日刊ゲンダイはすごい

 珍しく連日note書きますよ。今日は日刊ゲンダイがどれほど素晴らしいメディアかというお話です。

 ぼくは、日刊ゲンダイのフリー記者になったことがライター生活のスタートでした。ジャーナリズムの何たるかをゲンダイで叩き込まれたので、かなり贔屓目が入ってますが、今振り返ると改めていろいろ大切なことを教わったなあと思います。

 いい話ではあるけど、あんまり書くと内情暴露になっちゃうので、それは別の機会に。なんでいま日刊ゲンダイすげえという話なのかというと、理由はカルト問題に関連する最近の2つの記事です。

2019/09/17 日本会議系に統一教会系…安倍新内閣はまるで“カルト内閣”

2019/10/05 萩生田文科相の後押しで「幸福の科学大学」ついに開学か

 ともに、同日もしくは前日の日刊ゲンダイの紙の紙面にも掲載されています。

 安倍新内閣の閣僚がカルトまみれである件については、ぼく自身ややや日刊カルト新聞の鈴木エイト主筆がハーバー・ビジネス・オンラインやアサヒ芸能等々で書いています。でも日刊紙に載るというのは、また読んでくれる層が違ってきます。またこの問題について、メディアでの第一報が、日刊ゲンダイのこの記事でした。

 こういう問題に即応してくれるメジャーなメディアというのは本当にありがたい。

 9月27日に、統一教会被害者の救済を長年手掛けてきた全国霊感商法対策弁護士連絡回(弁連)が記者会見を開き、国会議員に対して統一教会に協力しなよう求める要望書を送付する旨を発表しました。その席でも日刊ゲンダイの記事が参考資料とされていました。

 こういう形で活用される報道だったという点でも、日刊ゲンダイによる報道の意義は大きいものでした。

広告は載せるが批判もする

 とは言え、これだけなら、どのメディアでもありうることです。改めてゲンダイは本当にすごいなあと思わされたのは、2本目の幸福の科学大学再申請と萩生田光一文科大臣の関係についての記事です。

 この記事が掲載された10月4日発売の紙の方の日刊ゲンダイには、別ページに幸福の科学の映画のPR記事が載っていました。日刊ゲンダイにはときおり幸福の科学の広告も載るので、その関連でのお付き合いか、あるいはこの記事そのものが広告記事だったのかもしれません。

HS映画記事

 それでいて、同じ号の2面に「幸福の科学大学やばいよ」という記事がでかでかと載っていたのです。

 日刊ゲンダイという新聞はいつも、1面から2面前半くらいに続ける形で政権批判の評論というかオピニオン的な記事が載っています。2面の後半以降が政治関連を中心としたニュース記事。幸福の科学大学の記事は、この日の2面の一番上。ニュース記事のトップという位置で、しかもそれなりに大きな扱いでした。

日刊ゲンダイ

 日刊ゲンダイというと、もう10年近く前だと思いますが、『潮』(創価学会系出版社の雑誌)のそこそこなサイズの広告を載せている紙面で「政教分離違反の創価学会・公明党が!」みたいな見出しをつけた記事を載せていたことに感心した記憶があります。

 広告料はもらうよ。でも報道内容は遠慮しないからね。

 そんな日刊ゲンダイの露骨すぎる矜持に心を打たれましたぼくは、「やや日刊カルト新聞」を創刊後にGoogleAdSenseの広告に幸福の科学や他のスピリチュアル業者の広告が載るのを見て、幸福の科学に批判的な記事はもちろん、広告に出てくるスピリチュアル業者がいかに怪しいかという記事も載せました。すると、その脇にまた幸福の科学やスピリチュアル業者の広告が表示されるという悲惨な(笑)ループが起こりました。カルト的なものから金をもらってカルト批判をできるなんて、日刊ゲンダイみたいで最高!と思いました。そのうちGoogleAdSenseから規約違反だと言われ、GoogleAdSenseの表示そのものをカットされ広告収入がここ何年もゼロになっていますが。

 やや日刊カルト新聞は、もともと日刊ゲンダイの手口をリスペクトしていました。コミケで頒布する紙版のやや日刊カルト新聞が日刊ゲンダイ風レイアウトなのも、そのためです。やや日刊カルト新聞のあり方についての創刊時イメージそのものが、日刊ゲンダイにインスパイヤーされていたりします。

日刊ゲンダイは「フライデー事件」の被害者だった

 そして日刊ゲンダイは、幸福の科学と浅からぬ因縁があります。

 1991年。講談社が発行する週刊誌『フライデー』の幸福の科学批判キャンペーンに対して、幸福の科学は護国寺にある講談社社屋に乗り込んでハンドマイクでがなりたてるなどの常軌を逸した抗議活動をしました。全国の信者を使って、講談社に抗議の電話やFAXを集中させ、社内の通信を麻痺させました。当時、フライデー編集部以外の編集部もターゲットにされ、マンガ雑誌の編集部までFAXが使用不能になったと当時の社員から聞かされました。

 いわゆる「フライデー事件(ビートたけしじゃない方)」あるいは「講談社フライデー事件」です。

 日刊ゲンダイは、講談社の子会社です。フライデー事件当時、社屋は築地にあり(現在は新川)、講談社から独立した紙面づくりをしていました。しかし子会社であることから幸福の科学のターゲットにされ、電話・FAX攻撃で会社の通信が麻痺させられました。当時のテレビのワイドショーでは、日刊ゲンダイ編集部に届いたFAXの山が映され、当惑する社員のインタビューも放送されました。

 当時の日刊ゲンダイ社員だった人から、こんな話を聞かされたことがあります。

「夜勤で会社にいると、やることないじゃん? でも電話が鳴りっぱなしだから、暇つぶしに受話器を取るといつでも信者とお喋りできる。まるでテレクラみたいで楽しかった」

 メンタル強すぎです(笑)。

「信者と喋ってて、『で、あなたはどこから電話してきてるの?』と聞くと徳島だというんだよ。当時日刊ゲンダイは徳島では発行されてなかったんだよね。なのに何で家の電話番号知ってるんだって聞くと、信者は『本部が、本部が!』とか言うんだよ。日刊ゲンダイ読んでもいないくせに、教団本部の指示で電話してるだけだって自白してやんの(笑い)」

 まるで、やや日刊カルト新聞のような「カルトいじり」っぷりです。いや、ぼくが日刊ゲンダイでこういうメンタルに触れたからこそ、やや日刊カルト新聞のスタイルができあがっているわけです。

他のメディア以上に萎縮要因を抱えている

 このフライデー事件以前は、日刊ゲンダイにも幸福の科学の広告が掲載されていました。しかしこれ以降、長年にわたって日刊ゲンダイには幸福の科学の広告が載りませんでした。

 2010年に、広告代理店経由で幸福の科学出版に営業がかかり、19年ぶりに日刊ゲンダイに幸福の科学の広告が載るようになって、現在に至ります。

日刊ゲンダイが19年ぶりに幸福の科学の広告を掲載

 マスメディアの関係者の中には、いまだに幸福の科学を批判するとデモやFAX攻撃をされると思い込んでビビっている人が少なくありません。実際には、幸福の科学がFAX攻撃をしたのは「フライデー事件」だけで、このことがむしろ教団内で信者の不興を買い、脱会者が出たり財政難に陥ったりしたとも言われています。幸福の科学職員自身が信者向けの映像で「フライデー事件は当会に相当な打撃を与えた」と語っていたりします。

 いまでも、幸福の科学に都合が悪い報道をすると教団広報から抗議は来ますが、FAX攻撃は来ません。マスコミはビビりすぎ。

 しかし日刊ゲンダイの場合は、自らがFAX攻撃のターゲットにされた当事者でした。出版界が売上でも広告でも苦しい状況にある中、普通なら、広告主への配慮はより重要なはずです。フライデー事件でFAX攻撃の被害者になったトラウマもあって、ダブル忖度に苛まれておかしくありません。

 にもかかわらず幸福の科学の宣伝記事が載っている同じ号の紙面でデカデカと幸福の科学の問題を報じたわけですから、なおのことすごいわけです。

 ネット上では時折、報道メディアについて「◯◯の広告が載っているから、批判的な記事は載せられねえよな」みたいに知ったかぶる人を目にすることがあります。確かにそういう側面もあるのですが、本来そうであってはならないのが報道メディアだし、そうならないようにしようと奮闘するメディア関係者がいます。そのことを日刊ゲンダイが改めて見せつけてくれました。

リテラやIWJとの決定的な差

 日刊ゲンダイの今回の記事は、単に載せたこと自体がすごいなんていう低レベルな話では終わりません。記事の内容もすごかったんです。

 日刊ゲンダイのこの記事を受けて、リテラIWJが同じような内容を報じました。どちらも、日刊ゲンダイの記事、ネットに転がっている情報、そしてせいぜい幸福の科学の出版物を切り貼りしただけの内容です。取材と呼べるようなものをした形跡がありません。

 しかし日刊ゲンダイには、「宗教問題に詳しいジャーナリスト」のコメントという形ではありますが、〈大川隆法総裁は13年2月の講演で、大学設置について『認可が下りるまでは一応、文科省の指導方針に合わせた方向でつくっていくが、逸脱していくことは当然ありうる』と話していました〉という情報が掲載されています。これは、大川隆法が大学設置について虚偽の申請をすると宣言しているというトンデモない重大な話なのですが、リテラもIWJも、この情報には触れていません。前回14年の申請で「幸福の科学大学」が不認可になった際も、この点に触れたメディアはなかったと思います。

 この大川隆法発言は教団の内部映像に含まれているもので、一般公開されている情報をさらうだけのメディアやライターには把握することができない情報です。『週刊新潮』などでぼく自身が書いた記事ではこの虚偽申請疑惑に触れることはありましたが、それ以外でこの事実に触れたメディアは今回の日刊ゲンダイだけではないでしょうか。

 一般公開されている情報だけをつまみ食いして「耳目を集めそうな報道の体裁を整えられれば良い」的な態度でしかないのがリテラやIWJ。それに対して日刊ゲンダイには、取材をして、重大な事実があればそれを記事にしたいという貪欲さがあります。

 ライターなどが現場取材をせず資料やネットや電話取材だけで書く記事を「こたつ記事」と言います。家から出ないばかりか、こたつから出ることすらなく書きあげてしまう記事という意味です。

 日刊ゲンダイは、現場取材もしますが、電話取材だけで記事を書くことも少なくありません。しかしリテラ・IWJの報道には、電話1本すらかけた形跡がない。

 電話取材で「取材してる」と胸を張れるかというと微妙です。現場取材をしたほうがいいに決まっています。しかし時間の制約やテーマの複雑さから、難しい場合もあります。日刊ゲンダイは大きな会社ではないので、カルトや幸福の科学の問題について継続的に記者が取材し、自分の足だけで情報を得るというのは現実的ではありません。それはリテラやIWJだって同じでしょう。

 そんなとき、一般公開された情報だけをさらって体裁を繕うのか、詳しい人に電話取材で教えてもらってでも「より重大な事実」を報じようとするのか。

 これが日刊ゲンダイと今回のリテラ・IWJとの差です。そしてこれは、報道の姿勢という点で、とてつもなく大きな差です。

 もっとも、たとえばJ-CASTニュースなんかは(今回、幸福の科学大学の問題は報じていませんが)、電話取材はしても、その内容が上っ面なものでしかないケースが目につきます。電話取材をしたところで、事実を知ることや問題提起への貪欲さがなければ無意味です。それがあって初めて、「たかが電話取材、されど電話取材」と言えるのだと思います。

頑張れ日刊ゲンダイ

 日刊ゲンダイに載る記事の全てがすごいとか、素晴らしいとか言うつもりはありません。ぼく自身は日刊ゲンダイが小沢一郎を持ち上げるのが昔から大嫌いだったりします。書き手によっても記事ごとにも品質に差はあるでしょう。

 でも、少なくとも報道に携わるぼくの目から見て、メディアに対するリスペクトの基準は、自分が好む(あるいは正しいと考える)記事が載るかどうか以前にまず、知識や情報を得ることと報じることへの貪欲さや誠実さを備えているかどうかが重要です。その点で今回の記事は、ぼくが日刊ゲンダイをリスペクトする理由が存分に含まれていて、興奮してしまいました。

 もしかしたら今頃、日刊ゲンダイには幸福の科学から抗議が行っているかもしれません。紙の紙面は1日限りの流通ですが、ネット配信の記事は今も載っていてネット上で話題になってます。ネットの記事が教団からの抗議で削除されてしまうこともあるかもしれません。

 それでも、それに抗うスピリットを備えていて、仮に記事を削除することがあったとしても重大な局面ではきっとまたやらかしてくれる。そう思わせてくれるのが日刊ゲンダイです。これからも頑張ってほしいです。

 媒体の政治的スタンスや個別の記事の是非だけではなく、こういう側面にも目を向けると、メディアやジャーナリズムに関するリテラシーを鍛えることにもなるのではないかと思います。

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