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感性を豊かにする芸術の秋
”○○の秋”といえば、どんなことをイメージしますか?
スポーツの秋
読書の秋
食欲の秋
芸術の秋
暑い夏がいつからか気温が下がり、いつしか涼しいと感じる日が続きますね。今はもうすっかり秋。地域によっては、冬だよ、ストーブ出してるよ!っていうお家もあるかと思いますが、それはご愛敬ということにしておきましょう。
今回は”芸術の秋”について綴ってまいります。
芸術は爆発だ
岡本太郎さんの超有名な名言ですね。
”作家の心の中でなんらかの爆発が起こることによって芸術は生まれる。また、芸術を完成させるためには莫大なエネルギーが必要であり、そのエネルギーは精神の爆発によって生み出される。
さらに、芸術は受け手の心にも感情の爆発を呼び起こす。芸術はあらゆる意味で爆発なのである。”
※JLogasさんより一部抜粋しています
わたしはこの名言がとても好きです。芸術に限らず、何にでも当てはまることだと思います。仕事、趣味に芸術が感じられなくても、自分の精神から生み出されるエネルギーは、行動する原動力のはずです。
エネルギーの精神が爆発することが起これば、日々成長できますし、仲間とともに前進するパワーとなるはずです。
わたしは結構な現実主義の人間でした。その考えを大きく変える本当出会いました。
13歳からのアート思考 著者:末永幸歩
わたしは美術館へ行っても、ただ絵を見て説明を読むだけで、作品をただ鑑賞した、ただ見ただけの気持ちで終わっていました。翌日には、絵を見たことなんて忘れているくらいです。
この本に出会ってから、芸術とどう触れ合うのか?考えるのか?そんな新たな視点を得ました。
例えば、作品の中に池の絵が描かれていたとします。
今までのわたしは、
「池だな。上手に描いているな」
ぐらいしか思いませんでした。
そんな感想を聞いても、誰も感動しないし、この人つまらない人だなって見向きもしないでしょう。
しかし、絵を見る視点を変えると、このように捉えることができます
「もしかしたら、池の中に魚が泳いでいるかもしれない」
「もしかしたら、カエルがもうすぐでてくる池なのかもしれない」
まさしく、想像すること、妄想することです。そこから広がる考え、感性が自分の心を豊かにするきっかけとなり、芸術を楽しむことに繋がっていきます。
わたしは、このようにイメージして文章を築くているだけでも、心が弾むような感覚を得ています。
芸術を作りだす ”ゼロ→1へ”
突然の質問ですが、ご自身でなにか芸術を制作されていますか?
一般的には、絵を描く、作曲、ものを作る、文章を書くなどが考えられますね。
しかし、「これが自分にとっての芸術だ」と考えれば、なんでも芸術となるはずです。
ことば、しぐさ、それが仕事なのかもしれないですし、いろんなことが芸術として考えることも価値観を広げるチャンスです。
私の芸術活動は音楽制作(DTM)をしています。
※DTMとは? ドスパラさんのサイトへ
昨年、PCをMacしてから、DTMで作曲をするようになりました。そして、今ではボーカロイドを使って、娘のイラストとコラボしてYOU TUBEチャンネルを作り、アップしています。まだ曲数は少ないのですが、これから、わたしの芸術活動の一環として、感性を磨く訓練として続けていきます。
こちらが娘といっしょに立ち上げたYOU TUBEチャンネルです
「08ちゃんとパパ/My Bear」
作曲を通じて勉強になることが多くありました。
・イメージをどのように具現化するのか?
・作詞がこんなに難しく面白いとは思わなかった
・ボーカロイドを使うと、リアルでの歌い方が上手になる
・音楽とイラストをマッチさせる楽しさと難しさ
・時間と労力を掛け合わせることにより、実力が上がる
・妥協する判断
芸術とは、ゼロから1を作り出すことだと思います。もちろん、これは芸術に限らず、仕事においてでも同じです。それをすべて芸術と捉えたなら、世の中は芸術品だらけであり、毎日アートを目の前にしていて、アートとともに生きていることになりますね。
勝手ながら、わたしはそんな妄想をするだけでワクワクします。
DTMにチャレンジしていますが、それを始めたきっかけは、わたしが若い頃にバンド活動をしていた経験があったからです。その時も作曲はしていましたが、プロとしてやっていたのではないので、クオリティも期待するようなものではございません。
しかし、Macを用いて、動画編集がやりたくて昨年macBookを購入しました。DTM用のソフト「ガレージバンド」がデフォルトで入っていましたので、DTMの心に火がつきました。
今年になり、TV番組「関ジャム」を見て、ボーカロイドの存在とその面白さを知り、ボカロPになりたい気持ちを抑えられず、ボカロソフトを購入しました。
ボーカロイドは「鏡音リン・レン」を使っています
作曲をすることは難しく感じる人もいるかもしれませんが、作曲を簡単に捉えるなら、”はなうた”は立派な作曲です。私はその”はなうた”から作曲していくことが多いです。
いざやってみると、コード進行があらかじめあった方が、楽なのではないか?って思うこともありますが、今の段階は自分がやってみたいことを訓練している状態であり、その訓練が身についた頃に、次へのステップも見えてくることになるはずです。
ボーカロイドを取り入れてみて、音楽の新しい観点を得られました。
ボーカロイドとは?
DTMでは打ち込みと呼ばれる作業にてリズム、メロディや歌詞を入力していきます。特にボカロの歌のパートではそのまま打ち込むと、人間らしくはなく、機械的な声になってしまい、せっかくの曲が台無しになるなんてこともあります。1音、1語ずつ丁寧に、音量やしゃくり、ヴィブラートなどを調整することにより、人間らしい歌い方に変身するのです。
この作業を「調教」とボカロ界では呼んでいます。
この「調教」が楽しい!
調教をして、イメージ通りの歌に変わっていくさまは、わたしがこの子を育てているのだという、優越感に似たような思いも湧いて出てきます。
この子が映えるような歌にしよう、そんな想いがモチベーションとなっています。
DTMは思った以上に簡単で面白い作業です。もし始めたいと思ったのなら、無料ソフトも検索すればヒットしますので検索してみてください。ボカロに興味があれば、ボカロの音源と一緒に、音楽制作ソフト(DAW)も一緒についてくるものもありますので、是非ご検討してみてください。
ちなみに、わたしはMacのガレージバンドから、ボーカロイド「鏡音リンレン」を購入した時に無料でついてきた、「Studio One」に変更しています。
芸術と空手の演武
私は空手を志して28年になります。今は指導することが多くなっていますが技の探求はやめておりません。
空手といえば、東京2020でも記憶が新しいと思います。形では迫力のある演舞と見惚れるような礼儀作法と振る舞いに目を奪われました。
東京2020 空手形競技男子 喜友名選手の演武
※groin.jpさんのサイトより
空手はもともとは身を守る術、大きく捉えると国を守術でありました。時代の流れから、素手で戦うことはなくなり、競技や健康面などさまざまな目的で空手を楽しみ志す人がいます。
空手を競技で考えると、「形」と「組手」に分けられます。
「形」は相手を想定し、多人数の相手と戦うための技の集合体です。
「組手」はお互いに技を繰り出し、どちらが勝つか負けるかの勝負です。
こんな説明をすると、殺伐とした、特別なことをするのか?と感じてしまいますが、そうでありません。
私は空手を芸術と捉えています。
動きの一つ一つを優雅に表現し、軽やかで白鳥が舞うようなイメージで動き、止まる。
ある指導者はこんな注意をすることがあります
「なにやってんだ、空手はダンスじゃないんだぞ」
この発言を聞いて、昔から違和感しかありませんでした。わたしは若かりし頃に、数ヶ月ソウルダンスをやっていた時期があります。そこでは、体を使って表現する楽しさと難しさを身をもって体感しました。
ものすごいレベルの高いダンスを目の前で見た時は、寒気がするくらいな衝撃は今でも忘れません。
ダンスは空手以上に体を使うことがあります。骨をどのように動かすのか?連携させるのか?その動かし方をするためにはどんな動きをすれば良いのか?
この問いの繰り返しは、空手の技を習得することと同じです。もちろん、空手でなくとも、すべてにつながっていることです。
”空手はダンスではない”と発言する人は、ダンスをやったこともないでしょうし、ダンスから学ぶこともできない人です。おそらく、どんなことに対しても、学びとろうとする考え方、転用する考え方ができない、かわいそうな人でもあります。
それが良い悪いではありませんが、学ぶということは一体何なのか?そんな問いは常に自問自答したいです。
*空手を芸術と捉えるならば
空手の動きは円の動きです。まん丸だったり、楕円になったり、方向が変わったり、トルネードのようなスパイラルになるイメージです。
もちろん、見ていて、真っ直ぐでカクカクした動きにしか見えないと言われればそれまでですが、見える部分と体の中のような、見えない部分の動きがあります。
例えば、相手に回し蹴りを蹴られた場合、手で受けるとします。受ける手を思いっきり力を込めて、太い丸太のような状態で受けると、相手とぶつかってしまいます。それで受けられれば良いのですが、相手が強い場合はこちらが怪我をするなんてこともあります。
受ける時は相手の力を吸収するような動きを、受ける手にさせる。同時に体の動きも一緒に力を吸収するような動きをすると、自然と弧を描く動きになります。
要は力の使い方が大切なんです。
話はそれますが、好きなマンガで「北斗の拳」があります。
北斗神拳の兄弟対決、ラオウとトキの死闘
ラオウは剛の拳
トキは柔の拳
わたしは柔の拳のトキに憧れていました。相手の攻撃を軽々とかわし、サバき、技を繰り出していく強さ。
最後は剛の拳に憧れて、ラオウに破れてしまうという、なんとも寂しい結末でした。この記事を書いていて、無性に北斗の拳を読みたくなってきました。
すいません、話を戻します
その力を抜く動きと円の動きが重なると、まるでフィギュアスケートの選手が氷の上を軽やかに滑るかのような動きになっていきます。
そんな芸術を感じさせる、感じられる空手を目指して日々修行に励みます。
芸術、アートを極めるために
世の中のことをすべてアートと捉えてみると、全く違った世界に映る。
これはあくまで、わたしの感性ですが、そう思うだけで楽しくワクワクしてくる。
人間関係での悩みがありますが、それをあえてアートと捉えるなら、わたしはこれからどのような姿勢でその人と接してみようか?
芸術とは見に行くものでもあるが、今ここ、自分で感じること、自分で作り出すことができるものではないだろうか?
人との会話も歌であり、詩である。
雑音だと思っていた生活音も、まるでフルオーケストラのような協奏曲に変わる。
車の渋滞でノロノロ動いている車は、ヨーロッパのお城の庭にある噴水のようにも見えないだろうか?
わたしは長年そんなアートの心を忘れていたし、アートに触れることをしていなかった。これからはすべてがアートだと捉えて生きてみたい。
なんだかワクワクとドキドキに満たされている。
今日は一体どんなアートに出会えるのだろうか?
そして、わたしはどんなアートを作り出せるのだろうか?
見るものすべてが美しい、素晴らしい国ニッポンだ!