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#ポールサイモン
テルアヴィヴ/48イスラエル 〜 ディアスポラ博物館を訪ね, 街ではパレスチナ人達にも会い(1983年10月6日から翌7日)
ディアスポラディアスポラというのは民族離散を意味して, 語源を辿ると植物の種などが撒き散らされたものという意のギリシャ語に行き当たるらしい。そういえば我が家の小庭でも何処(いずこ)からか「風に吹かれて」(本 note 第6章)やってきた種のお陰で意外な花が咲くことがあって, ディアスポラの語源を想うと「うーむ, なるほど」という感あり。 ディアスポラが一番よく使われるのはユダヤ人に関するそれだが(今日の note の「ディアスポラ」博物館はテルアヴィヴ大学の構内にあるもので
エルサレム旧市街と「ホロコースト記念館」(ヤド・ヴァシェム) 〜 エルサレムの東西; パレスチナ/イスラエル見聞録, 1983年10月3日
1. 1983年4月26日に日本を発って, 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時
ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 4曲歌詞和訳つき
* 2022年6月11日, 本アルバム収録曲 "Gone at Last" の歌詞を和訳し note にアップしたので, 本 note にもそれを加え, note タイトル該当部分も「3曲歌詞和訳つき」から「4曲歌詞和訳つき」に更新した。 グラミー賞 最優秀アルバム賞 受賞(1976年)本作は 1976年のグラミー賞最優秀アルバム賞受賞作。ポール・サイモン(1941年10月13日生まれのポピュラー音楽界の小さな巨人, 今年の誕生日で80歳)は自身が殆どの収録曲を作詞作曲した
フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 シネイド・オコナー, 結局「宗教」 〜 一方で リチャード・ドーキンスもただの「無神論」カルト偏屈爺いだった
フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 1) ガリレオ・ガリレイ, そして ヨハネ・パウロ2世 以下の note から, この下に転載。 第2章「フィレンツェと言えば 〜 ルネサンス」の次の, 第3章「フィレンツェと言えば 〜 ガリレオ・ガリレイ」より(絵を挟んで計4段落)。 2) ヨハネ・パウロ2世 以下の note から, この下に転載。 第1章「ヴァチカン市国 〜 写真 3枚」より(1段落分), その下の ヨハネ・パウロ
「恥知らず」の朝日新聞 〜 イスラエルによる国連安保理決議 違反の「占領」継続、ジュネーヴ条約違反の占領地への入植を「既成事実」化して無批判に垂れ流し、果ては違法に違法を重ねるイスラエルによる入植地ビジネスを推奨する、「厚顔無恥」な「傲慢無知」新聞
ここまで問題がある記事も珍しい最初にことわっておくと、本 note 投稿タイトルにおける朝日新聞に対する「恥知らず」「厚顔無恥」「傲慢無知」といった罵り(もちろん罵っている)の言葉は、以下に紹介する二つの note 投稿の投稿主によるものではない。こうした言葉遣いはあくまで 本 note 投稿の筆者個人によるものである。 イスラエル(1947年の不当な国連パレスチナ分割決議とシオニスト民兵によるアラブ系=現在言うところの「パレスチナ人」に対する民族浄化と第一次中東戦争におけ