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「果ての海」を読んで

花房観音さんの「果ての海」を読み終え、私は放心状態にいる。

昔、日本で起こった殺人事件「福田和子ホステス殺人事件」が元ネタとなっている。

表紙にある場所は日本でも有数の自殺&観光の名所となっている「東尋坊」。実際の福田和子が時効寸前に潜伏していた地が福井県であり、この物語も「東尋坊」に程近い福井の地である。




福井、日本海という場所

なぜ、サスペンスストーリーに海があるのか?
そして、断崖絶壁と荒波がワンセットである。

日本海の海は荒い。
特に冬の日本海は強い風と荒々しい波が断崖絶壁を打ち付ける。その様子がなんともいえない寂しさを連想させる。

これが太平洋の海では決して見ることのできない描写である。


著者 花房観音さんの生まれは兵庫県。日本海側に近い場所でもあり、生まれた時から、日本海独特の荒々しさと寂しさを感じながら生きていたに違いない。

そんなご自身が生きてこられた人生が、日本海の地の物語が自然とマッチしている。

 

日本海側の温泉は
いいとこいっぱい!




男性目線と違う「官能」

この作品の中で、私が一番印象的なことが、女性から見た男性の恋愛観だ。

花房観音さんの独特な官能的な性交渉の場面が何箇所も出てくる。そのたびに、

「男とはこんなにも愚かな生き物だったのか…」

と、ショックを受けるどころではなかった。


主人公の女性「圭子」が一回り程年上の男と関係を持ち、その後の男の変貌と圭子自身の心の変化が印象的であった。


この男は、私に同情しているのだ。
そしてその同情と情欲を、恋愛感情と勘違いしている。
同情して、見下して、優越感を得ることで、愛情と見せかけ支配を始める

「果ての海」より、一部抜粋


男女の関係においても、体の関係を持ったとたんに、今までの優しさがなくなる男がいる。

何故、あの人が…
あんなに優しい人だったのに…

と思っていたことは、まさしくこのことが当てはまる。


以前、故 加藤諦三氏が、著書の中で言われていたことが強く記憶に残っている。


ナルシストというものがいる。
それは、釣った魚に餌を与えない人である。

男が、女性を自分のものにした途端に、今までの優しさが嘘のように、女性に対して冷たく接しあしらう。

それは、本当の姿であり、ナスシストとはそのことを指す。


私のこと!!



さいごに

優しい男は、世の中にゴマンといる。
しかし、本当に優しい男は一体どれだけいるだろうか?

私自身、「果ての海」を読み、深く反省することばかりであった。


女性に対して、優しくしなければいけない。
何かあれば、助けることが男として大切である。

カッコつけの私は、下心がないといえば嘘である。
どこかで、気に入られたいといったスケベ心で満ちている。


しかし、私の心の奥底には、女性に対し同情し、優越感を得ようとしている自分がいることは否定できない。
そして、欲情と伴って、恋愛感情として女性を見てしまっていることが多々あったと感じる。


改めて自分自身を探る作品であり、今の自分にとってとても必要な価値観を与えてくれた。


日本のすべての男が読むべき作品である。


官能的なところだけ
読みました💘




今日のしつもん

最近、おいしかった食べ物は何ですか?



サイゼリアのペペロンチーノ

画像はイメージです


昔はダブルがあったのにな〜💘
それでもリーズナブルで美味しいです😊


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