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うどんそば切あり道中第一の塩梅よき所なり


柳亭種彦『用捨箱 下之巻』青雲堂・英文蔵、天保十二(1841)年

京都百万遍古本まつりの和本均一コーナーにて入手したものからもう一冊紹介する。柳亭種彦『用捨箱 下之巻』天保十二(1841)年、江戸下谷の青雲堂・英文蔵の出版。幕末のなんでも物知り事典のようなもの。出典が示されているのがいい。上中下の三巻本。入手できた下巻の項目を掲げておく。

1 ぐりはま 芋の山
2 浄瑠璃本刊行の初
3 奥浄瑠璃
4 蚊帳に香袋を掛
5 枕箪笥
6 夢想枕 夢想流ノ髪
7 瀧井山三郎
8 八人座頭
9 銭独楽流行
10 俳諧の句を狂歌と誤る
11 下帯を手綱といふ
12 別当といふ俗語
13 太郎次郎
14 天が紅尼が䞓粉
15 温飩の看板
16 大女房阿与米 附甫春
17 袖頭巾
18 追考二条

小生はうどん県こと讃岐香川県の出身なので、ここでは特に「15 温飩の看板」に注目した。以下全文を引用。ルビは一部のみ[ ]で採用。変体仮名は改めた。

【十五】温飩の看板 芋川
昔は温飩[うんどん]おこなはれて。温飩のかたはらに蕎麦きりを売。今は蕎麦きり盛になりて其傍に温飩[うどん]を売る。けんどん屋といふは寛文[1661-73]中よりあれども蕎麦屋といふは近く享保[1716-36]の頃までも無。悉[みな]温飩屋[うんどんや]にて看板に額あるひは櫛形したる板へ細くきりたる紙をつけたるを出しが今江戸には絶たり。寛政[1789-1801]の初までは干温飩[ほしうどん]の看板に彼櫛形の板に青き紙にて縁などをとりたるを。軒へ掛たるがたまたまありし歟

 『桃の実』元禄六[1693]年
 
  打[ぶつ]かまねくか温飩屋の幣[しで] 撰者 冗峯
 
  吉原ハわざともほどく茶筌髪  嵐雪

とあれば吉原の温飩屋にも此看板のありしなるべし又按るに『一代男』二の巻に前に摸したる画を載たる條。二川といふ所に旅寝して云云ありて「芋川といふ里に若松昔の馴染ありて人の住あらしたる笹葺をつづり所の名物ひら温飩を手馴て」といふ事見え。此冊子[さうし]より前『東海道名所記』万治元[1658]年作四ノ巻にも池鯉鮒[ちりふ]より鳴海まで云云の条に「伊毛川。うどんそば切あり道中第一の塩梅[えんばい]よき所なり」とあれば今平温飩[ひらうどん]をひもかはといふハ芋川[いもかは]の誤りなるべし。其さまの似たるをいはば革紐[かはひも]とこそいはめ。紐革[ひもかは]といふべからず。されどひもかはとあやまりしも又ふるし『誰袖の海』にも芋川の事あり

 ひもかは温飩捨て水砕く氷かな  調川

題ハ春氷[はるのこほり]なり。当時[このころ]はやくひもかはといへり。今も諸国の海道には彼幣[しで]めきたる看板ありとぞ。又温飩の粉[こ]をねりて熨[のし]ざるほどの形を偽[にせ]たるなるべし。鏡餅の勢[さま]したる物を台に載たる看板田舎にはありと聞り。

いずれの看板にも細く切った紙を貼り付けているのは、要するに、うどん・そばの形を模したものであろう。なお、本書の内容を含め下記サイトに当時のきしめんについての詳しい考察が掲載されており、参考になる。

うどんの歴史 きしめん-鈴家
https://shuhari-no-shu.jimdofree.com/suzuya/

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