見出し画像

「天皇制」に啖呵を切る

今日、2020年 2月23日は「令和」という「年号」下の現天皇の誕生日。第二次大戦後の 1948年、昭和23年までは、戦前そのままに天長節と呼ばれていたものですが(「昭和天皇」裕仁の誕生日は 4月29日、祝日法施行は 1948年7月20日)、兎にも角にも、各「年号」下において「天皇」と呼ばれる人の誕生日に、我々「日本国民」は「休んでよい」と国から言われているわけです。

ところで、現「日本国憲法」によれば、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(憲法第1条)。 となると、天皇は我々と違って「日本国民」ではない? .. 「天皇」以外の皇室の皆さんは?? まぁ何だかややこしいね。

現天皇、徳仁(なるひと)さん(個人的に近しい存在じゃないし、本当は「氏」を付けたいんだけど、彼には苗字、姓というものがないので、接尾語「氏」は相応しくないのだ、まぁ何だか「さん」も似合わないけれど)、称号は浩宮(ひろのみや)だから、いまだこっちを呼んだ方がいいんだろうか、何はともあれ、彼の誕生日は 1960年、昭和35年 2月23日。私の誕生日は 同年 9月11日だから、同い年の生まれだね。と言っても彼は学年で言えば私よりも一学年上の「先輩」というやつで、厳密に言うと昨日まで同じ歳だったけれど、今日からしばらくは彼の方が一つ年上。

そういうわけで、今日は、今から 15年前の 2005年 8月20日に、自前のホームページ上に掲載した「『天皇制』に啖呵を切る」という文章を、一字一句そのまま以下に転載して、本日、天皇誕生日の記念投稿とします。

2005年 8月20日(土)   『天皇制』に 啖呵を切る

「虎の威を借り」、ならぬ「鶴の威を借り」『天皇制』に啖呵を切る。いや、別に「威を借る」必要はないが、8月17日の朝日夕刊に掲載された上野千鶴子の寄稿による論考は小気味良かった。少なくとも知識人、という意味では、並み居る野郎ども知識人の日和見言論には見られない言の葉が多々。

以下、センテンスを抜き出す。単に小気味良いセンテンスやフレーズの抜き出しなので、サマリーではありません。

.....................................

 ● 憲法を改正するなら、第一条から手をつけるべきだろう。

 ● 天皇という人間が「国の象徴」であるとは、象徴ということばの用語法からしてもおかしい。

 ● そろそろ日本を正真正銘の「主権在民」の世俗国家にして、「神の国」などと、だれにも言わせないようにしたほうがよくはないか。

 ● 今の憲法のもとでも、天皇は政治に関わってはならないことになっているから、ほんらい「皇室外交」などというものも存在してはならない。

 ● それならいっそ、と文化財天皇制を唱える人々もいる。政治の向きからすべて手を引き、千代田のお城から京都御所へ移り、家元か宗匠のごとく、権威を暖簾に暮らしてもらう、という案だ。世の中には権威の好きな人たちがいるから、勲章を発行したり、箱書きをしたりするだけで、十分食べていけるだろう。

 ● (注: 上に続いて・・・) だが、文化財ならなんでも残せばよいというものでもなかろう。遊郭や腹切りなどの「伝統」は、なくなったほうがよい「伝統」である。

  (この件【くだり】、載せた朝日も多少は勇気があったかもしれぬが、そもそも朝日は組織であり個人は埋没していて、ここでの上野は当然ながら個人である。あえて言えば「知識人」「文化人」の傘はあるやもしれぬが、こういうケースでは「一般大衆」「人々」に属する個々の人間という意味での個人より、「知識人」「文化人」という「有名人」の方が危険である。)

  (ただ、一点補足すると、こういう頁、企画をサンプルに「過大評価」されるメディアとしての朝日に属する個人が、時に危険であるのも確かである。それは、ずいぶん前の阪神支局襲撃殺人事件が証明している。)

 ● 天皇は日本社会における権威の中心にいる。勲章も位階も、天皇からの距離をあらわしている。勲章の大好きな人たちは、この権威主義が好きな人たちだ。

 ● そもそも民主主義の世の中に、生まれながらにして他の誰よりも尊い個人がいるのはおかしくないか。

 ● サッカーで「ニッポン、チャチャチャ」(引用者ロック注釈: これはバレーだね、サッカーなら「ニッポン、ニッポン」、まぁ象徴的キーワード類として使ったとしよう)をうたう ぷちナショナリズムな風景のなかに、天皇の居場所はない。天皇制を維持するために日本の税金のうちどれだけのコストを払っているかを知ったら、かれらはそんなもの、もう要らない、というかもしれない。

 ● 住まいと移動を制限され、言論の自由も職業選択の自由もなく、プライバシーをあれこれ詮索され、つねに監視下に置かれている。こんな人生をだれが送りたいと思うだろうか。

 ● (注: 上に続いて・・・) 失声症や適応障害になるのも無理はない。(←注: もちろんマシャコしゃんのことだね。)

 ● 制度に安楽死をしてもらうことで、制度の中の人間に生き延びてほしい、わたしはそう思っている。

.....................................

まさに啖呵を切る、という感じの言論。だれか他に、大手紙上でこれだけスパッと『天皇制』をやっつけてる言論人はいるだろうか? いないかもね。いる?

うーん・・・だれかな? それとも「知識人」ってのはシンプルな論理展開は気恥ずかしい人種(人種差別?)? 回りくどいのが好きってことかい? ただそれだけなら、その「知識」は飾りだな。飾りと言っても「粉飾」かもね。そういうことじゃないなら、勇気の問題? アティチュードの問題かな?

要するに単純明快な正論だが、そのシンプルな本来「当たり前」と言っていいくらいのことを、日本では言論人をはじめとする「有名人」が口に出し、筆にするためには、相当なリスクを覚悟しなければならないのが日本の「言論・表現の自由」の実態だ。もちろん最早60年を経過している(アジア及び太平洋戦争)「戦後」の日本の話である。遠くは深沢七郎を見よ。比較的近年では、本島等(当時・長崎県知事 → これは当時この「日記」を書いた時のうっかりミス、正しくは「知事」でなく「市長」)を見よ。

したがって、ここまで言い切り、書き切る言論人は、きわめて珍しい。だろ? みんな、回りくどく言い、回りくどく書いてるだけだもんね。あるいは事実上「何も書かない」「何も言わない」とか。少なくとも、上野千鶴子がそういう言論人ではない、ということはよく分かった。単純にその意味において、この言論は日本では「稀有」と言ってよいかもしれない。僕の意見? 同じです。

(ちなみに、今の憲法第一条はなくして、コーゾクは京都に帰る、「伝統の」儀式でも続けて暮らせるなら暮らせばよい。上野が紹介する「文化財天皇制」の考え方は、不肖ロックが常日頃考えていて時折り口にも出していた「『天皇』文化家元制」論とほぼ同じである。ただし付け加えると、上野が揶揄して書いてるほどにはシニカルな「案」ではない。結構まじめだよ。まぁいきなり廃止は現実的には起きないだろうってリアリストの眼で思案したまでのことだけど。・・・ただし勲章発行はやめようよ、いくら何でも。一番下らないもん。

でも、要するに京都に帰ってもらって、儀式でもやり続けて「伝統文化保存会」にでも支援してもらうってのは、現「体制」維持よりは一考の価値あると思うよ。ただし維持・保存支援者から十分なカネが集まらなければ食ってはいけない。世のその他の「伝統文化」保存に税金が使われている、国の税金だってセイゼイその程度だ。国民が選んだ「代議士」によりそんな法案でも通ったならね。

だからもちろん、今の憲法第一条は要らない。憲法改正だ! 国や国民の象徴だなんてとんでもない。国民はそもそも本来頼んでもいないんだから。

・・・ で、テンノー一家は普通の「人間」になるのだ。本当の「人間宣言」せにゃぁ(ホントは宣言するほどでもなく「人権」は得られるべきですね)。そうなりゃ参政権だってあるし、当然、税金も払ってもらわなきゃいけない。世の「家元」一家のように大抵は長男か長女が継ぐなら、一家の残りは興味ある仕事でもやってみればよい。今はコーゾクから下りなきゃ、やりたい仕事もできないんだから。そもそもそういう意思も希望も生まれないのが今かもしれないけど。

だけど、ホンちゃんも長女も長男も、儀式の維持保存の支援者が減って食えなくなれば、それは保存しなくていいってことになれば、名実共にコーゾクやめてサラリーマンでも大工さんでも何でもやってもらうしかない。あるいは「自由恋愛」(しご?)してでも色気使ってでも玉の輿に乗るとか。

・・・ そもそも、「伝統の」儀式だってコーゾクの皆さん自身すら要注意ね。自分達は大和朝廷の時代から引き継いできているものなんてとんでもない誤解しているとしたって、古来の伝統なんかじゃなくて明治以降の天皇中心の大日本帝国憲法体制(でもこれが『天皇制』という言葉の意味するところのものだね本来)下で新たに始められたり考案されて作られたような、なーんにも長い歴史も伝統もない儀式が実際には多いんだろうし。伝統なんかないかもよ。それでも何百年も黙って続けりゃ「伝統」化するかもしれないけどね。以上の括弧内は不肖ロックのコメント。たいへん長くて失敬! 不敬?)

.....................................

天皇や天皇家、皇室に対してという意味でなく、文体、筆致として些か乱暴な文章でしたが、今あまり時間ないし、だんだんお腹が空いてきたし、とにかく推敲してる時間もないので、15年前の文章、そのまま掲載して(字下がりや段落変えの一部だけ改めました)、投稿してしまいます。

徳仁さん、誕生日おめでとう。まぁいつ生まれようが、少なくともこの世に生を受けた人間の一人という意味においては、あなたの「生」も私の「生」も、あなたの「命」も私の「命」も等価です。

同世代ではないか。会ったことも話したこともないが、お互いこれからも健康に気をつけて、せいぜい有意義な「人生」を生きよう。

http://dailyrock.konjiki.jp/nikki56.html#ueno (19年前の 2001年夏に html の本を買って独学して立ち上げた html だけの単純なホームページ、それから一切仕様を変えてない旧態依然としたウェブサイトです)

WAR ー From Bob Marley (Feb 6, 1945 – May 11, 1981) and the Wailers 1976 album "Rastaman Vibration"

Until the philosophy which hold one race
Superior and another Inferior
Is finally
And permanently
Discredited
And abandoned
Everywhere is war
Me say war

..............................

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた 残りの英語歌詞 を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?