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本好きのこれが病ひでいよいよとなるまで下らぬ書物すら捨てかねるのであつた


大岡龍男『なつかしき日々』(三杏書院、昭和18年2月18日、題簽=高浜虚子、装幀=山田伸吉)

今年3月4日の note に俳誌『九年母』に掲載された大岡龍男を引用した。

………それを曲らずに右へ戻ると精進堂つて本屋がありますから
https://note.com/daily_sumus/n/n969c62986950

小生、大岡龍男ファンとは言いながら主著四冊のうちの『なつかしき日々』しか架蔵しないのでたいしたファンではない。それはそれとして、本書から「銭湯」の一篇を丸写しして大岡龍男の良さを読者諸兄姉に味わっていただきたいと思う。(蔵書についての記述も出てきます。基本、この note では本が主役の小説やエッセイを紹介していくつもりです。ときどき喫茶店や美術もまじってきますが)

  銭湯

 家では下の八畳と茶の間の六畳を今度人に貸すことにした。護一は寮へ入り、母は亡くなるし私と女中では廣過ぎて淋しくも不用心でもあるので、幸ひ海軍の軍人夫婦が是非貸【ママ】りたいと云ふのですぐ話をきめた。
 今朝はその人の荷物が届いたので女中と運送屋の男と私と三人で夕方までかゝつて部屋を綺麗にして、荷物を納めてあげた。
 どの部屋の戸棚にも本が山のやうに仕舞つてあるのでその整理ですつかり草臥れてしまつた。
 本好きのこれが病ひでいよ〜【繰返記号】となるまで下らぬ書物すら捨てかねるのであつた。鼠糞やかびの匂ひをかいだのでどうにも一と風呂這入らずにはゐられなくなり、逗子へ來てはじめて町の錢湯へ行つてみた。夏の夕方の明るい錢湯にはまだ浴客が三四人しかゐず、湯も澄んでゐてゞ氣持がよかつた。たゞどぶんとつかる氣で湯槽へとびこんだらすぐどとんと足がついてしまつて、その淺いことは岡湯位しかなくやつと肩を沈めると足が浮いてしもうのであつた。
 それでもいゝ氣持になつて、タイル張の太田道灌の山吹を貰ふ圖や、小野道風の蛙柳の圖や與一が扇の的の圖を、こんな俗な繪もたまには無邪氣でいゝなと思つてあくびしながら周圍を眺めてゐた。するかりほこりを洗つて外へ出るとまだ夕日でまつぴるまのやうにまぶしい町の有樣だ。少し散歩がてらの買物をして家へ戻ると女中はびつくりして、
「旦那様、お風呂へいらしつたんですか」
 と濡れ手拭とシヤボン箱をうけとる。
「あなたも行つてらつしやい、いゝお湯だつた、たゞ湯槽がいかにも淺いな、驚いた、すぐ足がついちまうんだもの」
「へえ! …あら旦那様それは子供の湯槽でごさいますよ、その隣りに深いのがございますんですよ」
「さうか、あれ、子供の湯槽か。どうりで」
 私は實に久々心からをかしくなつて大笑ひした。女中は可笑いとて笑こけてゐた。

p291-293

銭湯の絵は富士山に限らなかったのである。このなんとものんびりした空気感がたまらない。

ついでに、かなり前に見つけておいた雑誌『演技研究』(復活創刊号通巻6緝、演技研究所、昭和21年4月1日、表紙カット=山崎五朗、編集発行人=北見治一)も紹介しておこう。大岡龍男が「山本安英」を寄稿している。山本安英の裏話と性格や行動そして演技についての分析まで含んでいてよくできたエッセイである。


『演技研究』復活創刊号通巻6緝
(演技研究所、昭和21年4月1日、表紙カット=山崎五朗、編集発行人=北見治一)


大岡龍男「山本安英」

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