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現代社会、繋がりは切れやすい
3年前のこの頃と同じことを繰り返すかもしれない。
また悲しい思いをするのか。
この1週間、私はこんな気持ちを抱えている。完全なトラウマ。
3年前、ある人に突然、ライン、インスタ、Twitter、フェイスブック、全てのSNSをブロックされた。なんの前触れもなく。
つい2日前まで普通に会話をしていたと、私は思っていたから衝撃だった。ショックだった。何ならその1カ月前には会って楽しい時間を過ごしていた。
理由は解明されないまま。
本人に直接聞くことはできない。憶測だけが自分の頭の中で飛び交っている。
どうして?
私の全てが拒否されたかのような感覚。全否定された気分で、勉強していても手付かずになってしまった。
と、同時に人が怖くなった。
私は人と会い、しゃべることを努めているが、根本の性格は人がとっても苦手。新しい人に会うのは実は気が重いし、すごくドキドキしてしまう。そうは見せないよう、反対の行動をとっているが。
今回ばかりはその本来の性格が前面に出てきた。人が怖い。あの人もその人も、みんないつかは簡単に私を切り捨てるのではないか?
SNSが普及してから、人々は簡単に繋がりを切ることができるようになった。気楽に繋がれる反面、ブロックというワンクリックで断絶ができる。
携帯電話がなかった時代はどうだったんだろうか。少なくとも対面や声(固定電話)、手紙、といったその人の人物像が想像できるものによって他者と繋がっていたと思う。相手がどんな人で、顔を思い浮かべることができて、だから自分の中でリアルなその人自身が形成されているから、いざ、仮に繋がりを断つという状況に直面したとき、その人がちらつくはず。
これがストッパーになっていたのではないかと思う。
一方、ラインはアカウントの写真は見れたりするが、平面の画像にすぎず、デジタル化された文字はその人の様相を示さない。画一化された文字の羅列。キャラクターがなく、スマホの向こう側の人止まり。
実際に対面で初めましてをして、仲良くなって連絡手段としてこうしたツールに移行した人たちのつながりはそのまま簡単に消えることはないが、一方、知り合い程度やSNSで初めて繋がる人は、そうではないだろう。
情がわかない分、簡単にブロックボタンをおせる。
今回の私の場合はグレーゾーン。小学校の同級生でなかよかったんだけど、中高大と別々で連絡も知らなかった。大学生の時にSNSで突然お友達申請がきて、そこから繋がった。共通の友達もいる。
国外に住むようになってから、私にとってSNSは日本にいる友達らとの重要なコミュニケーションツールとなった。年に1回会えるかどうかわからない人々との繋がりを続けるために、私は更新をし、リプを飛ばし、メッセを送り合う。
だからか忙しいからか返信が一週間以上帰ってきない場合、ブロックされているのではないかと、あの時のトラウマの記憶が頭をよぎってしまう。敏感になっている。
縁が切れる怖さ。
良くも悪くもSNSの便利さが生み出した今の人々の繋がり方。希薄といっていいのか、手軽といっていいのか。
この2面性は時に有益をもたらし、時に人を傷つける。