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【BLOG】冬青空、一足先に卒業祝う。~演奏会に足を運んだ休日~
寒さが一段と深まり、凍てつくような冬がやっと到来しました。
もうすぐ冬休みを迎える私は、本日とある大学の管弦楽団が開催していた定期演奏会に足を運んで参りました。
ということで、久しぶりにnoteを更新しようと思った次第です。
感想を丁寧語で書くのは苦手なので、一旦丁寧語とはここでおさらば。
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ピアノを11年間習っていた私は、コンサートホールで演奏を聴くことにある程度慣れている。演奏される対象がピアノかその他の楽器かという違いはあれど、演奏を聴いて何か感想を抱くのは得意な方だ。
今日はバイト先の先輩が演奏会に出演するから、とお誘いを受けて会場まで足を運んだ。コンサート、演奏会は以前無料チケットが当たった2024年2月振りかも。
本日の演目はこちら
①エンゲルベルト・フンパーディンク オペラ『ヘンゼルとグレーテル』より序曲
②ピョートル・チャイコフスキー ハムレット
③ピョートル・チャイコフスキー 交響曲第5番
①エンゲルベルト・フンパーディンク オペラ『ヘンゼルとグレーテル』より序曲
参考までに⬇
指揮者がステージ中央に進み、観客は拍手で迎える。この指揮者が圧倒的主人公になる瞬間が私は意外と好きだ。
伝わる人がどのくらいいるのか不安だが、指揮者はバレーボールにおける「セッター」の立ち位置だと思う。
その人の技術力に依存するように、全体の統率力とカラーが決まり、善し悪しの大部分を担っているのに、注目が集まるのは大抵アタッカーであり、ソロパート担当者である。
そんな重役でありながら、注目が集まりにくいパートを担当する人にきちんとスポットライトが当たる瞬間が好きと伝えたかった。
指揮者が指揮棒を手にし、演奏が始まる。
拍、強弱はもちろん、テイスト、ある種のテクスチャーまで伝わってきて、すぐに自分が好きなタイプの指揮者であることを自覚させられた。
テイストとカタカナに逃げたが、もう少し説明できないか奮闘してみる。
たとえば、この曲は管楽器から始まる。
耳コピに間違いがなければ、
ドーミー ミーソー ラーソー・・・
と管楽器が静寂を音が分け入る感覚がテイストだと伝えたい。
高い音、まっすぐな音、スコーンと上に突き抜ける音など管楽器は主に静寂を”切り裂く”のが得意なように思う。
しかしこの曲は静寂の中を、まっすぐではなく、水面に波紋が広がるように、ゆっくり遠くまで優しく広がる感じがする。(もしかしたら、トランペットやトロンボーンよりも音が後ろに届くホルンが主旋律を弾いているのかも)
それを私はテイストと表現した。このテイストを先行するのが、指揮者である。だからこの指揮者のテイスト表現が好きだった。
次にその全体的な音の広がりを追いかけるように、弦楽器が合流する。ここで説明したいのがテクスチャーだ。
テクスチャー?手触り??となりそうだけど、そうではなくて…
「滑らか」とか「もったり」とかそういうことを伝えたくて。というか伝わってきて。
指揮棒を横方向に連続して右左と移動させることで、弦楽器がそのテクスチャーを拾い上げる。管楽器と違い人の呼気を伴わない分、連続した音や音の伸びを得意とする弦楽器。
この曲でもその特徴は遺憾なく発揮されており、私には
「向こうに何かワクワクする出来事が待っている時の移行時間」が想起され、その滑らかで楽しげな雰囲気が汲み取れた。(例えば某夢の国のゲートをくぐるまで、好きなアイドルとチェキを撮れるのを待っている間など)
しばらくするとまっすぐに客席まで伸びるトランペットの見せ場がやってきて、少しずつ曲の雰囲気も変わっていく。
途中コントラバスやチェロのピッツカートの揃い具合が目を引いた。ピッツカート大好き人間として、凝視せざるを得なかった。
ピッツィカート(伊: pizzicato)は、ヴァイオリン属などの本来は弓でひく弦楽器(擦弦楽器)の弦を指ではじくことによって音を出す演奏技法である。
・ ・ ・ ・ ・
タタタッ タタタッ タララララ
この●がある部分でおそらくピッツカート演奏をしていたのだが、音の震えによる伸びの持続性が得意な弦楽器にとって、あえてはじくように引くピッツカートはポロポロとした音なのに、どこか強さも備えていて外柔内剛って感じがする。
あとこの曲で言及したいのは、ティンパニ。決して音は大きくないが、静かに拍を刻み続け、レイヤーの最背面に入れてありそうな演奏に深みをもたらす役割があった。好き。
ピョートル・チャイコフスキー ハムレット
参考までに⬇
ハムレットといえば、どこか悲しげで苦しみを題材にしているイメージがあるが、実際の演奏もそんな感じだった。
詳しくは知らないけれど、多分短調だし、チェロやコントラバスの低音がかなり効いている印象。
「物語の中心となるのは王子ハムレットで、彼の父親である前王が急死したことから物語が始まります。
死が重要なテーマであるこの曲は、冒頭確かに弦楽器の低音が雰囲気を暗くし、ビブラートが精神の不安定さ、心の揺れ動きに共鳴するように場を飲み込む。
メモに残っていた個人的に好きなパートは「シ♭ ド ラ ド シ♭」らしいけれども、楽譜も何も無く、ただそう聞こえただけなので音程が合っているかは不明。でもとにかくこの進みそうで一向に前進できていない、辛いことを消化できていないような雰囲気を持たせるこの小節が好き。
あと途中で来るクラリネットのソロパートに鳥肌がたった。無駄な雑音やブレが一切無い極限まで狭いストライクゾーンを地で行く。
同様にトランペッチ、トロンボーンあたりの音の迸発感も大好きだった。
2曲目にもなると、演奏者にも目が行くようになってきた。体全身を使って、音を捉えて内側から湧き上がるような音色を奏でる、所謂楽しそうに見える弾き方をする人。
反対に、堅実に音を音として捉え、可でも不可でもないその1音を極限まで丁寧に紡ぐ、謂体にブレがない弾き方をする人。
音も違えば、弾き方も違い、そこにオーケストラとして大勢の人が集まる良さがある気がした。一人では、一様の音では奏でられなくて、何層にも積み重なって初めて音楽になる。
そしてこの曲でも打楽器の人の活躍は無視できない。
シンバルの人は、抜きが上手だと思った。
・・・・・ッ♢|・・・・・ッ♢(メモからだから違うかも)
この♢マークでシンバルを叩くのだが、確か叩く直前確かに休符が感じられて好き。
終わり方もティンパニの余韻で終るので、人によって曲の終わりの捉え方が違い、それが人それぞれ悲しみや苦痛が晴れる、緩和される時期が違うことを示唆しているように受け取れた。
ピョートル・チャイコフスキー 交響曲第5番
参考までに⬇
長すぎて、読む方も書く方も飽きそうだけれど…
そろそろ各楽器に目を光らせながら逐一メモを取らずに純粋に演奏を楽しむようになってきた。だから記憶を掘り起こしながら書くのは限界があるのだけれど。
第三楽章はワルツが展開され、舞踏会で貴族が舞い踊る情景が思い浮かんだ。個人的には、なぜかイタリアはフィレンチェあたりの風を感じた。
裏拍が多分に使用されており、リズムを掴むのが難しそう。
この曲では今までの総括も含めて以下3点をまとめたい。
・大きい音だけでは奏でられない大きい音がある
大きい音って単に馬鹿でかい音を鳴らすことではない。ホールの後ろまでまっすぐ伸びる大きな音もあれば、ステージ上に留まるような重たい大きな音もある。そして、何より複数の楽器が重なって、音の高低や伸びのマリアージュがあって初めて演奏としての「大きな音」になる。
・オーケストラってお鍋みたい
音が鳴らない、響かないで有名なビオラ、見せ場以外は相当耳を澄まさないと聞こえないティンパニ、伸びる音が苦手なホルン。これらは一見すると無くても良いように思える。でも、実際これらの楽器が抜けると演奏としてのまとまりや深みは一気になくなってしまう。
色々な特徴を持つ食材(楽器)が乗せ集めになることで、沢山のだし(特異性)が沁み出て、おいしいお鍋(深みのある演奏)になる。だからお鍋みたい。
あとは本当に大切なこと(一番美味しいところ)は目に見えないあたりも。
・音以外の音
ブレス、全員の息を吸うときの体の動き、体の中に拍を取り込む瞬間。それらは全て音という音が鳴っているわけではないが、そこには確かに音楽がある。「間」が上手に調理されて、音と音を繋ぐ接着剤として機能することを見せつけられた気がした。
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丁寧な文体に戻します。ここまで長文かつ駄文を読んでくださりありがとうございました!!
久しぶりに芸術に触れたことで創作意欲をかき立てられ、つらつらまとまりの無い文章を書きましたが、芸術はやはり良いですね。感受性を高めてくれるような気がします。
ちなみにタイトルは覚えていますか?
冬青空、一足先に卒業祝う。
冬青空は冬の季語。演奏会の日は一段と空の青が濃い晴天でした。そんな空が、先輩の明るい未来を照らし、卒業を一足先にお祝いしているような、そんな心持ちがしたというタイトル付けです。
みなさんもお手すきの際に、演奏会や美術館など自分の心を潤してくれる出会いを求めてみては。