わたしの霊によって
[ゼカリヤ書 4:6,7]
彼は私にこう答えた。
「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。
『権力によらず、能力によらず、
わたしの霊によって』
と万軍の主は言われる。
大いなる山よ、おまえは何者か。
おまえはゼルバベルの前で平らにされる。
彼がかしら石を運び出せば、
『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫び声があがる。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
この世の中はサタン(悪魔)が支配していると聖書は教えている。次のみことばの通りだ。
・[ヨハネの福音書 12:30,31]
イエスは答えられた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためです。
今、この世に対するさばきが行われ、今、この世を支配する者(悪魔)が追い出されます。
・[エペソ人への手紙 2:2]
かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者(悪魔)、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。
この世の支配者であるサタンは、
私たちが神により頼まないようにさまざまな工夫を凝らしている。
その一つが、過剰な評価社会の構図かもしれない。この世を生き抜いていくためには、みなタフで強く、自分を厳しく律しねばならないと、考える人も少なくない。
なぜなら、私たちの生きる社会は評価社会だからである。それはつまり、自分の能力や権力によって将来の選択肢が決定されやすいということだ。
たとえ能力や権力があっても、それを発揮できない環境に置かれると、無力感が私たちを追ってくる。そして、その無力感を埋め合わせるために、また自分たちの力で頑張る。
評価社会で生きる上では、
能力は不必要と断言する事は嘘になる。
そうやって、サタンは能力主義を私たちの心に刻みつけ、神の真理を見えなくしている。
しかし、能力より大切なものがある。
それは、ゼカリヤ書のみことばの通り、
『権力によらず、能力によらず、
わたしの霊によって』である。
神の霊の力によってのみ、永遠の価値ある働きができる。預言者ゼカリヤやハガイの生きていた時代のバビロン捕囚から帰還した民は、確かに弱々しかった。神殿建設当初に敵に妨害され、疲れ果て、失望し、貧しく、しまいには神殿を建てることよりも自分たちの快適なマイホームのために時間を費やし、神殿建設を蔑ろにしてしまった。
しかし、神はそんな弱いイスラエルの民を見て、哀れまれた。一度頓挫した神殿建設は、預言者ゼカリヤとハガイの神から頂いたメッセージによって再び火が付き、結果的に神殿完成にまで導かれた。
私たちが神のために生きる時、
自分の力や能力に頼らないことを覚えたい。
神により頼み、祈り、委ねること。
『権力によらず、能力によらず、
わたしの霊によって』働きを成していこう。