出来上がってきた本の表紙を見て、私はあれっと思った
『海鳴り 37』が届いた。まずは、山田稔「文のひと、野見山暁治」を読む。昨年六月に亡くなった画家で文筆家の野見山暁治の思い出がつづられている。
山田さんは、まず、自著の装幀者として野見山と関わった。
ところが、山田さんは出来上がってきた本の表紙を見て軽い失望を覚える。
とこのように山田さんは書いておられるが、さて、どうだろう、野見山の描いた『コーマルタン界隈』のカバー画が《私の下宿のあった建物の入口の門と三階まで》なのかどうか?
実は小生、2010年にコーマルタン通り71番地の写真を撮っている。もちろん山田さんが滞在した1970年代とは様子も変わっているだろうが、テナントの種類が変わり、壁がきれいに塗り替えられたくらいで基本はそう変化していないのではないかと思う。その建物はこんな外観なのである。
扉の色は時々に塗り替えるため比較できないにしても、イラストでは門扉を囲むように具象的な彫刻が施されている。彫刻は窓の上部にもあって全体的にバロック的な装飾になっているようだ。扉の両側の商店のファッサードも全く異なる。コーマルタンの建物は扉の周辺がアールデコ風で、窓の周辺もスッキリとして余計な飾りはない。扉の両側の店もそれぞれが扉と同じアーチを持つショーウィンドーになっている。
《私の記憶に沁みついているこの下町の、色でいえばくすんだ灰色とあまりにも違っていた》としても不思議ではない。
コーマルタン通はパリ9区と8区の境目あたりに位置しており、オスマン大通りと直交する狭い通りである。オスマン大通りとの交差点あたりはギャルリ・ラファイエット、オ・プランタン、C&A、MONOPRIX、UNIQLO……などが立ち並ぶ賑やかな百貨店街であり、コーマルタン通を北上し、リセ・コンドルセやサン・ルイ・ダンタン教会をすり抜けて反対側に出ると、そこはサン・ラザール通り、サン・ラザール駅周辺の猥雑さがぐっと迫ってくる感じになる。小生は上野駅の周辺を連想したが、山田さんは京都の四条寺町だと書いておられる。
山田さんの著書では『コーマルタン界隈』の他に『マビヨン通りの店』(編集工房ノア、2010年)と『もういいか』(編集工房ノア、2024)にも野見山の絵が使われているが、山田さんにとって野見山は『四百字のデッサン』(河出書房新社、1978)をはじめとする文の人であった。後半はその一期一会の出会いが語られており、最晩年の野見山暁治がどんな様子だったのか、山田さんらしい筆致で楽しむことができる。
現在、練馬区立美術館で野見山暁治展が開催されている。案内ページに公開されている動画が面白いのでぜひご覧いただきたい。野見山エッセイの面白さはこの語り口にあるんだなと感嘆するしだい。
追悼 野見山暁治 野っ原との契約 <展覧会関連動画>
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202409061725590312