忍耐には知恵を。
[ヤコブの手紙 1:2,3,4,5]
私の兄弟たち。
様々な試練にあうときはいつでも、
この上もない喜びと思いなさい。
あなたがたが知っているとおり、
信仰が試されると忍耐が生まれます。
その忍耐を完全に働かせなさい。
そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。
あなたがたのうちに、
知恵に欠けている人がいるなら、
その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。
そうすれば与えられます。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
これは若かりし頃のエピソードだ。
私は衣類を学校に売る営業をしていた。
会社の規模は大きくはなく、
社員5名ほどの小さな会社であった。
60年近く続く会社で、昔の伝統に沿って、
進められていくような、いわゆる"古い"
会社であった。
ある秋の日のこと。
いつものように営業車で外回りに行こうとした。
そして車を見ると、湿気と落ち葉で営業車が汚れていた。毛虫までいて最悪だ。
こんな状態では営業先に行けない。
営業車ひとつで、その会社と営業マンの印象が決まるからだ。
面倒だが、掃除を済ませて急いで営業に出た。
次の日、昨日と同じように営業に出ようと、
車に近づいた。
もうお分かりだろう。
昨日と同じ、悲惨な有り様だ。
あまりに腹が立ったので、原因を考えた。
すべての根本的原因は、馬鹿でかい木であった。
この木が実をならせ、葉っぱや花の残骸が雨や風の影響で営業車を汚していた。
これはなんとかしないといけない!
そう思い、苛立たしさを抱えながら、
すぐに社長に交渉を持ちかけた。
この感情的で、突発的な行動がこのあと
裏目に出てしまう。
「トントントン!(扉を叩く音) 失礼します!
いまお時間よろしいでしょうか!?」
私は勢いよく社長に向かっていった。
そして、ひとこと。
「会社の敷地にある大きな木を無くすことはできないでしょうか!? どうしてかというと〜」
こんな調子で熱烈にどでかい木を切り落とす計画を語った。
今考えると、
ものすごく馬鹿馬鹿しく、恥ずかしい。
それはさておき、
案の定、社長からの叱責を喰らった。
社長は真剣な表情で私に語りかけた。
「あの木は先代がこの会社を創業した時からある大切な木だ!それを切り落とせだと?
新人のあなたが偉そうな口を利くんでない!!!
あの木が嫌ならこの会社を辞めなさい!!!」
私の堪忍袋の尾が切れた。
「社長!!!あの木があるせいで、私たち営業マンの外回りの時間が10分も無駄になっています!
私たちの仕事は衣類を売ることです。
衣類を売ることを前提に効率よくタイムマネジメントをしなくちゃならないんです。
大切な10分を掃除に当てる時間が本当に勿体ない!!!社長があの木を無くさないなら、社長が自分で掃除をしてください!!!(怒)」
勢いよくそう言い放った瞬間、
「あぁ、クビだ。笑」と思った。
私だけが悪いわけではないかもしれないが、
確実に私に非があったのは間違いない。
このように、私たちの生きる社会では、
問題が起きる。そして問題を通して忍耐しなくちゃならないときもある。
文頭にあるヤコブの手紙では、
忍耐を完全に働かせる方法として、
神に知恵を求めることを聖書は私たちに示している。
もし、私が社長に直訴する前に、神に知恵を求める祈りと充分考える時間を持っておけば、大騒動にはならなかっただろう。
もう一度言おう。すこぶる馬鹿者であった。笑
逆に、社長にそこまで偉そうに言えた自分に、
皮肉の拍手を送ってやりたいくらいである。
忍耐を求められた時には、
神に知恵を求める必要があることを
覚え、これからも知恵を働かせ、
様々な問題に対処していきたい。