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私、マッチというものを買ったことがありません


『風景』第15巻第10号(通巻169号)悠々会、昭和49年10月1日発行表紙・カット=風間完/目次

風間完の表紙画がさわやかな『風景』。ちゃんとした古本屋で買うと意外にいい値がついています。これは一箱ふるほん狂言屋さんの古書柳さんの棚から。『風景』という雑誌がどういうものかは、かなり前、ブログに書きましたのでリンクしておきます。紀伊國屋の田辺茂一が資金を提供して舟橋聖一が取り仕切っていたようです。

『風景』終刊号(悠々会、一九七六年四月一日)
https://sumus.exblog.jp/8080410/

本誌にもなかなかの書き手が揃っています。目次を見て、おお、と思ったのは岡田睦の名前です。先年、『岡田睦作品集』(宮内書房、二〇二一年)が刊行されて、かなり話題になりました。この本はたいへん面白く読ませてもらいました。

『岡田睦作品集』(宮内書房、二〇二一年)
https://sumus2013.exblog.jp/32511133/

岡田睦「にせもの」 カット:風間完

岡田睦は「おかだむつみ」が正しいようです。本誌に載るのは「にせもの」という短篇小説。新宿南口の路地裏にある行きつけの飲み屋(マッチにはスナックとある)での情景です。自分によく似た客がいるとママに言われて、どんな奴だろうといろいろ想像をたくましくしていると、その当人が入ってきます。

「あら、いらっしゃい」
 おばさんのはずんだ声に振り返ると、背広にネクタイというきちんとした身なりの男がはいって来るところでした。
「よお、ママさん、ご健在でなにより」
 手を上げてそう云った男を見て、私、あ、こいつだなと思った。推測も何もありません。直観、というのでしょうか。この男だ、とすぐにわかった。事実、間違いありませんでした。
 私が自分の席にもどり、彼がテーブルをはさんでソファに腰をおろすと、
「こちらが」
 とおばさん、もとより私の心中など知るよしもなく、さっそく私を彼に紹介した。
「ね、似てるでしょう」
 男と私は顔を見合わせました。とたんに、彼は手を伸ばしてきて、
「やあやあ……」
 私と握手した。もちろん、ごくさり気ない態度です。
「お噂はかねがね」
 と彼。私もすかさず、
「いや、こちらこそ」
「とんでもない。ぼくの噂なんて、悪評にきまってますよ」
 どうも、じつに愛想がいい。ということは、私も愛想がいいことになるわけだ。

p45

こんな調子で酒席での馬鹿話がつづき、そこへフウちゃんという色っぽい女性がやって来て、これで話が少し転がりはじめます。ただし、そっちの方まで似ているのかというような妄想で「私」はやりきれなくなって、店を後にする……

というような、シュールな風味もある、不思議な作品です。もうひとつ、マッチについての記述が気になったのでメモしておきましょう。

たとえば、いくら飲んでも、肚のなかではビール何本、水割り何杯というふうに、さもしく勘定している。もっとも、これ、醒めているいないに関係なく、根はケチだからか。だとすると、私のケチはちぐはぐな部分がある。私、マッチというものを買ったことがありません。あれ、いちばん安くて、一ヶ五円ですか。ところが、これがもったいない。それで、飲み屋とか喫茶店のマッチをもらって使っている。考えてみればコーヒー一杯ぶんの料金で、かなりのマッチが買えるはずです。そういうところがちぐはぐだと思うんですが、これは何も私に限ったことではないようです。

p44

マッチといえば、かつては、飲み屋や喫茶店はもちろん、たいていの店が名前入りのマッチをあつらえていました。先日、ある古本屋さんがマッチを作ったというので、禁煙時代のいまどき珍しいなあと驚いたものです。
「紙ものを扱う古本屋がマッチというのは、あれなんですけど」
店主が遠慮がちに差し出しましたのでありがたく頂戴しました。帰宅して箱を引き出してみますと、おみくじのような小さな紙が折りたたまれて入っていました。こう書かれています。

「大海に出る時が来たようですよ。」

古本の内海でアップアップしている者にとっては意味深長ですね。

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