いつ買ったのか記憶にないが、傷んでいるためか、高くはなかったはずだ。カバーがあるらしく、カバー付きならウン万円になるもよう。明治終わり頃から大正にかけてこういった漫画集というかカット集が人気で、いろいろな人の画集が発行されていた。小生も何種類か架蔵している。
夢二画集 春の巻
https://sumus2013.exblog.jp/32789442/
ヨヘイ画集
https://sumus2013.exblog.jp/32792281/
スミカズ画集 妹の巻
https://sumus.exblog.jp/12225663/
これら三人の画集にわずかに先立つのが本書『漫画と紀行』である。《漫画の多くは、冒険世界、新古文林、文章世界、早稲田文学、方寸、江湖、達観等に掲載したるもの、紀行の大部分は、毎日電報と東亜新報とに掲載したるものなり》と巻頭に書かれている。夢二画集、ヨヘイ画集はどちらも雑誌に発表したコマ絵を集めたもので未醒と同じやり方。ただ、スミカズ画集は、はっきりは分からないものの、書き下ろしふうな感じがする。
『漫画と紀行』から、まずは読書、本の登場する場面を紹介しておこう。
紀行文からは「四十年夏 御嶽詣」の茶屋のくだりを引用してみる。旧漢字は改めた。
もう一箇所引用したい。それは「巻末言」である。国木田独歩に対する友情と追悼の思いがあふれるいい文章だ。1906年、矢野龍渓は近事画報社の解散を決意したが、同社で多くの雑誌を編集していた《独歩は、自ら独歩社を創立し、『近事画報』など5誌の発行を続ける。独歩の下には、小杉未醒をはじめ、窪田空穂、坂本紅蓮洞、武林無想庵ら、友情で結ばれた画家や作家たちが集い、日本初の女性報道カメラマンも加わった。また、当時人気の漫画雑誌『東京パック』にヒントを得て、漫画雑誌『上等ポンチ』なども刊行。》(ウィキペディア「国木田独歩」)。本書が刊行される一年弱前になる明治41年〈1908年〉6月23日に病没した。
未醒が日露戦争の従軍記者となったとき、その画報通信が社内で不評で、呼び返せという声が起こったのを独歩がかばってくれた。独歩は未醒の発見者だった。
小杉未醒は刊行時に二十八歳。独歩はその前年、三十七歳を前にして歿している。