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ベネチアでくすぶるコムーネからの独立の声

ベネチアといえば「水の都」と名高く、多くの観光客で年中賑わっているイメージ。

しかし、この美しい印象を作り出す「水」が災いし、この街は11月、記録的な高潮に見舞われ、大聖堂などの歴史的建造物や小売店、住宅など街の8割が浸水被害に遭った。

原因は、この時期特有の季節風に伴って頻発する高潮と、気候変動に絡むイタリア全土を襲った暴風雨が不運にも重なったこと。

甚大な被害をもたらしたこの災害は、ベネチアが長きにわたり抱えてきた社会問題の深刻さを露呈させた。

その問題とは

・上に述べた高潮

・観光客の急増に伴う住民減

・観光被害(歴史的建造物、街中のゴミ問題など)

が主に挙げられる。

沈静化していた本土からの分離を求める声が高まった原因で、これが住民投票を実施するに至った。


この本土からの分離とは何か?

ベネチアは、ベネタ潟上の島(ベネチア本島)に築かれた都市。かつては自治権を有していたが、1926年に当時のムッソリーニ政権の下、周辺の小島や、メストレ(Mestre)などの本土側も市域に含む自治体(コムーネ)としてのベネチア市に組み込まれた経緯がある。

ベネチア住民が訴えるのは、このコムーネからの独立で、つまり自治権を取り戻したいわけだ。

そうすれば、喫緊の課題である自然災害からの本島の保護や人口減の問題に注力でき、これらの課題を解決できる、と分離支持派は主張する。

そこで、行われた住民投票。

だが、

いざ蓋を開けてみると、賛成票を投じたのは66%と過半数を超えたものの、なんと投票率はわずか21.7%。投票が有効とみなされるには有権者の過半数が投票しなければならないため、無効となった。

地元メディアによると、有権者およそ20万6,000人のうち、票を投じたのは4万5,000人程度だったという。

分離支持派は、今回の高潮で市民の間でも独立の声が高まっていることを受け、勝算があったとしていたが、飛んだ誤算に終わった。


本土からの分離を問う住民投票を巡っては過去40年間で今回が5度目。

1979年からこの議論が活発化。同年には初の住民投票を実施し、1989年と1994年にも実施したが、いずれも残留派が分離派を上回った。2003年の投票では投票率が50%に届かず、無効となっている。


ちなみに、

現在のベネチア住民は、わずか5万5,300人に満たない。60年前から半分以下となっている。

一方、ベネチアを訪れる観光客数は年間およそ2,500〜3,000万人と言われている。

私はベネチアに行ったことがない。

モヤさまを見て、ミラノに行き、さま〜ずが行った店、レストラン、観光地、お土産やさん、街、すべてのルートをその通りに巡礼した。



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