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すると娘はカルメン風な服装をしてタンバリンを持って、テーブルの上につきたち巧みに踊りだすのである

南陀楼綾繁編『中央線随筆傑作選』(中公文庫、2024年)のなかに拙著『喫茶店の時代』(ちくま文庫、2020年)に補っておきたい一節を見つけたのでここにメモしておく。

福田清人「中央線雑記」のなかに出てくる《Uという酒場》。福田は1904年長崎県生まれ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。昭和4年(1929)第一書房へ入社し『セルパン』初代編集長を務めるなどした後、文筆生活に入った。

 学生時代の三年、僕は東中野にいた。大正の末、昭和初年のプロレタリア文化運動の華やかな頃で新しいものの芽生えというよりデカダンスの気分も交錯した空気があの辺一帯に濃厚であった。末梢神経を刺戟するような酒場、喫茶店にはその気分の反映が見られて東中野の駅附近に次次に出来るそんな店には、左翼雑誌のポスタア、芝居のビラなど貼られ、髪の毛の長い青年たちが盛んに議論を戦わせていた。
 Uという酒場などその代表的なもので、殺風景な下宿から、夜更け出かけてゆくと、新しい思潮と酒に陶酔した人人の風景が常に眺められた。国禁の歌をうたう朝鮮の学生、それと握手する画家、そうした人たちのなかに、雑誌の写真などで顔を知った作家なども現われてきた。村山知義や、林房雄や、結婚式に列席した帰りだという紋服姿の細田民樹や、そしてその酒場の娘の詩稿を眺めている吉行エイスケやーーすると娘はカルメン風な服装をしてタンバリンを持って、テーブルの上につきたち巧みに踊りだすのである。拍手と朗かな笑声がおこる。煙草と呼吸に空気はにごりきっていても、狭いその場所はかえって酔いしれた身に快く、みなは同じような気分に浮いている。

p70-71

文中《Uという酒場》は相良よし子が経営していた「ユーカリ」であろう。相良はダンスホール・フロリダのダンサーを経てジャズ歌手のパイオニア水島早苗となる。相良は「ヨッちゃん」「ヨッぺ」と呼ばれ、植草甚一によれば不良少女(モダンガール)の第一号らしい。昭和三年には「ユーカリ」のすぐ筋向いに百田宗治が引っ越して来たりもしている(詳しくは『喫茶店の時代』p261-263)。

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