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現在もなおわたくしを感動させるものといえば自由という一語を除いて他にはない
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本書は『時計の中のランプ La Lampe dans l'horloge』(ROBERT MARIN、1948)初版に収められているエッセイ「時計の中のランプ」、トワイヤンの扉絵、ラコスト城でのブルトンの写真、そして「人間戦線」の公開討論会でのスピーチを翻訳・再構成したものである。
訳者松本氏は巻末「訳者解題」において翻訳出版の動機をこう書いておられる。
「シュルレアリスム宣言百年」の節目に、数あるブルトンの著作から、なぜ本テクストを訳出したのか、それは第二次世界大戦直後に、いち早く核の脅威に反応し、深い文明史的・精神史的視野から危機を訴えたもので、まさに現代の危険極まる世界情勢に一直線に通じるものだと思ったからである。
戦後のブルトンを取り巻く状況についてほとんど知識がないため、本書の二つの文章(ひとつはスピーチの記録)は小生にとっては非常に興味深くかつ有益な内容であった。何よりもブルトンの求めるものは四半世紀を経て、その間に未曾有の大戦争を挟んでいながら、何ら変わっていないということは特筆しておいていいだろう。
現在もなおわたくしを感動させるものといえば自由という一語を除いて他にはない。
あるいは
そして、彼が生涯にわたって範を示したように、いかなる体制やイデオロギーにも組み込まれぬ絶対的自由の姿勢が、今日、最も必要とされる精神の在り方であることに気づくべきであろう。
松本完治「詩の呪力への回帰ーー解題に代えて」p70
ブルトンの常に求めていたものは何よりもまず自由なのである。
様々な威嚇の試みや脅迫がどこからやって来ようと、気に留めることなく、我々はこれまで以上に、今もなお届く可能性のある孤立した偉大なメッセージに耳を傾け、我々に可能なあらゆる自由な交流[コミュニカシオン]を大いに歓迎して受け入れるだろう。
これはロベール・サラザックの率いる人間戦線(Front Humain)という《あらゆる形態の国家間戦争に反対して、国家や国境なき世界市民権要求する運動》(p56)に共鳴して発せられた言葉だが、ブルトンは創立当初からこの運動に参加しており、1948年4月30日、パリのグルネル通りで開催された最初の大規模な集会で行われたスピーチが上記のように本書収録されている。そこでブルトンは、終末の危険の迫った世界状況に対して取るべき態度をこのように主張する。
今こそ空気を入れ換え、基本原則に立ち戻って精神に広がりを持たせるべき時です。[中略]もし今日、私たちがこの面での再度の深刻な堕落を目の当たりにしているとしてもーーつまり、モラルの危機が再び頂点に達したとしても言いたいわけですがーー私たちは、レジスタンスの試練が全面に押し出した次の二つの美徳が、心の奥底で休眠状態にあるとしても、存在しないはずがないことも承知しています。すなわち、極限にまで高められた自発性[イニシアティブ]と自己犠牲の精神です。たとえ私がその極めて偉大な慎み深さを損なうことがあるとしても、これらの美徳は私にとって、ロベール・サラザックという人物に体現されていると即座に言うでしょう。
このくだりは「超現実主義宣言(一九二四年)」の〈百科辞典的説明〉における次の文章を連想させる。
超現実主義はこれまで無視されてきた或る種の連想形式に認められる高度の現実性、夢の絶大な力、思考の無私無欲な働きなどに寄せる信頼の上に基礎を置いている。これらのもの以外のあらゆる精神機能を決定的に打破し、それらに代って人生の重要な諸問題の解決に取り組む。
この定義の後に実践者としてアラゴン以下の名前を連ねているところまで似ている。ブルトンは美術品の目利きであった。同じように世に埋もれた詩人や作家の発見者でもある。ロベール・サラザックもそうだろうし「時計の中のランプ」ではマルコム・ド・シャザル(Malcolm de Chazal, 1902-1981)の著作を神託とまで称えていることにも通じる。人やモノに惚れ込むからこそ、対象者が変質すれば、失望してすぐに見限る。これまた純粋さの証明である。この「人間戦線」による世界市民運動からもたちまち離れたようだ。
これだけのことからでもブルトンの本質はロマンチストだったことがよく分かるし(収録された文章に登場するフルカネリ、スェーデンボルグ、パスクアリー、サン=ティル・ダルヴェードヴという名前からも明らかだろう)、宣言にまで遡ってみてもそれはまったくブレていない。ずっとロマンチストであり続けた。
ジョルジュ・バタイユは《ブルトンの思考の運動が、不明瞭な見かけとは裏腹に、必然性と一貫性の性格を備えていると評価》(p80)していたように、ブルトンの言いたいことは、非常に単純なこと、ごく当たり前のこと、自由と平和、それだけであった。しかしながら、その実現がいかに困難かということはわれわれにだって痛いほど解る。そのためには現代文明を超えたスーパーパワーに頼りたくもなるというもの。
サドは『ソドム百二十日』で心底から悪を希求するキュルヴァル法院長にこんな言葉を吐かせている。
Combien de fois, sacredieu, n'ai-je pas désiré qu'on pût attaquer le soleil, en priver l'univers, ou s'en servir pour embraser le monde ;
何度となく願ったことか、畜生、太陽を撃ち落としたい、この世から消し去りたい、さもなくば、それを使って世界を燃やしてしまいたいと。
言うまでもなくブルトンはサドを愛した。本書で松本氏がブルトンの唯一の希望「記号の逆転 renversement de signe」について述べておられるが、まさしくそれは法院長のこの願望に等しいものかとさえ思われる。
詳細な訳註・解題を含め、戦直後のブルトンを知るための必須の邦訳である。
エディション・イレーヌ
http://www.editions-irene.com
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