姫路で木山捷平展が開催されるからというわけでもありませんが、いや、それもありますが、「ヤフー!フリマの割引で何か買うものないの?」という神の声に従って検索していましたところ、この『見るだけの妻』がヒットしましたのでポチしてみました。
俳句と短いエッセイを集めた遺稿集です。巻末の木山みさを「病床記」が読ませます。
ここでは「雑司ヶ谷」という一篇から少し引いてみます。木山は大正14年(1925)に上京して東洋大学文化学科に入学していますが、当時、雑司ヶ谷に住んでいたことがあるそうです。当時は東京府北豊島郡高田町雑司ヶ谷です。
内堀弘『ボン書店の幻』(ちくま文庫、二〇〇八年)によりますと、昭和六年頃、後にボン書店を設立する鳥羽茂(とば・いかし)は《東京市外高田町雑司ヶ谷五二〇》の坂本哲郎の家(日本詩壇社)に同居していました。そして昭和七年五月『前線』(大阪日本前線社)二十四号に北園克衛詩集『若いコロニイ』の広告が掲載されますが、その発行所であるパルナス書房の住所は《東京市外高田町若葉》となっています。パルナス書房で鳥羽は『新鋭詩人選集』の編集にあたっていました。ところが同書房は経営破綻して選集は実現しませんでした。その詫状に印刷された鳥羽の住所は《東京市外高田町雑司ヶ谷五一六》です。このすぐ後にボン書店を開業したようです。
大正四年九月発行の「番地入/改正町名/市区改正/名東京市街全図」(金松堂)ではこんな感じです。まだ高田村ですね。高田町になるのは大正九年です。昭和七年に高田町は巣鴨町、西巣鴨町、長崎町とともに豊島区に編入されました。
もう一点、昭和八年四月刊の「番地入最新東京市明細地図」(文彩堂)を掲げます。
木山の言う小学校は高田小学校(雑司ヶ谷二丁目、現在は豊島区立雑司ヶ谷公園)でしょうか。ならば墓地のすぐ南側になります。その頃木山が作った詩です。