金沢文圃閣に注文していた『現代詩』第三巻第六号(詩と詩人社、昭和23年7月1日)が届く。北園克衛の寄稿があり、また表紙も北園克衛デザインなので喜ぶ。他に瀧口修造も海外詩消息という連載を持っており、この号(第3回)ではフランスにおける戦後のシュルレアリスムについて紹介している。
編輯兼発行人は関矢与三郎(新潟県北魚沼郡廣瀬村大字並柳=現・魚沼市並柳)、編集部員は杉浦伊作(浦和市岸町二ノ二六)。北川冬彦も深く関わっていたようだ。
関矢与三郎についてコトバンクの記述を多少補ってまとめてみる。本名は浅井十三郎(アサイ ジュウザブロウ 1908-1956)。新潟県守門村生まれ。逓信省講習所卒業後、郷里の新潟で教員や官吏をしていたが、ストライキに関係して上京。新聞記者、工場労働者などを務める。その間、大正14年詩誌「無果樹」発行、のち「黒旗」「戦旗」などに寄稿、アナーキズム詩人として活躍し、昭和6年『其一族』を、13年『断層』(詩生活発行所)を刊行。14年に郷里に帰り「詩と詩人」を創刊、以後農民運動に従事。戦後の21年、詩と詩人社を設立し、21年「現代詩」を創刊した。他の詩集に『越後山脈』(詩と詩人発行所、1940)、『火刑台の眼』(詩と詩人社、1949)がある。
杉浦伊作(1902-1953)は愛知県出身。
しかし、ざっと目を通してびっくりしたのは安藤一郎「西下記」の次の記述である。昭和23年4月2日夜、東京を出て翌3日正午過ぎに岡山着。4日に「アメリカ文化の性格」という講演を行い、午後5時大阪へ向けて出発、9時半梅田着。以下引用は一続きの文章だが、読みやすいように、段落ごとに切り分けた。
創元茶房の様子がよく分かる日記である。京都で臼井喜之介を訪問しているのも注目に値する。臼井に会えていれば、と残念でならない。とにかく東京から詩人が京都へ来ると、まずは臼井を訪ねたことがよく分かる。長江道太郎は『詩人』(矢代書店、昭和21年1月〜11月、6冊)の編集人である。
安西冬衛についての描写も貴重なものではないか。拙編『喫茶店文学傑作選 苦く、甘く、熱く』(中公文庫、2024)でも安西冬衛「会話のエスプリを鍛へるために」を選んでいる。これもまた創元茶房を中心としたこの時代の雰囲気を実感できる佳作エッセイである。