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「小瀧さんが芥川賞になつた……」


小笠原貴雄『ゴーゴリ喫茶店』(風雪社、昭和22年5月15日)

常日頃から喫茶店文学を収集しているのを知って協力してくれる方からこの本が届いた。小笠原貴雄については全く知らなかったので検索してみた。

小笠原 貴雄
オガサワラ タカオ
昭和期の小説家 国士館大学教授。
生年 大正6(1917)年10月8日
没年 昭和49(1974)年2月1日
出生地 山口県
本名 小笠原 好彦
学歴 〔年〕早稲田大学国史科〔昭和16年〕卒
経歴 「文学季刊」「文学行動」などに作品を発表し、「色欲」「オリンパス物語」などの作品があり、昭和23年「ゴーゴリ喫茶店」を刊行した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊) 

コトバンクより

他に、タレント中川翔子の母方の祖父だという情報もあった。詳しいのは小田光雄氏のブログ「出版・読書メモランダム」である。

古本夜話608 文芸誌『風雪』、風雪社、小笠原貴雄『風雪』
https://odamitsuo.hatenablog.com/entry/20161211/1481466770

本書には短編小説五篇が収められている。いずれも私小説と思っていいようだ。

表題作「ゴーゴリ喫茶店」は、(早稲田)大学正面にある喫茶店を舞台に、そこに集まる論客や作家や画家、学生などの左翼文化人を経営者のマダム一家ともどもに、非常にリアルにというか、かなり露悪的に、描き出している。登場人物は変名になっているが、すべて実在の人物であろう。そのなかに小瀧初雄という作家がいる。

 スタンドに灯の這入る頃集つてくる客と云つても、其点は代りはなかつた。たゞ鍋元の代りに同じやうに売れない小市民作家の小瀧初雄が、誰れかを待つてゐるやうにぼんやりと窓際に坐つて、時々外の濃い闇をすかすかのやうにのぞいてゐた。小瀧は栄養失調でしきりに頭髪がぬけるのでギリギリと鉢巻のやうに包帯を巻いてゐた。長くしめてゐるので白い包帯は茶褐色に汗がにぢんでゐた。

p13

ところが、である。

「君は毎晩来るんか……」毛利はあんまりこの茶房で我物顔に振舞ふ赤つ毛に厭な感じでさう訊ねた。
「あゝ毎晩だよ、来なくちや仕様がねえのさ。湯毛の奴あ法螺ばか吹いてるけど役に立たねえし会合なんかだとどうしても俺が必要なんだ。うん、昨夜も小瀧初雄からその内、稲門文学へ書きませんかつて云はれたんだが、あゝ云ふ雑誌ぢや俺なんかみたいに階級意識のある文学は喜ばれないからな、第一、小瀧初雄自身仕様がねえもんな」田川は小さく上むきの鼻をひくひくさせ一息にさうしやべると、「まア君も早く小説を書けよ、小瀧さんでも鍋元さんでも招介してやるよ」と見下した物の云ひ方をした。若い女の前で見下されて、毛利はむつとした。此奴のは贋物だ、小説だつて読んでる格構だけだ、毛利は激しく云ひ返さうとしたが、どつすん、どつすんと特徴のある響をさせて湯毛直介が上つてきたので黙つた。
「おつ、マダム、小瀧さんが出、出たな」湯毛は気負ひこんでさう云ひ、右手のステツキをひょいと左の腕に引つかけ、つるつるとまるい鼻の脂肪を掌でふいた。
 マダムは物に驚かない事も知識人の要素の一つだと思つてゐる。たゞふちなし眼鏡の下から細い眼を光らせるだけだ。
「小瀧さんが芥川賞になつた……」えつ、と立上つたのはチビで赤つ毛の田川誠一だつた。利用価値がない人間だと思ふと、赤つ毛は思ひきつて毒づくのだ。昨夜まで、栄養失調で汗じみた鉢巻をしてゐた小瀧初雄が何を云つてもにや〜〜と薄ら笑ひをしてゐるのを好い事にして一体貴方は何故文学をやつたのですか、とさへ毒附いたのだ。赤つ毛の眼には漂々として軽い作品しか書かない小瀧初雄よりは、傲然不敏な面構へで大きな事ばかり云つてゐるプロ作家の鍋元の方が遥かに偉いと思はれたのだ。赤つ毛は唇を噛んだ。
「真さか……」マダムは又、湯毛のホラかと苦笑した。
「本当だよ、大南堂のおやじがさう云つてたよ」湯毛直介はしきりに昂奮した。ゴーゴリ喫茶店で芽のふかなかつた連中の一人が世に出たんだ。

p24-25

小瀧初雄は尾崎一雄である。昭和12年上半期の第五回芥川賞を『暢気眼鏡』(砂子屋書房)で受賞している。とすればゴーゴリ喫茶店のドタバタ劇はその当時ということになるわけだ。

《プロ作家の鍋元》は鍋元豊で、《四年前に中央公論へ書き、それから官憲の圧迫で書けないが、まあプロ文芸ぢやア小林多喜二か鍋元だろうな》とも書かれていることから徳永直(《1933年、『中央公論』に「創作方法上の新転換」を発表、文学の政治優先を主張する蔵原惟人らを批判し、日本プロレタリア作家同盟を脱退した。》ウィキペディア)だと分かる。

当時、芥川賞を受賞するということがいかに晴れやかだったかが分かる描写ではないだろうか。ただし、尾崎一雄はいきつけの質屋の主人から「尾崎さんもこれで私共と縁切れにおなりになつてまことにおめでたいことです」と言われたにもかかわらず、一月後、芥川賞の賞品のロンヂンの懐中時計を預けに行ったそうで、そのとき「質屋の主人は実にがつかり顔をした」とか(尾崎一雄「受賞といふハプニング」)。

他には就職活動とその結果入った雑誌社のやりきれない状況を描いた「虹」もそのリアリティは出版史として非常に興味深い。石川武美の『主婦の友』の特殊な社内事情が鳥肌ものでうかがえる(むろん仮名にはなっているが)。戦時中の徴用の実態を描いた「月光」もなかなか。B29の爆撃シーンは迫真だ。

「あとがき」によれば、小笠原は、戦争が終わって、生き残った先輩や仲間たちと雑誌『風雪』を始めて、ふたたび小説を書き出した。

戦争へ征つてゐた若い作家達がいくら書いても戦場の世界を書ききれないであらうやうに、自分も自分のこの工場や徴用工の世界は書きまくつてみたい気がする。こんなところにも戦争の影響はあるのかも知れない。この意味で初期の「虹」を昔の自画像として入れてみた。

P252

雑誌『風雪』時代の苦労については『風雪』(彌栄出版、1977、遺稿)という小説を執筆しているようなので、そちらも機会があれば読んでみたいと思っている。

雑誌『風雪』第1巻第5号(風雪社、昭和22年4月30日)「ゴーゴリ喫茶店」掲載誌
雑誌『風雪』第1巻第5号目次[古谷綱武とあるところは浅見淵の誤植]


喫茶店文学傑作選 苦く、甘く、熱く』(林哲夫編、中公文庫、2024年8月25日)8月20日発売予定日。

喫茶店文学傑作選 苦く、甘く、熱く
https://bunko.sumikko.info/item-select/4122075505

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