望み続けよう
僕の生命(いのち)は決して終わらない
花だって決して折れたりはしないのだ
たとえ雨に打たれても
壁の鏡の中には
暗くてちっぽけな影が映っている
だけどそれが自分だという確信は全くない
僕は光で眼を被われている
神と真理と正義の光で
そして僕は行き先もわからぬまま彷徨うのだ
そうさ僕はずっと望み続けよう
僕の生命(いのち)は決して終わらない
花だって決して折れたりはしないのだ
たとえ雨に打たれても
どうでもいいことじゃないか
キングを演じる為に生まれたのか
それともポーンを演じる為に生まれたのかなんて
喜びと悲しみを隔てるのはか細い線に過ぎないのさ
そうして僕の空想は現実となり
僕は僕の人生を生き 明日に立ち向かわなくてはならない
そうさ僕はずっとずっと信じ続けよう
僕の生命(いのち)は決して終わらない
花は雨に打たれても決して折れない
そうさ雨に負けて折れたりはしないのさ
Flowers Never Bend with the Rainfall from Paul Simon's 1965 album The Paul Simon Songbook ♫
因みに, Paul Simon ファンならその多くが知ってるはずだけど, Paul の右は Kathleen 'Kathy' Chitty, Kathy's Song の Kathy, America の 歌詞の中の "Kathy," I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh, それから "Kathy, I'm lost," I said, though I knew she was sleeping, そう, あの Kathy,
キャシー曰く, 拙訳じゃなくて良薬, 良訳。
Kathy's Song は この歌。ここに写ってるのは筆者のカミさん。カミさん曰く, 拙訳じゃなくて良薬, 良訳。
では, 次項へ 🎶
「そうさ僕はずっと望み続けよう」, 「そうさ僕はずっとずっと信じ続けよう」 〜 「僕の生命(いのち)は決して終わらない」
以下, 前項にリンクを載せた Flowers Never Bend with the Rainfall 歌詞和訳 note より。
*2 "Flowers Never Bend with the Rainfall" は 2002年12月21日に訳したのですが、
(2001年夏に本を買って html を独学して立ち上げた当時の仕様のまま、今もネット上に残しているホームページで、OS のヴァージョン次第で文字化けします)
当時、歌を訳した日は、殆どの場合において、自分のホームページ上の日記にそのことを書いていたのですが、その日の短い日記が残っているものの、どういうわけか、今となっては自分でも分からないのですが、その日記にはこの歌を訳したことが書かれていません。
以下は、ホームページ上に掲載した、その日に書いた私の日記です。
2002年12月21日(土) SAY A FEW WORDS
Say a few words.. Well, let's hope that we're.. Let's hope that we, continue to live.. (A FEW WORDS that PAUL SIMON said at the request of his audience and was recorded in his album LIVE RHYMIN')
いつも書いている「生きる」とか live とかって言葉には、もちろん、「いかに生きるか」「どのような生き方をするか」「どのように生きることが出来るか」という意味合いが込められているし、同時に、大前提として重大な命題としての、一方でまた別次元の命題としての、そしてもちろん、カネの問題(これはもちろん重要だけど)とは全然違う、ある意味で 詩人ケン が言うのに近い、あるいはそれと全く同様に、単に生物としてヒトとしての、生命(いのち)のレベルとしての意味を込めている。いちいち書いてないけどさ。両方込めているけど、そして、どっちにより比重を置いているかはその時々で揺れているけれど、それぞれが共に、尚且つ別々に、かけがえのないことなのだ。
(同上。OS のヴァージョン次第で文字化けします)
"Say a few words.. Well, let's hope that we're.. Let's hope that we, continue to live.." というのは、上に転載した当時の日記に書いてある通り、Paul Simon が 1974年3月にリリースしたライヴ・アルバム "Paul Simon in Concert: Live Rhymin'" の中で聞くことができる、彼が聴衆の中の一人から "Say a few words!" とリクエストされてステージから応えた彼の言葉ですが、これは彼がライヴで Simon & Garfunkel 時代の名曲の一つ、"America"(*3)を歌う直前の、聴衆とのやり取りです。その音源と、歌詞の拙訳を掲載した投稿があるので、下にリンクを残しておきたいと思います。
そうか、いま改めて分かりました。Paul Simon は "Let's hope that we, continue to live.." と言っているわけですが、"Flowers Never Bend with the Rainfall" の歌詞の中に、"So I'll continue to continue to pretend .. My life will never end. And flowers never bend with the rainfall" という節がありますね。
おそらく、あの日の私は、あの日記を書くことで、具体的に触れずとも、 "Flowers Never Bend with the Rainfall" の歌詞を訳したのだということを記録したつもりになっていたのではないか、そう思えてきました。
上記の「その日に書いた私の日記」は 今日の note 次章にてあらためて。
SAY A FEW WORDS
Say a few words!! 〜 "Say a few words.. Well, let's hope that we're.. Let's hope that we, continue to live.."
America from Paul Simon's 1974 live album Paul Simon in Concert: Live Rhymin' 🎶
(audience) "Say a few words!!"
(Paul Simon) "Say a few words.. Well, let's hope that we're.. Let's hope that we, continue to live.."
英語原詞 https://genius.com/Simon-and-garfunkel-america-lyrics
キャシー曰く, 拙訳じゃない, 良薬, 良訳。
「僕達、恋人になって結婚しよう
未来を一つにしてパートナーになろう
お金なら何とかなるさ
バッグに少し持ち合わせているんだ」
そして僕らは タバコを一箱と
ミセス・ワグナーのパイを買いました
それから歩き始めたのです
アメリカを探すために
「キャシー」と僕は言いました
僕らはピッツバーグでグレイハウンドに乗っていました
「ミシガンは僕には今では夢のようだよ
前なら4日もかかったんだ
サギノウからヒッチハイクをしたらね
僕はアメリカを探しに来たんだ」
バスの中では二人で笑い合って
乗客の顔を見ながらゲームをしました
彼女がギャバジン・スーツの男は
実はスパイなのよと言うので
僕は言ったんです
「気をつけなよ 彼の蝶ネクタイは本当はカメラなんだ」
「タバコを投げてくれないか
レインコートに1本残っているはずだから」
「私達、最後の1本を吸ってしまったのよ
1時間も前にね」
だから僕は窓の外を眺めたんです
彼女は雑誌を読んでいました
外では大地の彼方を月が昇っているところでした
「キャシー、僕はわからなくなってしまったよ」
彼女が眠っているのは知っていました
「僕は空っぽで 苦しくて
おまけにどうしてなのかもわからないんだ」
ニュージャージー・ターンパイクでは
走る車を数えたりしましたが
彼らもみんな アメリカを探しにやって来たんです
みんなアメリカを探しに来たんです
みんなアメリカを探しに来たんです
................
*1 2001年夏に本を一冊買って html を独学して立ち上げ、以後全く仕様を変えていない旧態依然とした私のホームページ上に、この歌の拙訳を載せています。
*2 "Kathy's Song" 拙訳を載せた note 投稿
カミさん曰く「良訳」。
では, 再び, 2002年12月21日の話へ。
SAY A FEW WORDS
2002年12月21日(土) SAY A FEW WORDS
Say a few words.. Well, let's hope that we're.. Let's hope that we, continue to live..
(A FEW WORDS that PAUL SIMON said at the request of his audience and was recorded in his album LIVE RHYMIN')
いつも書いている「生きる」とか live とかって言葉には、もちろん、「いかに生きるか」「どのような生き方をするか」「どのように生きることが出来るか」という意味合いが込められているし、同時に、大前提として重大な命題としての、一方でまた別次元の命題としての、そしてもちろん、カネの問題(これはもちろん重要だけど)とは全然違う、ある意味で 詩人ケン が言うのに近い、あるいはそれと全く同様に、単に生物としてヒトとしての、生命(いのち)のレベルとしての意味を込めている。いちいち書いてないけどさ。両方込めているけど、そして、どっちにより比重を置いているかはその時々で揺れているけれど、それぞれが共に、尚且つ別々に、かけがえのないことなのだ。
サン・テグジュペリ、クリスマス、アムネスティ 〜 サン・テグジュペリ、パレスチナ、脈絡もなく
サン・テグジュペリ、クリスマス、アムネスティ
2002年12月22日(日) サン・テグジュペリ、クリスマス、アムネスティ
カタカナ並んじゃったのはたまたま。
結婚して間も無く、クリスチャンじゃないんだから変じゃんと言って、クリスマスはやめた。でも子供が生まれてしばらくして、「サンタからの贈り物」をしてあげるようになった。子供の頃にそういう夢を信じるのはいい体験だと思い直してのことで、そういう意味では、我々にはそれがクリスマスでなくちゃいけない理由は無い。他のファンタジーでもいいはずだが、たまたまキリスト教を源とするストーリーを借りたってことなのかもしれない。
だけど、何日か前に、息子が母親に「本当はお母さんが持って来ているの?」と尋ねたらしい。夢の「サンタの贈り物」でなくなって「親からの贈り物」となってしまえば、やっぱりクリスチャンでない我々がやるのは変だってことだよな、結婚当初の考え方に還れば。来年からどうしようか。
この頃、サン・テグジュペリ の「星の王子さま」を 家族で輪読 している。俺はあれを大学生の時に初めて読んだ。平易な文章なのに、大人が読んでも相応しいって思う。かんじんなことは目に見えない。一番大切なものは目に見えない。
今日、以前からたまーにグッズを買ったりしていたアムネスティ日本支部に、WEB で入会資料を請求した。会員になると決めたわけじゃない。ちょっと資料を見てみる。何かに、ほんの少しでも実際上の関わりをしていたい気がしてきている。今のままでは精神の症状が悪くなる。処方箋も必要だ。動機が不純だとは思わない。もともと関心あるんだし。プッシュする動機は何でもいいって思ってる。焦らず、しかし少しずつ動きながら考えていかないと。精神の生き死にのレベル から、少ーしずつでも進みたい、とは思ってる。でも、どうしたら本当に進めるのか、どうしたら可能になるのか、何かいい方法でもあるのか、わからない。わからない。名案なんか、有り得ない。何か気が向いたことをしてみつつ、考えていこうか。何か、本気で関心あることを、ちょっとでもやってみる。あるいは関わってみる。と思いつつ。
精神の生き死にのレベル から、少ーしずつでも進みたい、とは思ってる。
"Emancipate yourselves from mental slavery, none but ourselves can free our minds" (Bob Marley, Redemption Song)
サン・テグジュペリ、パレスチナ、脈絡もなく
2002年12月27日(金) サン・テグジュペリ、パレスチナ、脈絡もなく
今日、サン・テグジュペリ の「星の王子さま」の 家族輪読 というか、息子への読み聞かせ というか、とにかく読了した。よく言われるように、単に子供用の童話とは言い切れない、不思議な雰囲気の話だ。何かを大切に想う気持ちがあれば、世界が変わってくる・・・。大人が読むべき本かもしれない。
ここのところ、BS で連日 パレスチナ の特集の再放送をやってた(今日は見逃した)。学生時代にリュック一つで旅してから、何度も何度も頭に考えが浮かんでくる土地。それはその後もずっとパレスチナに平和と幸福が訪れず、世界に紛争や悲劇が報道され続けているからでもあるけれど。
(だけど、たぶん俺が旅行した時期よりもさらに 10年以上前(?)までは、世界は彼らに注目しなかった、中東戦争の時期以外は。パレスチナ人がハイジャックなどの実力行使に訴えない限り、世界は彼らに見向きもしなかったのではないか。時代は大きく変わったけど、彼らの境遇はほとんど前進してないようにも見える。)
今年最後だからって、何にも話はまとまらない。何ともまとまらない、言いようがない自分の1年がもうすぐ終わる。ここで1年て言ったってカレンダーの話。でもまぁ意味ある区切りなんだろうか。とにかく来年も生きる。これからも生きる。ずっと生きる。
#djb ってそれ, 俺は何の略のつもりだったのか, いま一瞬, 0.3秒くらい(笑)考えて直ぐわかったけど, これはあれ以外ないな, 「大丈夫」。
…… 🇵🇸 ……..
*今日の 1本目
…… 🇵🇸 ……..
では, 今日の 2本目, 次章へ。
人生の底にいても大丈夫だった
あの頃は, 「人生のポケット」 の初期だった
自分の「人生のポケット」は、2001年の晩秋頃もしくは2002年初夏辺りから、2016年1月終わり頃まで。同年1月末か2月初め頃、脱出した。
人生のポケットから出る方法はどこかにある
人生の底にいても大丈夫だった
#djb ってそれ, 俺は何の略のつもりだったのか, いま一瞬, 0.3秒くらい(笑)考えて直ぐわかったけど, これはあれ以外ないな, 「大丈夫」。
人生の底にいても大丈夫だった 〜 暴れだす(ウルフルズ), IF (Pink Floyd), There but for the grace of you go I (Paul Simon) 〜 かんじんなことは、目に見えないんだよ (サン=テグジュペリ「星の王子さま」)
今もそのままにしてある, ジュラ紀の昔の, ジュラ期の世界の, 昔々の 「原始的なホームページ」
今もそのままにしてある, ジュラ紀の昔の, ジュラ期の世界の, 昔々の 「原始的なホームページ」
2001年の夏にふと思い立って, 「完成までたったの 3日間 ゼロからのホームページ作り」という本を買い(まぁ当時 激務の仕事してたし, 実際には 5日ぐらいはかけたけれど), 文字通りゼロから html の基礎を独学して原始的なホームページを立ち上げ, 今もネット上にそのままにしてあるけれど,
今も「原始的なホームページ」のまま, 放置。
今から約2億年ほど前の西暦2001年夏という昔々、ジュラ紀の時代ぐらいの昔に、本買ってきて 5日間程度 HTML 独学して、その原始的・化石的 HTML 基礎知識だけ、ホームページ作成簡易ソフト無しの徒手空拳で自分のホームページを立ち上げ、それから十年余り、家族日記からカルチャー系批評、政治・社会批評など幅広いフィールドの日記を書いたり、「洋楽」歌詞和訳やったり、音楽レヴューもどきや映画レヴューもどきやったりして、ちょくちょく更新していた(が、だいぶ以前から全く更新していない)。
まぁ「原始」時代, ジュラ紀ほどの昔に原始 html だけで作ったホームページだから, 「原始的なホームページ」であるのは当然です。
しつこいな(笑)。マジ, しつこい。
今から約2億年ほど前の西暦2001年夏という昔々、ジュラ紀の時代ぐらいの昔に、本買ってきて 5日間程度 HTML 独学して、その原始的・化石的 HTML 基礎知識だけ、ホームページ作成簡易ソフト無しの徒手空拳で自分のホームページを立ち上げ、それから十年余り、家族日記からカルチャー系批評、政治・社会批評など幅広いフィールドの日記を書いたり、「洋楽」歌詞和訳やったり、音楽レヴューもどきや映画レヴューもどきやったりして、ちょくちょく更新していた(が、だいぶ以前から全く更新していない)。
さあ 🎶
さあ 不思議な夢と遠い昔が好きなら
ジュラ紀, ジュラ期, 作詞した松山猛(作曲はもちろん, 加藤和彦)は 漢字を間違えたのか, それとも何か意図があったのか,
さあ 不思議な夢と遠い昔が好きなら, さあ そのスヰッチを遠い昔に廻せば, ジュラ期の世界が拡がり, はるかな化石の時代よ ♫
タイムマシンにおねがい 〜 塀までひとっとび
タイムマシンにおねがい
さあ 不思議な夢と遠い昔が好きなら, さあ そのスヰッチを遠い昔に廻せば, ジュラ期の世界が拡がり, はるかな化石の時代よ 🎶