![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155230832/rectangle_large_type_2_7c17903395de3235e9339c425082a8a7.jpeg?width=1200)
いつもいつも人絶へのせぬ繁盛な見世じや
![](https://assets.st-note.com/img/1726987529-luUiE39Fv0gML6BOQeZoP8tR.jpg?width=1200)
岩垣光定・作、守岡光信・画『商人生業鑑(あきんどすぎわいかがみ)』(宝暦丁丑初春序:1757)をいつもの均一コーナーで発見。かなり傷んではいるものの挿絵入りだと買いたくなってしまう。
![](https://assets.st-note.com/img/1726990818-GFXvRn9JlVoghdsCm3pkPY2t.jpg?width=1200)
巻一から五が一冊になっており、奥付のようなものはない。桃渓逸人序、岩垣光定跋にそれぞれ宝暦丁丑とあるのみ。岩垣光定については未詳。京都に住んでいた心学者か心学好きの商人のようだ。序の桃渓逸人も不明。友弟としてあるので著者の親友だったと考えておこう。絵師の守岡光信についても詳しいことは分からない。本書の他に『世間姑気質』(半紙本、五巻五冊、永井堂亀友作、明和九年(1772)正月刊)の挿絵も描いていたことが『浮世草子考証年表-宝永以降』(明和九年刊)に見える。永井堂亀友(ながいどう-きゆう)は戯作者。
京都の人。宝暦12年(1762)から安永9年(1780)の間に「風俗誹人気質(かたぎ)」「世間旦那気質」など気質物を中心に浮世草子15部を刊行した。俳諧(はいかい),狂歌もよくした。一説に大坂天満の与力で,狂歌師の八田氏ともいう。別号に兵作堂。
『商人生業鑑』は活字本も出ているようなので詳しくはそちらをご覧いただきたいが、ここでは、挿絵に書き込まれたセリフだけ読んでみる。読み違いはご教示を。
![](https://assets.st-note.com/img/1726990936-fe5Rl42PagmLXI0HbnqYt7vi.jpg?width=1200)
大こく道ハおがんだはかりでハやくに たゝぬよくよくいはれを きいて しんじんしやれ
いつもいつも 人だへの セぬ はんしやう【繁盛】な 見セじや
けんぎんかけねなし 呉服物
かねもふけの 玄か玄か
![](https://assets.st-note.com/img/1727003615-iF56XgT0r4AxqnRCkSPhGWj3.jpg?width=1200)
ちと其元に お願申したいぎか ござります 茶見セまで ごさつて 下さりませ
![](https://assets.st-note.com/img/1727003687-ZgxDrJk8HvOV04XEI5iynpuQ.jpg?width=1200)
なんじや 万日開闢帳とハ これハきんねんの しゆかうじや きりやう一ツはい つきましよ
御こゝろもちしだい よろしう御たのみ申上ます
あれ御きゝなされ よいしゆかう【趣向】の
すへたのもしい男で ござります
万金丹 六味/八味 地黄丸
![](https://assets.st-note.com/img/1727003825-M7OrJEhWw4PKnvITNZa306Q9.jpg?width=1200)
ずいぶんかぎやうを セいにいれめされ
こんじきの仏道とハ これじや
なんしやかしらぬがめつたに ありかたいことじや
ほんの光[かう]めうへんじやう【光明遍照】 十方せかいとハ 此ことじや
![](https://assets.st-note.com/img/1727004064-MngUQT1Sq7jLARGdWH8takyN.jpg?width=1200)
御きやう よむのやら まんぢう うるのやら しれぬ
これから見てハ 上かた【上方】の しつぽく【卓袱料理】ハ なんでもない ことじや
![](https://assets.st-note.com/img/1727004168-56HGcptZf2a8oYO0v7FMCsWP.jpg?width=1200)
そこもとの 身のうへが くハしう うけたま ハりたい
むびやうそくさい きらくなおやじめで ござります
![](https://assets.st-note.com/img/1727004251-g7eECcwA5jtZSFmOnBVQkz4y.jpg?width=1200)
ごいけんハ ごもつとも じやが 小ごへて いふて 下され
【半ページ欠】
![](https://assets.st-note.com/img/1727004321-ZAoTG12ycuOq9FJBgIrXR7Qm.jpg?width=1200)
ずいぶん帳面の まちがハぬやうに めされ
其しるしハ なんじや ちよと見たい
前将軍吉宗が6月に死去して10月から始まる宝暦(1751-1764)は安定と繁栄の時代であり、変革が兆し始めた時期でもある。安藤昌益の『自然真営道』刊行(宝暦3)、山脇東洋らの死体解剖(宝暦4)、竹内式部による尊皇論の弾圧(宝暦8)、平賀源内による湯島の物産会(宝暦9)、賀茂真淵『万葉考』成立(宝暦10)などなど。『商人生業鑑』の挿絵で見る限り、そうとうにバブリーな時代であったようだ。