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徒連徒連成ままに日ぐらし硯にむかひて


『新版絵入徒然草』上巻 刊記なし

京都百万遍知恩寺で恒例の秋の古本まつり。その会場にてボロボロの一冊『新版絵入徒然草』上巻を発見した。『徒然草』の写本・版本の系統について川瀬一馬はこう書いている。

正徹自筆本は、永享三年(一四三一)正徹の自筆にかかり、現存最古の写本である。
[中略]
それに対して、流布版本の系統本は、兼好の訂正以前の初稿の本文を伝えるものと認められる。それは正徹本との比校によって考え得られるものであるが、ただし、流布本系の最も古い伝本は、慶長初年の版本(本書が今回底本としたもの)たる雲母摺古活字版で、写本は何れもそれより後のものである。(それが資料的にやや不足な点である。)そして、その徒然草刊行以来、慶長から寛永初年にかけて実に十九種の古活字版が連続開版せられた。元和年間には整版本の出版も行われるなど、徒然草はすべての古典文学作品の中で最も早く且つ最も多く印刷されているが、その印刷された版本はすべて同一の本文を持ち、流布系統本を全く固定化させるに至った。以来、すべての注釈書の本文を含めて、昭和六年に筆者が正徹本を翻印するまで、流布本系以外、一つの異本も印行されていなかったのである。

川瀬一馬校注『徒然草』講談社文庫、昭和57年版「解説」p316-31

『徒然草』は二百四十三段、上下二冊から成る。上巻が百三十六段、下巻が百七段。

これも任意的に便宜二分したというものではないようで、上下巻を平行に並べて読んでみると、上と下との間に同じ感動の起伏の波状が平行して現われていることが感じ取られ、同類の事象が等しく並んでいる傾向を見出すことができるのである。

同前p312

ということなのだが、通例に反して、本書の上巻には百三十七段「くすしあつしげ」まで掲載されている。どうして? と思って確認してみると、講談社文庫版では百三十六段が「医師篤成」となっており、上巻で一段増えていることが分かった。

どこが増えたのだろう? 順にめくって行くと講談社文庫版十段「家居につきづきしく」と十一段「神無月の頃」の間に十一段として「後徳大寺のおとど」が立ててある。ここは文庫版だと「家居につきづきしく」の中に繰り入れられて一段にまとめられているところ。後半部を独立させたのである。内容的にもここは別話と考えて問題ないようなので、たしかに一理あるなと思う。

以下に絵入の部分だけを掲げておく。文庫版では「序」が《つれづれなるままに》、第一段が《いでや、この世に生まれては》としてあるが、本書では序がなく第一段でいきなり《つれづれなるままに》と始まっている。

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