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パパラギは丸い金属と重たい紙に縛られる 

 今回は、今週読んだ本の中でも特に面白かった本を一冊紹介する。その本のタイトルは「パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」(岡崎照男・訳、立風書房)である。

 本書の初版は1920年、つまり今から100年以上も前の話なのだが、現代人も共感する人間の不自然な暮らしについて語られている。この本に出てくるパパラギとは、サモアの人々がヨーロッパの都会に住む人達のことを軽蔑と反発の意を込めて呼ぶ蔑称であり、酋長ツイアビとはサモアに住む酋長(村長みたいな感じ)の名前である。

 サモアは、日本の南東に位置する島国。温暖で海が綺麗な所なので南国という名前がぴったりの国である。今でこそ島には一部道路が整備され、電柱が並んだりと、文明化されつつある国であるが、100年前のサモアの人々の暮らしはとても原始的なもので、まさに自然と共に生活をしていた。そんな島で育った酋長ツイアビがヨーロッパの国々を巡る旅に出る。この本の中には、その旅で体験したパパラギの奇妙な生活について、冷静な観察力を持って語られている。

 その一つとしてあげるのが、パパラギが毎日大事そうに抱えている「丸い金属と重たい紙」についてだ。勘の良い人は気づいていると思うが、その「丸い金属と重たい紙」とは「硬貨と紙幣」、つまり「お金」のことである。酋長ツイアビは、「パパラギはこの丸い金属と重たい紙に、笑いも、名誉も、良心も、幸せも捧げている。ほとんど全ての人がそのために自分の健康さえ捧げている。」と語る。別の節では、「お金をたくさん持っている人が、必ずしもたくさん働くわけではない」と資本主義の本質についても的確に見抜く鋭さを持つ。パパラギの生活に対して酋長ツイアビは、「物がたくさんなければ暮らしていけないのは心が貧しいからだ」と苦言を呈している。

 酋長ツイアビの言葉は、僕が今まで当たり前だと思っていた生活に疑問を投げかけ、我々の生き方がどれだけ自然に反しているかを気づかせてくれる。物があふれる世の中では、視野が狭くなっていることに気付けない。私たちが自然に触れたいと思った時、大抵の場合は観葉植物を買ったり、水族館に行ったりする。でもサモアの人達の考えは違う。「ガラス箱を海の中に沈めてその中に入り、魚たちに眺められながら酒を飲めないか」と考える。発想の豊かさがまるで違う。

 この本には、他にも「パパラギはなぜかいつも平たくて丸い小さな機械を身につけている」や、「パパラギはなぜか真っ暗で大きい小屋の中で、みんなが同じ方向を向いて座り、壁に映し出された人間をじっと静かに見つめ続ける」とか、「束になった紙に頭を突っ込んで、頭の中に考えをたくさん詰める」など、ユーモアのある表現で、現代人の生活に対する違和感が語られているので、気になった方は是非本書を手に取ってみてほしい。


参考文献:
「パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」(岡崎照男・訳、立風書房)

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