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ゲームと熱狂。DQMSLと私。

私はなんのためにゲームをやっているのか。最近そんなことを考えることが多くなった。
最近ゲームをしていても楽しくないと思うことが多いと感じる。それは、私のゲームに対する姿勢に問題がある気がするのだ。
今の私は孤独を埋めるため、友達作りのためにゲームをやっているような気がする。
ゲームの中でやりたいこと、やってみたいことをするのではなく、ゲームをプレイしているという共通項を作ることで友人を作れないかと考えているのだと思う。
ただ、こんな姿勢では私が求めているゲーム友達はできないのだろうなとも気づき始めている。
心からゲームを楽しむ人のもとにこそゲーマーは集まる。


思えばいつから私はゲームを心から楽しめなくなってしまったのだろうか。
私は大学時代にDQMSL(ドラゴンクエストモンスターズスーパーライト)というソシャゲをプレイしていた。
ドラゴンクエストモンスターズシリーズのソシャゲ版で、ドラクエに出てくるモンスターを育成して戦うゲームだ。
このゲーム用にTwitterでアカウントを作成し、そこで友人と呼べる人もたくさんできた。あのときはゲームを自分なりに楽しめていたと思う。
正直に言うと、他の人が当たりを引いているのを見て羨ましくなってガチャを回したり攻略記事を見て強そうなキャラを育てたりと、人に流されていた部分は少なくない。
それでも自分なりに楽しめたと言えるのは一つ誇れることがあるからだ。ゲーム内で個人フェスを主催したことである。
あのとき主催したフェスには間違いなく「熱」があった。


DQMSLには「みんなで冒険」というモードがある。各自が育成したモンスター1体を連れて合計5人で一緒にモンスターを倒すモードだ。
通常は自分の育成したモンスターの中から最適解と思われるモンスター(大体は魔王と呼ばれるDQシリーズのラスボスたちだが)を連れて最速でクリアを目指す。
ただ熟練したプレイヤーたちからすると、最適解のモンスターをつれての攻略はあまりに簡単で味気ないものだった。
そこで私は、各自が出すモンスターに「縛り」を設けることで難易度を上げ、攻略をより楽しめないかと考えた。
そうしてできたのが「縛りフェス」だ。
まず、ホストとなるプレイヤーが縛りの内容を決める。例えば「赤いモンスター」や「羽が生えているモンスター」などである。そのホストが決めた縛りに沿うモンスターを各自が選びプレイする、というものだ。
それらのモンスターは最適解でないから普段よりも苦戦する。ただ、普段使わないモンスターを使うことでそのモンスターの新たな魅力に気づくことがある。
主催といってもやったのは開催時間と合言葉となるコードを決めたくらいだ。この遊び方に共感した人々が集まり、自然とフェスとして成立するようになった。
それでもフェスが終わったあとに感謝のリプライが来たときは本当に嬉しかったしやってよかったと心から思った。
本当に楽しいと思うことを企画して実行していたし、参加者も多くはなかった(とはいえ最大で30人くらいは参加してくれていた)がみんな楽しんでくれていたように感じる。
あの熱狂こそ私が今ゲームに強く求めているものだと思う。


自分の中でゲームに対しての姿勢を決め、それに没頭することこそゲームの醍醐味であり人々がゲームに熱狂できる理由なのではないかと思う。
確かにゲームには人をつなげる力がある。だがそれはゲームそのものがもつ特性ではなく、ゲームに熱狂した人々たちが持つエネルギーによるものだと私は考えている。
最近のゲームではチャットやボイスチャットなど様々な手段でプレイヤー同士が繋がれるが、それだけではLINEなどのコミュニケーションツールと何ら変わらない。(それ自体を批判する意図はない)
つながる人々がそのゲームを本当に愛して楽しんでいるからこそ彼らは繋がり、寝食を忘れるほど熱狂するのだと思う。

この熱狂を私は久しく味わっていない。義務感に駆り立てられてプレイするゲームほど虚しいものはない。
どうすれば以前のようにゲームを心から楽しめるのか。
また以前のようにゲームに熱狂したい。そんなことばかり最近考えている。

今回はこうやって文字にしたことで自分の頭の整理ができた。
気が向いたらまたゲームのことを書いてみようと思う。小学校や中学時代のゲームとの向き合い方についても整理したい。


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