見出し画像

目の前を移って行く家々をぼんやりと眺めている時、実に不可解なことなのだが、一軒の二階の窓からライオンが首を出していた。


南陀楼綾繁編『中央線随筆傑作選』(中公文庫、2024年9月25日)

武蔵美の学生だったとき、小平市鷹の台に住んでいた。中央線国分寺駅から西武線で恋ヶ窪そして鷹の台である。言うまでもなく、吉祥寺や新宿へ出る、または上野の美術館へ行くのも中央線を使ったわけで、中央線なくして東京生活は考えられなかった。

また親しくなった武蔵美の後輩が新宿歌舞伎町のどまんなかに住んでいた。そこが実家だったのだ。遊びに行って泊めてもらったときに驚いた。早朝、まだ明けきらないころに、ぞろぞろと駅へ向かう足音で目が醒めた。新宿で夜を過ごした人たちが帰って行くのである。寝ぼけ眼でうとうとしていると、徐々に日が高くなり、今度は駅から役所などに向かう足音が、さきほどとは違って、やや高らかにザッザッザッと聞こえてきた。新宿の夜と昼、裏と表、が入れ替わる瞬間、その靴音の微妙な違いを印象深く覚えている。

卒業後も二年ほど阿佐ヶ谷に住んだ。本書の巻頭に「江戸と武蔵野が混ざる」を書いているねじめ正一氏のご両親が経営されていたねじめ民芸店にはよく通った(阿佐ヶ谷パールセンターにあったが令和元年閉店)。本書では阿佐ヶ谷について、種村季弘、唐十郎、友部正人、そして永島慎二「阿佐谷村の午後」という一文が収録されている。永島さんとは晩年しばらく親しくさせてもらったことがあるためひとしお感慨深く読ませてもらった。

 私の住んで居る所は、東京の中央線沿線、すなわち東京駅から高尾、八王子といった山の見える町のほうに向かってのびる国鉄線の新宿と吉祥寺の間にある小さな駅阿佐ヶ谷という、特急も止らない町の北口で、駅から歩いて約三分程のトコロにある。大正時代に建てられたという少しばかり大きな家の一角に、私はもう二十五年近くも下宿して居るのであった。この街を吹く風に惚れて、ホンノちょっとのつもりが、気が付いてみると四半世紀が過ぎていたという訳。この町をぼく等は阿佐谷村と呼んでいる。まさに人の出入りのはげしい都会の中の村なのだ。あの有名な作家太宰治と酒呑んでケンカしたことのある人が住んで居たり、私の下宿してる家の斜め向かいでは梶山季之氏がその無名時代にコーヒー店"ダベル"を営んでいたと云う話を、四つ角の渡辺金物店の主人に最近聞いてビックリした。大正から昭和にかけて色々な若者がいろいろなところから集まり、詩、絵画、音楽等々を目指して、その青春をかけて苦闘した所でもあるようなのだ。 

p29-30

編者解説によると『地上』1985年7月号に発表され『ある道化師の一日』(小学館クリエイティブ、2007)に収録されている。文中「ダベル」は《作家になる前の梶山季之が一九五六年に開いた酒場。文学青年や学生が多く集まったが、素人商売のため赤字続きで、一年ほどで閉店した(『積乱雲 梶山季之ーーその軌跡と周辺』季節社)。》(p264)

将棋の縁で永島慎二さんと知り合ったのは1988年だったと思うから、この文章が発表された少し後になる。《私の下宿してる家》にもお邪魔したことがある。まだ北口にアーケード商店街が残っていた頃で、たしかそのアーケードに入ってすぐ左の路地奥だった。奥さんの実家だと聞いた。ギタリストの息子さんも離れに住んでいた。どうやら現在「ラピュタ阿佐ヶ谷」が建っているあたりになるようだ。それから2005年に亡くなられるまで(最晩年には阿佐ヶ谷から引っ越されたが)、新宿の上述の友人宅や奈良、神戸などでお会いして将棋を指したりことが懐かしく思い出される。

同じく南陀楼氏編になる中央線小説集もたしかに傑作揃いだ。

『中央線小説傑作選』(中公文庫、2022年)
https://sumus2013.exblog.jp/32622242/

ただ、個人的には随筆の面白さを改めて感じさせてくれる本書『中央線随筆傑作選』を強く推したい。粒よりのエッセイ揃いで、例えば、武田百合子や鈴木信太郎、伊藤礼などが印象に残るのではあるが、とくに驚かされたのは向田邦子「中野のライオン」と串田孫一「電車から見えた」のスバラシイ並び。これには敬意を表したくなる。

いいなと思ったら応援しよう!