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いつもバラ色ではなかったけれど、楽しいこともたくさんあった。バラ色のこともあったのだと信じたい。


山田稔『もういいか』編集工房ノア、2024年10月17日
カバー装画=野見山暁治、装幀=山田稔・森本良成

山田稔さんの新刊『もういいか』読了。目次は次の通り。

 はじめに

本棚の前で

 三冊の本
 三人の作家 
耕治人、小田仁二郎、瀬戸内晴美
 ヌーボー会のこと
 同僚
ーー生田耕作さんのこと

 引用ーー坪内祐三
 Mさんのこと
 〈マリ・バシュキルツェフ〉を求めて
 ムシからヒトへ
ーー日高敏隆をめぐるあれこれ
 もういいか
ーー小沢さんとわたし

雑々閑話

夜の声

「〈マリ・バシュキルツェフ〉を求めて」、「ムシからヒトへ」、「雑々閑話」が書き下ろし。その他の初出は『海鳴り』四篇、『ぽかん』二篇、坪内祐三については『ユリイカ』、小説「夜の声」は『季刊文科』である。

「引用ーー坪内祐三」では坪内氏の独特な雰囲気がうまく描かれている。山田さんと坪内氏の初対面は2011年11月5日。茨木市中央図書館で坪内氏が「富士正晴と織田正信のこと」と題して講演を行なった。講演の前に事務室へ行くとそこのテーブルに一組の男女が座っていた。

 女性の方は、顔見知りの朝日新聞学芸部記者の佐久間文子だった。
 「いやどうも」と私は言った。二人はかるく会釈をした。それだけだった。
 「いやどうも」は「こないだはどうも」だった。佐久間記者とは一年ほど前に、読書欄の「著者に会いたい」で『マビヨン通りの店』について取材をうけていた。また坪内祐三とは、一〇年ほど前から書評を通じてすでに馴染んでいるつもりだった。

p94-95

小生はこの講演会は是非とも聞きたかったのだが、ちょうどパリに旅行していたので参加できなかった。今でも残念に思う。つぎに、山田さんが坪内氏に会ったのは2017年4月15日、京都の恵文社一条寺店で開催された「ぽかん」のトークイベンのとき。『ぽかん』は山田さんが名付け親の雑誌である。真治彩さんが発行している。この会には小生も参加した。坪内氏が佐久間さんや編集者といっしょに入ってきたとき「ごぶさたしてます」と挨拶だけは交わした。それが最後の挨拶になったのだが、このときも顔色が悪いなと内心では心配になった。山田さんはトーク終了後、すぐ近くの居酒屋での二次会の様子をこう書いている(小生は誘われたが失礼した)。

トーク終了後、会場のすぐ近くの居酒屋の座敷で二次会が開かれた。私は長テーブルを挟んで坪内祐三と向かい合って坐ることができた。前回の茨木での懇親会では、席が離れていて喋る機会がなかったのである。

(中略)

 会が始まった。飲料は彼は酎ハイ、私は日本酒である。なんとなく調子が合わない。やがて宴酣になるにつれ場内騒然としてきて話が聞きとりにくくなった。それでも少しは言葉のやりとりがあったはずだが。
 ひとつだけ憶えている。
 二人とも立っていた。記念撮影のため移動中だったのだろう。私が言った。
 「坪内さん、『ぽかん』に何か書きませんか」
 すると一瞬、彼の顔に怯みのかげが走った。
 ここにそのときの写真がある。二十名ほどの男女が前列は坐り後列は立つ、その後列の中央からやや右寄りに、長身の坪内の姿が見える。めずらしく細い黒縁の眼鏡をかけて。紺とネズミの横縞のセーターにジーンズ。肩をすぼめ気味にして両腕を組んでいる。なんだか寒そうに見える。実際に寒かったのか。

p97-98

坪内氏の顔に走ったのが《怯みのかげ》だったかどうか分からないが、このくだりはいかにも坪内祐三という感じが出ていた好きだ。そして『週刊ポスト』(2018年7月6日号)に坪内氏が書いた山田さんの著書『こないだ』の書評が引用されてこのエッセイは終っている。多田謡子について書いた「ある祝電」の一節を坪内氏が引用した、それをふたたび山田さんが引用する。

 「いつもバラ色ではなかったけれど、楽しいこともたくさんあった。バラ色のこともあったのだと信じたい。二十九年の短い生涯であったればこそ、生の美しさもまたいちだんと鮮烈であった。そう思うことで自らを慰めるより仕方ない」。
 書評はこの引用で終わっていた。

p99

他には生田耕作についての回想も印象深い。この一部は山田さんの口から直接思い出話としてうかがったことがあるのでなおさらだ。小沢信男さんについての思い出にもやはり茨木市中央図書館での講演に小沢さんが来られたときの様子が描かれている。このときは小生も二次会(阪急茨木駅二階のニューミュンヘンにて)に参加して、解散後、小沢さんご夫妻、山田さんらとご一緒して阪急電車で京都へ戻った。なんとも、こう書いているだけで懐かしさが込み上げてくる。

また「雑々閑話」に雑誌『季刊文科』を書棚に見つけるくだりがある。山田さんは第3号に小説を発表されており、その小説が本書に収録されている「夜の声」なのだが、『季刊文科』には小生も二回寄稿したことがあるのだ(!)。まあそんなことはどうでもいい。このしっとりとした青春小説を読めるだけでも本書の有り難みがいく倍かに増すというもの。例によって喫茶店が出てくるとこを引いてみる。

 百万遍の交差点に近づくと、行手に喫茶店のネオンが見えてきた。しばらく前に開店した高級そうな名曲喫茶だった。一度も入ったことはなかった。その前にさしかかったとき、わずかに開いたままの入口の扉のすきまから音楽が聞こえてきた。ちょうど曲が始まったところだった。ベートーベンのピアノ協奏曲第五番「皇帝」、ピアノはシュナーベル、とっさにそう思った。オーケストラはたしかワルター指揮ベルリン・フィルハーモニー。以前に友人からレコードを借りて何度も何度も聴いた曲だった。私は思わず立ち止まって耳を傾けた。冒頭のピアノ独奏部分が終って弦楽器のスラーに入ったところだった。私はそれまでの屈辱と自嘲の気分を忘れた。ああ芸術、と息を詰めて思った。世のなかにはあんな美しいものがある。私は体が震えはじめるのをおぼえた。寒さのせいでもあった。店に入りたかった。しかし貧乏性の私にはその金が惜しいのだった。
 しばらく路上にたたずんで聴いていた。突然扉が開き、店の主人らしい中年の男がうさんくさそうに私の顔をながめ、それから戸をきっちりと閉めて引っ込んだ。音楽は止んだ。 

p274-275

このシーンも眼に浮かぶようだ。

坪内氏がたしか京都学派の物書きについて語ったとき、それまで杉本秀太郎がこうだったと左手を挙げて、つぎに、今、山田稔がこうなんだと右手をさっと左手の上へ交差させた。まあ、それは好き好きでしょうと、当時は杉本派だった小生は内心で思ったのだが、今になって坪内氏の意見にはっきり同調できる。山田稔が最高である。


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