喫茶店文学傑作選
中公文庫の文庫オリジナルとして『喫茶店文学傑作選』(二〇二三年九月)を編みました。喫茶店そのものを描いているか、または作中に登場して重要な役割を果たしている文学作品(小説と随筆)二十八篇を収録しています。明治から平成まで、夏目漱石「野分」から山田稔「街の片隅で」まで。おおよそ百年間、時代を追って、近代文学の変遷と喫茶店の盛衰を重ねた趣向です。
多くは前著『喫茶店の時代』(ちくま文庫、二〇二〇年)のために収集した資料が元になっています。この蓄積があったため「傑作選」をという依頼を軽い気持ちで引き受けました。簡単にできそうな気がしたのです。ところが、いざ取りかかってみると、そう甘いものではありませんでした。
まずは何より文庫アンソロジーとしてすっきり収まるヴォリューム(文字数)を考慮しなければならない。いくら喫茶店の登場する傑作であっても中編や長編は採ることができない。といって短文ばかりでも物足りない。この塩梅がなかなかに難しかったのです。長編の部分収録という奥の手を使ったものが四篇。それ以外は取捨を重ねた末のバランスとなりました。
もうひとつの問題は、やはり『喫茶店の時代』の性格を受けて、つい資料性のある作品を選んでしまうという編者自身の偏向でした。第一案を提出したとき担当編集者のF氏からこの点について指摘されました。要するに、いくら貴重な文献ではあっても、読んで面白くなければダメなのです。「小説を中心にしてください」という注文とともにF氏のチョイスとして野呂邦暢の掌編「昔はひとりで……」を示されました。
何よりもまず第一に文芸として質の高いものでなければいけない、そう思い直して大幅な作品の組み替えにかかりました。あれやこれや、文字数を気にしながらリストの入れ替えを続けました。マイナーながら力のある作家ということで水野仙子、中戸川吉二、浅見淵、小山清らを選んだ一方、どうしても文豪というか誰もが知っている名前も必要です。
喫茶店好きとして有名な森茉莉や植草甚一は躊躇なく選入しました。迷ったのは中原中也。「思い出す牧野信一」には喫茶店がチラリと出てくるだけなのですが、中也は入れておきたかったのです。ノートに作品名と字数を書き込んでは消すという作業を繰り返しながら、併行して未読の喫茶店小説も探し続けていたので、候補作だけは増えて行きました。ただしピッタリはまるものはほとんどありません。長すぎたり、店や時代がかぶっていたり、文学として弱かったり、理由はさまざま。
唯一の例外は上京していたときに五反田の古書即売会でふと手に取った写真家・鷹野隆大『写真日和』(ナナロク社、令和元年)です。一読「実録、ある日の27分間」をぜひとも収録したいと思いました。質も量も良し、そして写真家のエッセイという点も変化球として利いています。
そんな喫茶店文学パズルを楽しみながら第二案、さらに修正した第三案を出して、ようやくゴーサインが出ました。ところが、ここで最後の難関が待っていたのです。著作権です。編入を断られることはありませんでした。しかし、著作権者が誰なのか分からないというやっかいな問題が出てきたのです。
一人は古本的にはよく知られた漫画家。もう一人は大手出版社の社長経験者であり歌舞伎役者の子息。どちらもすぐに判明するかと思ったのですが、案外と難航しました。F氏は菩提寺まで出かけて調査してくれました。にもかかわらず継承者を見つけられませんでした。
もう一人、詩人の小野十三郎も分からないと言われました。小野十三郎は今でも大阪では第一流の詩人です。小野十三郎賞という文学賞も存在します。そして小野のエッセイ「大阪の道すじ」は喫茶店の本質を体験的に語ったもので、これはどうしても欠かせません。中公文庫が小野の著作権者を把握していないというのは文学における東西問題かもしれないなどと思いつつ、旧知の大阪の版元に問い合わせてもらって事なきを得ました。
結局のところ不明の二点は取り下げ、候補作から戸川秋骨「冷熱の喫茶店」を復活させました。戸川の作品は著作権保護期間(没後七十年)を過ぎているので問題はありません。
カバー装画は私が新たに描き下ろしました。常套的な図柄ですが、それだけに、いちばんしっくりくる、本とコーヒーカップを描いた油絵です。水のコップを脇に置くことで喫茶店らしさを出したつもり。カバーデザインは間村俊一氏。
F氏によるものと思いますが、「一杯の珈琲のように、薫り高く味わい深い作品集」という帯の惹句が気に入っています。機会があれば、ぜひ手に取ってご覧ください。
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