『小説に書けなかった自伝』、タイトルに自伝とある本は手に取ってみる。ちょっと拾い読みすると、面白そうだったので買って帰った。これが当たりだった。新田次郎はこういう作家である。
山岳小説にはまったく触手が動かないためこれといって新田作品を読んだ覚えはない。むろん山岳小説以外にも数多く作品を執筆しているが、それらにも縁がない。強いて言えば『八甲田山死の彷徨』や『アラスカ物語』の映画を見たくらい。文壇デビューしてからも長らく役人(気象庁職員)として二足の草鞋を履いていた。その理由というか、筆一本に踏み切れなかった心の動きは本書を読むとよく分かる。非常に率直に書かれている。
他には編集者とのやりとりがほぼ実名で記されており、文学史においては閑却されがちな黒子なのだが、編集者こそが作家を作り、そして動かして行くのだから、いや、個人的に編集者や出版人に興味があるから、その点も非常に面白かった。なかで最もエキサイティングなのが新潮社の斎藤十一である。
昭和34年の3月半ばころ、新田次郎は「週刊新潮」の新田敞からロアルド・ダール『あなたに似た人』(早川書房)を渡され《この本に書いてあるような傾向を持った小説を、書いていただきたい。》(p79)という依頼を受けた。一度は断ったが、押し切られて引き受けた。『冷える』というタイトルで12回連載(三ヶ月分)。まず3篇を書いて渡した。担当の南政範が受け取って面白いと思いますと言ったのだったが、3つともダメだった。
新田はさらに5つほど筋書きを考えて南と相談のうえ2つを小説にした。
2回目は3篇のうち1篇が取り上げられた。
こういうスレ違いは頼まれ仕事ではよくあるだろう。この後も容易に斎藤のOKは出ず、新田は苦しみ抜く。なんとか12回を終えたが、創作の喜びなどというものは全くなかった。
斎藤十一の真骨頂を示す逸話である。斎藤はあの『FOCUS』を創刊して一世を風靡した人物、さもありなん。
古本についての記述も拾っておきたい。
読書についてこんなところもメモしたくなる。昔の人(明治生まれ)は音読がふつうだった。
あるいは、新田次郎全集の第一巻を手にしたとき。
たしかに枕元に置いて寝ますね、好きな本は。ただし、小生の現状として、枕元は本だらけなのだが……。