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あるある、とても大変な本である。床の間も、押入れも、廊下も、玄関も、本の山だ。


岩佐東一郎『随筆くりくり坊主』(書物展望社、昭和16年8月6日、装釘=少雨荘)
天の部分が真っ青に塗られているのも珍しい


函と扉

岩佐東一郎『随筆くりくり坊主』を頂戴した。これは嬉しいいただきもの。感謝です。あちらこちら拾い読みしているうちに全部に目を通してしまった。面白い。先に紹介した高橋輝次『戦前モダニズム出版社探検』にも登場しており、読んでみたいなと思っていたところだった。

岩佐の三冊目の随筆集で昭和十四年から十六年までの三年間に発表したエッセイから選ばれており、戦時下の世相を反映している部分も興味深いが、やはり古本に関する話題が多いのがたまらなく良い。

例えば「本好きの巡査」。高橋竹松さんという大森署山王交番勤務の巡査の話である。ある日突然、官服帯剣の警官が訪ねてきてビビったところ、新井宿の古本屋汲古堂から噂を聞いて訪問したということで一安心し、話し込み親しくなった。その後、招かれてその高橋さんの家を訪ねた。大変な蔵書だった。

 みると、あるある、とても大変な本である。床の間も、押入れも、廊下も、玄関も、本の山だ。流石の僕も、まさか、こんなには、と思つてゐただけに、うむうむと感心して了つた。然し、出された本の山を、あれこれと見たり、話合つたりしてる内に、この人は、唯やたらに本が好きなことが判つた。本集めに、何の系統も趣味もない。ただ、雑誌でござれ、本でござれ、眼につくもの、手にふれるものを集めたと云ふ風なのであつた。だから、珍書もある代りに、愚書も沢山ある。だが、それにしてもよく集めたものかなと敬服して了つた。

p117-118

さらに「夜店談義」の古本屋のくだり。銀座の夜店に出ている古本屋について簡明で要を得た情報が含まれている。

 数々の夜店の中で、先づ足を停めるのは、古本屋である。一番、本の数が多いのは、三丁目の三共製薬の前の店だが、目星しい本を持つて来るのは、尾張町の千匹[疋]屋の前に出る奥村と云ふ店が第一であらう。この店には、長いこと、僕の詩集「神話」の署名本が出てゐたが、もう売れたらしい。外函が汚れてゐるので、僕には何か傷々しい気持ちがして辛かつた。二丁目にも奥村と云ふ店があつて、兄弟で商売してゐるのか、相方の親爺の顔がよく似てゐるのだ。始めは、向ふの店で本を求め、こつちの店でも本を求めて、ひよいと顔をあげて親爺の顔をみた時、同一人物かと錯覚して、思はず、あつと声をのんだことを憶えてゐる。松坂屋の前に出る山崎と云ふ老夫婦の古本店は、和本、明治本などを専門のせいか、一番品物に面白味がある。この山崎老人とは何時の間にか知り合ひになつたので、よく立ち話しをするのも一興だ。青展の古顔で、青展の時には、実によく沢山の品物を並べてゐるし、他の古書展へもまめに顔を出して買ひ入れをする商売熱心な老人だ。この頃、明治製菓の前にも一軒古本店が出るが、まだ、余りなじないのだ。その他、三和銀行の角と、近藤書店の前に、ゾツキ本屋が二軒出てるが、この頃は、出版界の好況のために、ゾツキに卸すやうな不景気な出版屋もないと見えて、品物が殆んど変化ないのでつまらない。以前は、新刊本でも有名でない出版社の本なら、半歳も立たぬ内に、定価の何分の一の値段でゾツキ本に出るものが多かつた。内容のいい本が、新本同様の綺麗なままで、格安に手に入れることが出来るため、随分この二軒の店から買つたものだ。
 この他、古雑誌専門の店がシネマ銀座の前に出るし、五十銭三十銭均一の古本屋や、赤本類も四五軒あるが、僕には余り用がないので立寄つたこともない。

p270-272

奥村書店は演劇専門の古書店として今世紀初めまで銀座で営業していた。かつて小生も何度かのぞいたことがある。大正十二年頃に銀座五丁目の夜店から始めたというが、岩佐の言う《千疋屋前》というのがそれに当たるか。昭和二十六年に露天禁止となり実店舗を建てたという。系列の店もあった。

銀のキャラバン 銀座の古本屋・奥村書店
https://plaza.rakuten.co.jp/speakman/diary/200810300000/

山崎老人については安藤更生もその名を挙げて讃えている。

安藤更生『銀座細見』 銀座の夜店
https://sumus2013.exblog.jp/32747411/

もうひとつ、「兵隊の古本屋」というのも興味深い。

 馬込の南昌堂と云ふのは、昨年、中支戦線から帰還して開業した計りの、まだ若い古本屋なのである。店名の南昌堂も「南昌」に因んで付けたと云ふ。応召前までは神田の北澤本店に勤めてゐただけに仲々眼が利く。僕の家へ、名刺を持つて、何か不用の本があつたら売つて欲しいと云つて来たので、すこしばかり払ひ下げたのが縁で付き合ふやうになつた。

p290-291

もと麻雀倶楽部だつた家を改造した店を訪れると、鳥海部隊長に書いて貰つた記念の和歌二首を額に入れて壁に吊してあるのも帰還兵らしくていい。そのくせ、ちつとも戦争咄はしないで、本のことばかり云つてゐるのもいい、欲しい本や探してる本を話すと、すぐ手帳に控えて、しばらくすると、何処かしら捜して来てくれることもしばしばである。親切ないい青年だ。
 その南昌堂が、留守に置いて行つたと云ふ、机上の大型洋帳簿を、とりあげて見ると、表紙の背に「旅客切符元帳、日本鉄道株式会社」と金文字が押してある。頁をひらいてみると、どの頁にも、汽車弁当の上包みやら、宿屋の勘定書やら、名所絵図やら、案内記やらが、べつたり一ぱいに貼り込んであつた。一冊は東京から青森まで、別の一冊は東京から神戸あたりまでの、駅弁集成なのである。

p291-292

南昌堂は値段を言わずに置いて行ったのだが、だいたい3円か5円か10円だろうと予想した。翌日、南昌堂が来て5円だと言った。《適中価格と云ふところかな》と結んでいる。昭和十五年頃の5円はおおよそ現在の15,000円程度だろうと思う(当時コーヒー15銭から3000倍と計算)。このレベルのスクラップブック二冊の値段としては安いに違いない。

その他、『文藝汎論』や『ドノゴトンカ』など雑誌経営の実際を回顧した部分、あるいは、城左門や十和田操、岡崎清一郎らとの交友を描いた人物篇も興趣が尽きない。

奥付

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