本棚の入れ替えをしていたら『吉田松陰書簡集』がひょいと現れた。ずいぶん前に新潟へ旅したとき、カバンにしのばせて列車や宿舎で読み耽ったことを思い出す。そのときのメモが挟んである。古本屋が登場する記述を拾っているので、ひととおり写しておく。
嘉永4年は22歳。4月9日に江戸に到着して安積艮斎や佐久間象山らに師事しながら鳥山新三郎らと交わっていた。兵学実地研究のため東北を旅したのもこの年である。勧農固本録は下記のような書物で広く流布していたようだ。ただしそれが有用か無用かは知らないと後の便りでは付け加えている。実兄の杉梅太郎宛。松陰の幼名は杉虎之助。数え五歳のときに叔父吉田大助の仮養子になり、六歳で相続し大次郎と改名。(松陰の事蹟は本書巻末年譜による)
旅行中に欲しい本が見つかったら買わなくていけないから所持金をたっぷり用意しておきたいという意味。
書道御家流の一つである大橋流の書道の手本を骨董屋で買い求めて父に送ったということであろう。
獄中があまりにヒマだから『靖献遺言』を一冊差し入れてほしい。
とはいうものの弱音を吐いている手紙もあった。イソップ寓話を読んで完敗と悟ったと。
幕末、あまりに多くの優れた若者が失われた。吉田松陰や坂本龍馬が明治に生き残っていれば、日本の姿も随分と変わったのではないかと思わずにはいられない。