初恋1
中学校2年生に上がった春、僕は恋をしました。一目惚れでした。
新学期になりクラス替えの発表が行われた時のこと、合格発表にも似たクラス替えの掲示の前で同級生たちが一喜一憂しているのを横目に、ろくに友人がいなかった僕はどのクラスになったのかだけを確認して教室に向かいました。そのとき、クラス替えの掲示に向かっていく彼女とすれ違ったのです。一瞬だけ見た彼女の顔に、僕は胸の奥が鉄の塊に押し付けられたような感覚を覚えました。すぐさま振り返り、そのまま反対方向に向かっていく彼女のことを目で追っていると、彼女は僕と同じクラスの掲示の前で立ち止まりました。
彼女の名前は松本さん。松本さんは決してモテるタイプではなく、クラスではどちらかというと目立たない方。ちょっと天然ボケで、クラスの中心になっているサッカー部の男たちにからかわれるぐらいの存在でした。僕はといえば、当時から人と話すのが得意な方ではなく、ましてや好きな子に話しかけることなんかとてもできず、サッカー部の連中に彼女がからかわれている輪の後ろの方で、一緒になって笑っているのが精一杯でした。
そんな状態のまま季節は過ぎゆき、僕は徐々に肥大化していく胸の塊に悩まされ続けました。夏休みにサッカー部の連中が自慢げにディズニーランドに行った話をしているのを聞けば、その中に彼女がいなかったかどうか気になってしようがなくなり、聞きたくもない自慢話をディズニーランドに行ったことがない振りをして聞きました。それが男だけで行ったことが判明すると、つまらない自慢話もそこに彼女がいなかったというだけで楽しく聞くことができました。そんな有様だったので、勉強が唯一の取り柄だった僕の成績はみるみるうちに下がっていきました。
そんな生活に転機が訪れます。3学期の席替えで僕と彼女は隣の席になったのです。これが何を意味するのか。単に隣の席になれたという喜びだけではありません。ここで隣の席になることは、修学旅行で同じグループで回れるということなのです。やった! やった! 隣に席になった彼女には、したためてきた恋心がばれないようそっけなく「どうも」とだけ言いました。
それからの僕は必死でした。彼女との話題を作るために全く興味がなかったBAKUのCDを買ったり、当時毎晩聞いていた『伊集院光のOh!デカナイト』に谷口宗一が出れば録音して彼女に渡したり、彼女でのオナニーを控えたり、理科の授業中に答え(メスシリンダー)がわからなくなった彼女に僕の前に座っていた女子を指差すことで「(メス! メス!)」「(ん? ん? あーあー!)」ってカンニングの手伝いしたり、彼女でのオナニーはなるべく控えたり、彼女でのオナニーを控えるために友達にAVを借りたり、空想上の彼女には決してフェラチオさせなかったり、それはもう中学校に入学して初めての青春全力疾走でした。
そんな努力も実ってか、いつの間にか彼女と打ち解け、彼女をレディクラ(岸谷五朗の東京レディオクラブ)リスナーからOh!デカリスナーへ鞍替えさせるのに成功するまでに至りました。それからも修学旅行に向けてグループ行動の計画など楽しい日々は続き、いつしか僕の胸の塊は消えさっていました。しかしあまりにもその日々が楽しすぎたため、この関係を壊したくないと思うようになり、恋心を伝えることなんて考えもしないようになりました。
いよいよ楽しい修学旅行。一日目の全体行動で奈良を回っているときも、次の日のグループ行動が楽しみで、薬師寺名物お坊さんの楽しい説法が何が面白いんだかわからなくても「やるねぇ。お兄さんやるねぇ。がはは」なんて大爆笑して聞いていました。その日の夜、サッカー部連中が夜中に女子の部屋に忍び込んだときはさすがに胸が重くなりましたがが、すぐさま見つかって先生の怒鳴り声が聞こえてきて安心したりしました。そんな有様なので、二日目のグループ行動の時には僕はもう有頂天で彼女を喜ばすために、「なんでやねん。なんでやねん。あ、京都だとなんどすねんかぁ。がはは」なんて何が面白いんだかわからないことを口走ったりしていましたが、彼女は笑ってくれました。
それは金閣寺に着いたときのことでした。たまたま僕と同じ陸上部の深山君に会いました。僕のいた中学校は駅伝競走が盛んで、大会ともなると学校総出で応援していました。深山君はその駅伝のエースで、ブランド物といえばアシックスとかランバードだったあの時代においては、いわば学年のアイドル。僕は、実は彼はただのビッグマウスだというのを知っていたので内心嫌っていましたが、彼と友達といることでその他の人との人間関係を作り上げていたので仕方なく子犬のように付き従っていました。
「よう、大熊! なにお前これから金閣寺行くの? 俺、今出てきたところだけど全然面白くねーぞ。いいから俺らとアジダスTシャツ買いに行こうぜ!」
学校にそんなこと許されるわけがないし、自身そうするつもりがないのに、彼はわざとそういうことを言って悪ぶります。かといって僕も「フカちゃ~ん、勘弁してよぉ」ぐらいしか言うことができません。そんなやり取りのせいで僕のグループの人たちを待たせているのが申し訳なくなり、ちらちらと松本さんを見ていたのですが、なにか様子がおかしいです。彼女がずっとうつむいているのです。かすかに見えるその顔は真っ赤になっていました。
そう、彼女は深山のことが好きだったのです。
(明日につづく)