いつもバラ色ではなかったけれど、楽しいこともたくさんあった。バラ色のこともあったのだと信じたい。
山田稔さんの新刊『もういいか』読了。目次は次の通り。
はじめに
本棚の前で
三冊の本
三人の作家 耕治人、小田仁二郎、瀬戸内晴美
ヌーボー会のこと
同僚ーー生田耕作さんのこと
引用ーー坪内祐三
Mさんのこと
〈マリ・バシュキルツェフ〉を求めて
ムシからヒトへーー日高敏隆をめぐるあれこれ
もういいかーー小沢さんとわたし
雑々閑話
夜の声
「〈マリ・バシュキルツェフ〉を求めて」、「ムシからヒトへ」、「雑々閑話」が書き下ろし。その他の初出は『海鳴り』四篇、『ぽかん』二篇、坪内祐三については『ユリイカ』、小説「夜の声」は『季刊文科』である。
「引用ーー坪内祐三」では坪内氏の独特な雰囲気がうまく描かれている。山田さんと坪内氏の初対面は2011年11月5日。茨木市中央図書館で坪内氏が「富士正晴と織田正信のこと」と題して講演を行なった。講演の前に事務室へ行くとそこのテーブルに一組の男女が座っていた。
小生はこの講演会は是非とも聞きたかったのだが、ちょうどパリに旅行していたので参加できなかった。今でも残念に思う。つぎに、山田さんが坪内氏に会ったのは2017年4月15日、京都の恵文社一条寺店で開催された「ぽかん」のトークイベンのとき。『ぽかん』は山田さんが名付け親の雑誌である。真治彩さんが発行している。この会には小生も参加した。坪内氏が佐久間さんや編集者といっしょに入ってきたとき「ごぶさたしてます」と挨拶だけは交わした。それが最後の挨拶になったのだが、このときも顔色が悪いなと内心では心配になった。山田さんはトーク終了後、すぐ近くの居酒屋での二次会の様子をこう書いている(小生は誘われたが失礼した)。
(中略)
坪内氏の顔に走ったのが《怯みのかげ》だったかどうか分からないが、このくだりはいかにも坪内祐三という感じが出ていた好きだ。そして『週刊ポスト』(2018年7月6日号)に坪内氏が書いた山田さんの著書『こないだ』の書評が引用されてこのエッセイは終っている。多田謡子について書いた「ある祝電」の一節を坪内氏が引用した、それをふたたび山田さんが引用する。
他には生田耕作についての回想も印象深い。この一部は山田さんの口から直接思い出話としてうかがったことがあるのでなおさらだ。小沢信男さんについての思い出にもやはり茨木市中央図書館での講演に小沢さんが来られたときの様子が描かれている。このときは小生も二次会(阪急茨木駅二階のニューミュンヘンにて)に参加して、解散後、小沢さんご夫妻、山田さんらとご一緒して阪急電車で京都へ戻った。なんとも、こう書いているだけで懐かしさが込み上げてくる。
また「雑々閑話」に雑誌『季刊文科』を書棚に見つけるくだりがある。山田さんは第3号に小説を発表されており、その小説が本書に収録されている「夜の声」なのだが、『季刊文科』には小生も二回寄稿したことがあるのだ(!)。まあそんなことはどうでもいい。このしっとりとした青春小説を読めるだけでも本書の有り難みがいく倍かに増すというもの。例によって喫茶店が出てくるとこを引いてみる。
このシーンも眼に浮かぶようだ。
坪内氏がたしか京都学派の物書きについて語ったとき、それまで杉本秀太郎がこうだったと左手を挙げて、つぎに、今、山田稔がこうなんだと右手をさっと左手の上へ交差させた。まあ、それは好き好きでしょうと、当時は杉本派だった小生は内心で思ったのだが、今になって坪内氏の意見にはっきり同調できる。山田稔が最高である。