押入れの片付けをしていて見つけた雑誌『手帖』。発行人は矢倉年で発行所住所は京都市左京区下鴨泉川町六。甲鳥書林と同じ住所である。それもそのはず、甲鳥書林は矢倉と中市弘の兄弟(実の兄弟のようです)が戦前に経営していた出版社だった。戦後、二人は別々の道を歩むことになり、書林新甲鳥を中市が、甲文社を矢倉が発行人となって再出発している。
『手帖』は昭和21年に第一冊が出て、これで三冊目。中谷宇吉郎、鈴木高成、佐々木惣一、泉井久之助、伊東静雄、水原秋桜子、大山定一、三宅周太郎の執筆。144頁もあって、かなり濃厚な内容である。
ここでは水原秋桜子の「個展の季節」と題されたエッセイから銀座の画廊めぐりの様子をメモしておきたい。水原は八王子から東京の病院まで電車で通勤する医師である(むろん著名な俳人ですが)。荻窪まで来たときに電車の故障で降ろされてしまう。そこで骨董屋があったことを思い出して訪ねてみる。
ところが、じつは、その店はSその人が自分のコレクションで始めた骨董屋だったことが分かる。30円という値段は作者自身が付けていたわけだ。
電車が復旧して東京駅に着いたが、病院での仕事がなかったため、銀座の兜屋画廊で開催されている曽宮一念の個展へ向かう。
中略
それは安井曽太郎の若い頃のデッサンだった。西川君は安井のフランス時代の素描展が開かれているの知っているかと問うた。
中略
文中《林の画》はこのくだりの前に感想が書かれている滞欧時代の作品である。見終わった秋桜子は近くの珈琲店で休息しながら、近頃銀座にできた画廊のことを考える。(太字は引用者による)
もう少し行けば高島屋と北荘画廊もあるというが、昭和二十二年頃の銀座はまだ数えるほどしか画廊はなかったようで、無数の画廊が軒を並べていた頃しか知らない小生としては、これにはちょっと驚かされた。柴田ギャラリーは一階が書店、二階が骨董店で、三階が展覧会場になっていたそうだ。二階の一室には武者小路実篤の絵を主に扱う新村堂が神田神保町から移転してきていた。
珈琲店を出て、歩いているうちにもう一度どこかで休みたくなり、千疋屋の喫茶部へ入った。
この心地よい疲れの感じは、昔、学生時代によく銀座の画廊を覗いて回った頃に味わったものである。