珈琲噴きこぼれて燃ゆるたまゆらを去りがたしこのまぼろしの生
江畑實著『創世神話「塚本邦雄」』は塚本邦雄が前衛短歌の旗手として頭角を現した戦後の激動の時代を塚本の歌集『水葬物語』(メトード社、1951)、『裝飾󠄁樂句』(作品社、1956)、『日本人霊歌』(四季書房、1958)、『水銀傳説』(白玉書房、1961)、『綠色研究』(白玉書房、1965)、『感幻樂』(白玉書房、1969)、『星餐圖』(人文書院、1971)そして『蒼鬱境』(湯川書房、1972)に沿いつつ、初出雑誌や手稿をも広く参看し、塚本の普遍的な主題と変幻する興味を、交友関係や社会事象のバックグラウンドとともに描き出した、秀逸な論文集である。
ただ、小生は短歌の世界にあまり深い興味を覚えないため、猫に小判という感は拭えなかったが、いくつか、なるほど思わせられることもあって、なかでも驚いたのは『感幻樂』十五部特装本についてのくだりであった。先日、午睡書架で普及本サイン入りの『感幻樂』を手にしたばかりだったので本書掲載の写真を見て「おおッ、こんな特装本があったのか」と唸ってしまった。
『感幻樂』の目次が一風変わっている。ページ順は完全に無視だ。江畑氏は深読みしてこう述べる。
たしかに珍しい目次構成である。きっちり長方形に文字を配列し、それぞれの題が行を跨がない、そんなパズルのような工夫がありそうだ。あるいは「花會世星睡」が冠折句になっているとか……? なにしろ塚本には『ことば遊び悦覧記』(河出書房新社、1980)という著書もあるし、内容と照応しているかどうかはさておき、形だけの遊び(マニエリスム)の表象かもしれないと思ったりはする。
そして『感幻樂』十五部本だが、それは初版から七年後、昭和五十一年六月十日に湯川書房から刊行された。
湯川書房主湯川成一追悼号である『spin』第4号の「湯川書房限定本刊行目録」を参照してみると、この本はこういうふうに記録されていた。
改装というか、換骨奪胎もいいところ。湯川さんのアイデアだったのだろうか。もっと早くこの本のことを知っていたら、お元気なうちに裏話など聞いてみたかった。なお、湯川書房では以下のような塚本邦雄の限定本を制作している。
『茴香變』(300部、1971)
肉筆『蒼鬱境』(20部、1972)
『蒼鬱境』(200部、1972)
『紺青の別れ』(30部、1972)
『青帝集』(250部、1973)
肉筆『青帝集』(20部、1973)
『黄冠集』(100部、1974)
『感幻樂』(15部、1976)
『波瀾』(25部、1992)
肉筆『星漢帖』(20部、1992)
『献身』(100部、1995)。
小生、限定本や特装本にはとんと縁がないのだが、このなかではただ一冊、肉筆歌集『蒼鬱境』を間村俊一氏(本書の装幀者)のアトリエで拝見したことを思い出した。間村さんは出入口の脇に仏壇のようにこの本を立てて拝んでいた。塚本独特の跳ねるような筆跡が妙に生々しかったことが印象に残っている。
これは本書に引用されている「反神論」から《短詩風韻律文》の部分だけ抜き出してみた。江畑氏は《「反世界」に暗転させた社会・風俗は、極彩色のカラー・ネガフィルムのように毒々しい。私はこの韻律文の背後に、アルチュール・ランボオの十四行詩「母音」と交響するものを感じる》(p240)としておられるが、むろんそのまま「母音」を下敷きにしたものであろう。ランボーよりもずっと社会派になっているけれども。「母音」については小生もこの note に少し書いた。
あぶない母音
https://note.com/daily_sumus/n/n2cf11c50465b
最後に、多数引用されている塚本歌のなかから一首だけ選ぶとしたら、これです。たまゆら(一瞬)一生。
江畑實著『創世神話「塚本邦雄」初期歌集の精神風景』
https://www.nagarami.org/2024/07/29/江畑實著-創世神話-塚本邦雄-初期歌集の精神風景/