現在もなおわたくしを感動させるものといえば自由という一語を除いて他にはない
本書は『時計の中のランプ La Lampe dans l'horloge』(ROBERT MARIN、1948)初版に収められているエッセイ「時計の中のランプ」、トワイヤンの扉絵、ラコスト城でのブルトンの写真、そして「人間戦線」の公開討論会でのスピーチを翻訳・再構成したものである。
訳者松本氏は巻末「訳者解題」において翻訳出版の動機をこう書いておられる。
戦後のブルトンを取り巻く状況についてほとんど知識がないため、本書の二つの文章(ひとつはスピーチの記録)は小生にとっては非常に興味深くかつ有益な内容であった。何よりもブルトンの求めるものは四半世紀を経て、その間に未曾有の大戦争を挟んでいながら、何ら変わっていないということは特筆しておいていいだろう。
あるいは
ブルトンの常に求めていたものは何よりもまず自由なのである。
これはロベール・サラザックの率いる人間戦線(Front Humain)という《あらゆる形態の国家間戦争に反対して、国家や国境なき世界市民権要求する運動》(p56)に共鳴して発せられた言葉だが、ブルトンは創立当初からこの運動に参加しており、1948年4月30日、パリのグルネル通りで開催された最初の大規模な集会で行われたスピーチが上記のように本書収録されている。そこでブルトンは、終末の危険の迫った世界状況に対して取るべき態度をこのように主張する。
このくだりは「超現実主義宣言(一九二四年)」の〈百科辞典的説明〉における次の文章を連想させる。
この定義の後に実践者としてアラゴン以下の名前を連ねているところまで似ている。ブルトンは美術品の目利きであった。同じように世に埋もれた詩人や作家の発見者でもある。ロベール・サラザックもそうだろうし「時計の中のランプ」ではマルコム・ド・シャザル(Malcolm de Chazal, 1902-1981)の著作を神託とまで称えていることにも通じる。人やモノに惚れ込むからこそ、対象者が変質すれば、失望してすぐに見限る。これまた純粋さの証明である。この「人間戦線」による世界市民運動からもたちまち離れたようだ。
これだけのことからでもブルトンの本質はロマンチストだったことがよく分かるし(収録された文章に登場するフルカネリ、スェーデンボルグ、パスクアリー、サン=ティル・ダルヴェードヴという名前からも明らかだろう)、宣言にまで遡ってみてもそれはまったくブレていない。ずっとロマンチストであり続けた。
ジョルジュ・バタイユは《ブルトンの思考の運動が、不明瞭な見かけとは裏腹に、必然性と一貫性の性格を備えていると評価》(p80)していたように、ブルトンの言いたいことは、非常に単純なこと、ごく当たり前のこと、自由と平和、それだけであった。しかしながら、その実現がいかに困難かということはわれわれにだって痛いほど解る。そのためには現代文明を超えたスーパーパワーに頼りたくもなるというもの。
サドは『ソドム百二十日』で心底から悪を希求するキュルヴァル法院長にこんな言葉を吐かせている。
言うまでもなくブルトンはサドを愛した。本書で松本氏がブルトンの唯一の希望「記号の逆転 renversement de signe」について述べておられるが、まさしくそれは法院長のこの願望に等しいものかとさえ思われる。
詳細な訳註・解題を含め、戦直後のブルトンを知るための必須の邦訳である。
エディション・イレーヌ
http://www.editions-irene.com
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