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パレスチナ と ボブ・マーリー「ウォー」


Existence is Resistance

Existence is Resistance という表現を, パレスチナ解放運動の当事者(第一義的には当然ながらパレスチナ人)達からよく聞く。だいぶ以前から聞いている。

イスラエル「建国」前には シオニスト達による A land without a people for a people without a land という完全にデタラメなスローガンでもって(*1 及び *2-5), 「歴史的パレスチナ」に住む人間としての存在を文字通り否定され, イスラエル「建国」後も今日に至るまで 76年余にわたり シオニスト達によって パレスチナの土地から追い出され続けている(要するに「民族浄化」Ethnic Cleansing そのものだ)彼らパレスチナ人達にとって, ただ 彼らの土地に生きる・存在すること(「ただ」「生きる」と言っても 日本人が日本に, イギリス人がイギリスに「生きる」こととは 意味合いや困難の質が全く違うわけだが, だからこそ それ)自体が 彼らにとって シオニスト国家イスラエルに対する 抵抗である。一言で言えば, 存在することそれ自体で 既に「抵抗」になる。逆に シオニスト達から見れば「抵抗されている」ことになる。Existence is Resistatnce という表現に 強い説得性があるのは その為だ。

そんな パレスチナ人達の解放運動を見る時, これまでも 今は亡きレゲエ歌手 ボブ・マーリーの曲「ウォー」の歌詞, とりわけその冒頭の一節を想起することが何度もあったのだが, 最近あらためて ある反シオニストのイスラエル人反体制活動家が パレスチナ解放について語る解説を聞く機会があって, 彼が語るパレスチナ解放運動の意味合いが 更にその想いを強くさせたので, そのことを note で取り上げることにした。

パレスチナ人にとっては「存在」「実存」そのものが 抵抗であり, 更に彼らが自らの「権利」「アイデンティティ」を主張し, また自らの「カルチャー」をさまざまなかたちで表現すること, それはそのまま「闘争」であり「戦争」である。つまり, 弾圧者の側, シオニスト国家イスラエルからしたら「戦争」を仕掛けられたと見做される, ということになるわけだ(いまだ正規の軍隊を持ち得ないパレスチナと, 自称「民主主義国」アメリカ合州国からの強大な軍事及び財政上の支援を受けるシオニスト国家イスラエルとの間に, 狭義の「戦争」はあり得ないのではあるが)。

ボブ・マーリーの「ウォー」の歌詞, その冒頭の一節は, 「パレスチナ解放の闘い」そのものなのである。

注記

*1 「民なき土地に, 土地なき民を」という シオニズムの謳い文句は, まさしくデタラメだった。以下の地図は 1947年のパレスチナ(当時は「イギリス委任統治領パレスチナ」)を示したものだが, この地図の下に, 筆者の 過去 note(本章「注記」*2, 並びに *3)からの転載を置く。

パレスチナ(英語 Palestine, アラビア語では فلسطين ‎[Filastīn], ヘブライ語では פלשתינה ‎[Palestina])という言葉は紀元前からあった呼称だが、16世紀以降その地はオスマン帝国の支配下、そして同国が第一次世界大戦で敗戦国となった後は1918年からイギリスが占領、1920年から1948年までは Mandatory Palestine (British Mandate for Palestine) つまり「イギリス委任統治領パレスチナ」となっていた。

1918年にイギリスが行なったパレスチナにおける人口調査によれば アラブ人(ここで言うパレスチナ人)の人口は 700,000人、ユダヤ人のそれは 56,000人と前者の 1/12 以下だったが、その後、ヨーロッパにおける長年のユダヤ人差別の歴史を背景に(直接的きっかけは1894年のフランスにおけるドレフュス事件)前世紀 19世紀末から始まっていた シオニズムによるユダヤ人のパレスチナへの移民の動き [シオニズムの「シオン」は 旧約聖書に出てくるエルサレム地方の呼び名] が急速に拡大した結果(その原因の一つは1917年のイギリスによるシオニズム支持表明と言える「バルフォア宣言」[イギリスの三枚舌外交:1915年10月のフサイン=マクマホン協定で中東地域におけるアラブ諸国独立を約束, 1916年5月のフランス・ロシアと秘密裏に結んだサイクス・ピコ協定で同3ヶ国による中東地域の分割支配を目論み, 1917年11月のバルフォア宣言ではイギリスの当時の外務大臣アーサー・バルフォアがイギリス政府によるシオニズム支持を表明] 、そして更に加速度的に拡大つまりユダヤ人のパレスチナへの移民を急増させたのは ヨーロッパを席巻した ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害・弾圧・ホロコースト であった)、1947年11月29日の「国連パレスチナ分割」案決議の際の報告書によれば、その時点でのパレスチナにおける人口は、アラブ人とその他(その他とはアルメニア人やギリシャ人などの少数を指し、したがってこの大半はアラブ人 = パレスチナ人を意味する)が 1,237,000人と全体の 67%を占め依然として多数派であったものの、一方でユダヤ人は 608,000人にまでその人口を増やしていた(それでもイスラエル「建国」当時のパレスチナにおけるユダヤ人の人口は全体の 1/3 程度に留まっていたことになるわけだが)。

これだけで十二分に, 1947年当時まだ設立 間もなくその 2-30年後以降とは違って「欧米列強」(並びに第二次世界大戦の戦勝国)の支配が非常に強かった国連において決議された「国連パレスチナ分割」案が いかに不当で不公正極まりないものであったことが分かるが, 人口比率だけでなく土地所有率まで踏まえれば, その不当性・不公平性は更に明らかである。以下は, 上の(過去 note からの)転載の続き。

因みに上記の「国連パレスチナ分割」案は、アブラハムの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教, うち後二者は仏教とともに世界三大宗教に数えられる)の聖地があるエルサレム市については国連を施政権者として信託統治とするとしたうえで、その時点でなお人口でアラブ人(現在言うところのパレスチナ人)の半分もしくは半分に満たず、また土地所有率に関しては全体の 8%にも届いていなかった(上記の通りもともと人口のうえで絶対的な少数派だったユダヤ人が30年ほどの短期の間の大規模な移民によって人口を増やしたのだからこれは当然の数字ではあった)ユダヤ人の側の新国家(後のイスラエル)にパレスチナの土地の 56%を与え、多数派であったアラブ人(同、パレスチナ人)側のものになるとして予定された国には 43%の土地しか与えないという、極めて不当・不公平・不公正なものだった。

結局、イスラエル「建国」前から始まっていたシオニストのユダヤ人によるパレスチナ人に対する民族浄化キャンペーン(虐殺など)、そしてイスラエル「建国」とイスラエル・アラブ諸国間の戦争結果(パレスチナ人にとっては「ナクバ」)、1948年「建国」当時のパレスチナにおける人口において全体の 1/3 ほどだったユダヤ人シオニストたちの新興国家「イスラエル」は、パレスチナ全域のほぼ 8割の土地を獲得することになった。

そしてその後、イスラエルは残ったパレスチナ人の土地、すなわち以降はヨルダンが占領・統治・併合していた東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区(ただしヨルダンによる占領, 併合は国際社会の殆どが承認していなかった)およびエジプトが占領し統治していたガザ地区(エジプトによるこの占領・統治も国際社会の殆どが承認していなかった)の全てを 1967年の第三次中東戦争により占領することとなり、「歴史的パレスチナ」全土がイスラエルによって支配されることになったわけである。

なお, 1967年6月以降のこのイスラエルによる占領(上記の他にシリアのゴラン高原の一部, およびエジプトのシナイ半島; 後者のみ後に返還)も当然ながら国際社会は承認していない。そもそも1967年11月22日採択の国連安保理決議242号を含む複数の安保理決議が、1967年占領地からのイスラエルの撤退を要求し続けている。

ともあれ、上記のイスラエル「建国」当時のアラブ系住民 = パレスチナ人の人口などを踏まえ、あらためてイスラエル「建国」が引き起こしたパレスチナ人にとっての大惨事・大災厄 = ナクバによってどれだけの人数のパレスチナ人が自らの故郷・土地・家を失ったかを見れば、その悲惨さがなおいっそう伝わってくるであろう。

*2 上記は, 以下の note(2021年9月29日付)パレスチナ, 1983年9月28・29日 〜 ヨルダン川を渡り イスラエルによる国連安保理決議違反 軍事占領下の西岸地区に入る の 第1章 2021年の今も続くパレスチナ人の悲劇 「ナクバ」 〜 アメリカ合州国による徹頭徹尾のイスラエル(1948年「建国」)支援のもとで からの転載(その前後にもテキスト有り)。また, その下の *3  の過去 note にも 同様のテキストを掲載している(バルフォア宣言について補足)。

*3 

ハイファ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)に戻って 〜 1983年10月5日

*4 上の note 2つは, 筆者が 1983-84年のユーラシア大陸ほぼ一周の旅(*5)の際, 1983年9月から10月にかけての 3週間にわたり パレスチナ/イスラエル の地を旅した時の記録を綴った note 15本のうちの 2本。15本目は 当時のガザについて。

*5 1983-84年ユーラシア大陸ほぼ一周(「ほぼ」!)旅 note リンク集。

「注記」の方が長い 第1章 は, これにて 了。

パレスチナ人にとっては「存在」それ自体が「抵抗」である, したがって彼らが「権利」「アイデンティティ」を主張し「カルチャー」 を表現すること, それはそれだけで既に「闘争」であり「戦争」である 〜 反シオニストのイスラエル人反体制活動家による解説

ユダヤ人であり, イスラエル・テルアヴィヴ生まれ, テルアヴィヴ育ちのイスラエル人, 現在イギリス在住の反シオニストの活動家 Ronnie Barkan が, 本章の見出しに掲載したことを, 以下のヴィデオの中で雄弁に, その根拠とともに語っている。

インタヴューは 2023年10月以降のものではなく, 2017年, つまり 6年前のものだが(今現在から見れば 7年前, その秋頃と思われる), そもそも パレスチナ/イスラエル を巡る「問題」は, 2023年10月7日に始まったのではない。いわゆる「パレスチナ問題」(「問題」という言葉の解釈次第で「イスラエル問題」と言った方がよいのではとも思うが)の歴史的背景を知る人間にはあまりに常識的なことではあるが。

なお, 以下のインタヴュー終盤において語られる(その前段で根拠が語られている)核心の部分は, 次の通りである。

.. existence is resistance, for Palestinians, this is true. Just by very existing on their land, this is an act of resistance in itself. Even more so, when they actually claim their rights, claim their identity, do cultural works, like produce Palestinian culture, that is an act of war.

つまり, 「パレスチナ人にとって『存在とは抵抗である』。彼らが 自分たちの土地に存在しているだけで, それ自体が 彼らの抵抗行為 となるのだ。さらに言えば, 彼らが 実際に自らの権利を主張し, そのアイデンティティを主張し, そして例えば パレスチナのカルチャー(文化)をプロデュースするような, 自らの文化を表現する活動を行なうのなら, それはそのまま 彼らにとって 闘争であり戦争行為 なのである。」

以下の 4つのヴィデオはどれもツイッター(現 X ですね)上のもので, 内容は同じであるが, 投稿主(ツイートのアカウント)が当然ながらそれぞれ固有の特徴を有しているので, 本 note 筆者の記録用を兼ねて全て掲載しておくことにした。

なお, 以下の動画は, 本章の最後にリンクを置く アメリカ人ジャーナリスト Abby Martin による取材ヴィデオ(*5)からの抜粋である。

*1

*2

*3

*4

*5 ヴィデオ(2017年10月2日付アップ)に付されている YouTube の注釈が煩わしいが, つまり五月蝿いのだが(そもそも YouTube 上では パレスチナ支援やイスラエル批判の主張の多くが検閲されている), 以下のリンクは クリックすると Ronnie Barkan の件のインタヴュー部分から再生されるようにセットしてある。

因みにその前後も別途, あるいは合わせて再生して「鑑賞」していただきたい。イスラエルの街で取材されたイスラエル人シオニスト達の自らに対する優越意識, パレスチナ人に対する差別意識は凄まじいものがある。

Until the philosophy which hold one race Superior and another Inferior, is finally and permanently Discredited and Abandoned 〜 Everywhere is War

まずは あらためて, 前章に掲載した「パレスチナ解放の闘い」の意味に関わる言葉を再掲する。

.. existence is resistance, for Palestinians, this is true. Just by very existing on their land, this is an act of resistance in itself. Even more so, when they actually claim their rights, claim their identity, do cultural works, like produce Palestinian culture, that is an act of war.

(以下はやはり前章に掲載した拙訳)

「パレスチナ人にとって『存在とは抵抗である』。彼らが 自分たちの土地に存在しているだけで, それ自体が 彼らの抵抗行為 となるのだ。さらに言えば, 彼らが 実際に自らの権利を主張し, そのアイデンティティを主張し, そして例えば パレスチナのカルチャー(文化)をプロデュースするような, 自らの文化を表現する活動を行なうのなら, それはそのまま 彼らにとって 闘争であり戦争行為 なのである。」

一方で, 本章の見出しに掲載したのは, ボブ・マーリーの曲「ウォー」の歌詞の冒頭の一節である。

Until the philosophy which hold one race superior and another inferior, is finally and permanently discredited and abandoned 〜 Everywhere is War

日本語にするなら(意訳するなら), 

ある人種(趣旨を踏まえれば この文脈においてはこれを「民族」という言葉に置き換えてもよいだろう)を優越であると見做し, 別の人種を劣等であると見做すような哲学(思想)が, 最終的かつ恒久的に信用されなくなり(支持されなくなり), そしてそれが放棄されるまでは, 世界中 何処にでも「戦争」が起きるだろう。

ここでの「戦争」war は an act of war であり, 「戦争」と表現もできるし, war という英語が意味としてもともと包含している 「闘争」という言い方にしてもよいだろうと思う。

前章で紹介した イスラエル・テルアヴィヴ生まれ, テルアヴィヴ育ちの反シオニスト活動家イスラエル人 Ronnie Barkan は, 同じヴィデオの中で こう言っている。

.. we have to understand that Israeli identity depends on denying Palestinian identity.

我々はこのことを理解しなければならない, 「イスラエル(イスラエル人)のアイデンティティは, パレスチナ人のアイデンティティを否定することに依存している」のだ。

彼の理解からすれば(本 note の筆者も同意するところだが), シオニズムの根幹には「ある人種(趣旨を踏まえれば この文脈においてはこれを「民族」という言葉に置き換えてもよいだろう)を優越であると見做し, 別の人種を劣等であると見做すような哲学(思想)」(ボブ・マーリー「ウォー」の歌詞, 冒頭より)が あると言ってよいだろう。

以下, ボブ・マーリー「ウォー」の YouTube 上にある音源 2点, そして *3 は(本 note の趣旨の上においては参考程度の情報として)補足。

*1 

War 〜 Bob Marley (Feb 6, 1945 – May 11, 1981)

*2

War 〜 Bob Marley (Feb 6, 1945 – May 11, 1981) LIVE in 1979

Until the philosophy which hold one race superior and another inferior, is finally, and permanently discredited and abandoned, everywhere is war.

*3 以下は 本 note の趣旨, 主題, 本題からは離れるトピックであり, その意味においては瑣末といえば瑣末なことなのだが, 一応「補足」「参考」程度の情報として掲げておきたい。

1) ボブ・マーリーの 1976年リリースの曲「ウォー」の歌詞は, 旧「エチオピア帝国」皇帝ハイレ・セラシエ 1世が 1963年10月4日に国連総会で行なった演説の内容を元にしている。

2) その(歌詞引用元の)ハイレ・セラシエ 1世は自身が「古代イスラエルのソロモン王とシバの女王の間に生まれたメネリク1世の子孫」であると主張し, また, 同国の政治指導者として, 「アラブ諸国とは同じ第三世界として連携しつつイスラエルとも歴史的な繋がりから軍事協力」をしていたような人物ではあるが(以上「」内はウィキペディアより引用), そのことは 本 note の趣旨を妨げるものではない。

3) また, それを言えば, ボブ・マーリーが 当時 パレスチナ/イスラエル問題をどう認識していたか, あるいはそもそもその基本を理解していたかどうかは知る由がないし, 更に言えば, その多くの名曲の歌詞から世界の人々の普遍的「人権」の重要さをしばしば訴えていた彼の, その息子たちのうちの複数は, パレスチナ支援者の中ではわりと有名な「どうしようもない, 救いがたいほど愚かなイスラエル擁護者」である。当然ながら, そのことも, 本 note の趣旨を妨げるものではない。

昨秋以降の パレスチナ/イスラエル を巡る状況 と 西洋・欧米諸国の欺瞞・偽善 に 触れて

いわゆる「パレスチナ問題」(「問題」という言葉の解釈次第で「イスラエル問題」と言った方がよいのではとも思うが)の歴史的背景を知る人間にはあまりに常識的なことではあるが, しかしこれは繰り返し書いておきたい。

つまり, そもそも, パレスチナ/イスラエル を巡る「問題」は, 2023年10月7日に始まったのではない(このことは次章にもつながる)。

ただ, それでもこの間(昨秋以降これまで)にいよいよ, これまで以上に明らかになったことがあって, それは「西洋」, あるいは「西側」, あるいはもっと具体的に「欧米諸国」(の大方と言うべきだろうか, 何事にも例外はある)の自称「民主主義者」たち, そしてもちろん政治家連中(とりわけ アメリカ合州国の民主党やイギリスの労働党のような普段 人一倍「民主主義者」面 - 「民主主義者」ヅラ - をしている連中), そして彼らの メイン・ストリームのメディアの傲慢さ, その欺瞞や偽善である。

以下の note *1 を投稿した後も(下に 過去 note 2点 のリンクを置いた), そうしたメディア(NYT, ワシントンポスト, CNN, BBC, ガーディアン 等々)においては, イスラエル人の子供の犠牲者には "child", "children" という言葉を使う一方で パレスチナ人の子供の犠牲者に対しては(時には前者に触れている同じ記事の中においてすら)例えば "teenage male" だの 果ては "four year old-lady" だのと(前者もそうだが後者は世界の「まともな」人たちの神経を震わせるほど驚かせたものだ)記事の中で掲載するといった, 信じがたいレベルの傲慢・欺瞞が目立ち, 彼らが日頃主張する「民主主義」や「人権重視」の姿勢がいかに偽善そのものであるのかを露骨に表してきている。

他にも 例を挙げれば 文字通りキリがないのだが, ロシアがウクライナを攻撃した時には記事の見出しでほぼ例外なく「加害者」としてロシア Russia の名を記載してきたにもかかわらず, イスラエルがパレスチナ人を攻撃, あるいはイスラエルの戦争政策による飢餓などでパレスチナ人を死に至らしめたケースなどにおいては, 「加害者」としてのイスラエル Israel の名を必死になって見出しから省き(割愛!), "dire situation" といった曖昧な主語に置き換えて読者をとりあえず煙に巻く記事が目立つ(記事のライターなり編集者なりにその明確な意図がなくとも, そうした破廉恥な「加害者」隠しの見出しは単に読者を煙に巻いているだけである)。

「西洋」「西側」「欧米」の自称「民主主義」諸国に見られる欺瞞や偽善は, もはや止まるところを知らない。言い方を換えれば, 「恥を知らない」。

*1 「西洋」の 欺瞞 と 偽善 〜 さらば バーニー・サンダース, さらば リチャード・ドーキンス, くたばれ ユヴァル・ノア・ハラリ, くたばれ ボブ・ディラン, ついでに言うと, ぼのぼの は好きだが, U2 の ボノ は最低だ

*2 ロシアのウクライナ侵略は非, 即刻撤退すべき, だが一方で, アメリカ合州国のそれほど巨大で醜悪な 〜 偽善とダブルスタンダード 〜 は 他にあるだろうか?

再掲。「西洋」「西側」「欧米」の自称「民主主義」諸国に見られる欺瞞や偽善は, もはや止まるところを知らない。言い方を換えれば, 「恥を知らない」。最低。

パレスチナ/イスラエル問題 〜 それは 勿論, 2023年10月7日に始まったのではない

本 note の中でも, また過去の note においても書いてきたけれど, パレスチナ/イスラエル の「問題」は, 2023年10月7日に始まったのではない。いわゆる「パレスチナ問題」(「問題」という言葉の解釈次第で「イスラエル問題」と言った方がよいのではとも思うが)の歴史的背景を知る人間には, それはあまりに常識的なことではあるが。

「パレスチナ/イスラエル問題」の概観については, 以下の note (本 note 第1章でも *3 としてリンクを掲載したもの)の 第1章から 第2章 にかけて, まとめています。


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