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時間は問題ではない。必要なのは、よいものをもとめる気持ちである。


『生誕120年 長谷川潾二郎展 ひっそりと、ささやかに。あの日の先に』
櫻井むつみ、2024年9月18日

知人より『生誕120年 長谷川潾二郎展 ひっそりと、ささやかに。あの日の先に』図録を頂戴した。本年9月に銀座一丁目の鈴木美術画廊にて開催されていた長谷川潾二郎展のために作られたもののようだ。愛好家所蔵の27点が展示されたという。見てみたかった。巻頭に掲げられている潾二郎の言葉(部分)。「個展について」。精神の内部であるというのはよく解る。

私の作品を発表する場は個展が一番よい。
私の作品は小さい画が多いから、会場の部屋は適当に
小さい部屋がよい。
私の感覚によって呼吸する空間。それは私の画である。
私の画が集まっている個展の部屋は私の感覚によって
呼吸する空間だ。
個展を開くのは、純粋な詩的空間を室内に現出させる
ためである。それは私の精神の内部である。
それは私の祭日だ。

未定稿「絵画について」より

長谷川潾二郎(1904-1988)の画風は変わっていないようで、かなり変化している。個人的には1930年代の滞欧作がいちばん好きだが、40年代、50年代、60年代、70〜80年代ではそれぞれ絵の具の使い方や色の出し方もはっきりと異なっているのがこの図録からでも見て取れる。

パリでの素描 1931頃

洲之内徹が書いて広く知られるようになった「猫」が未完成な理由がある。「猫がこのような格好をするのは、春と秋だけ」と待っているうちに猫が死んでしまったというのだが、しかしこれもおかしなことで、春と秋の猫は同じ猫ではないはずだし、翌年の緑も今年の緑と同じではない。そんな理屈にもならない理屈があるものか、と誰しも一度はいぶかしく思うのではないだろうか。

ただ、本書に引用されている「《柚の木》と土について」を読むと、なるほどそういう意味だったかと納得できるところがある。洲之内徹が欲しいと言った「柚の木」の絵が九年経っても完成しなかった理由について潾二郎はこう説明している。

 あの画の中で仕上がっている部分、柚の木と背景の影のところは先ず先ずの出来だが、これらがよりよく生きるためには下半分の土の部分が私の思う通りに、よい色で塗られなくてはならない。そのためには理想的な本物の土を先ず見なくてはならない。私が本物の土を見て「素晴らしい。何という美しい色だ」と感動しなければ、何事もはじまらないと思う。

p37 未定稿「制作日記」(一九七九)より

そういうことである。同じ格好をしたり、同じ季節にならないといけない、わけではないのだ。画家本人が感動しなければ(描きたい!と思わなければ)何も描かない、ということである。それは時間の問題ではない。

時間は問題ではない。必要なのは、よいものをもとめる気持ちである。…… 

p38 未定稿「制作日記」(一九七九)より

そしてこの図録を眺めていると、あらためて潾二郎は何の変哲もない身の回りの品々を「素晴らしい」と思う感性を死ぬまで持ち続けていたことがわかるのである。

図録については下記のリンクをご覧ください。

りんこ
https://note.com/famous_roses866/n/ndf9bb245fff6


本展案内状各種

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