自死の打ち明け
親が自死したことを人に話すと、
「なんで?」
なんて言われることがある。
別に興味とかっていうよりも、
「なんでそんなことしちゃったの?」
っていう意味合いの方が強いと思う。
ただ、
「なんで?」
と言われても、鬱だったからとしか答えようのないことで、
それ以上でもそれ以下でもない。
身内が自死したことを隠しがちではあるが、それは仕方がないことではある。
単純に
「なんで?」
「どうして?」
同情の意味合いが強いとはいえ、こう聞かれるのが非常に困る。
故人本人が選んだことで、本人の気持ちは本人しかわからない。
こちらとしては、辛かったから自死したんだろうとはわかるけど、
それがどれだけのことだったのかは想像でしかわからない。
自死するぐらい辛かった。
じゃあどの程度かっていうのは、正確にはわからない。わかる方法もない。
死人に口なし。結局、本人しか知りえない。
だからこそ、遺族として辛い部分の一つでもある。
遺族自身が
「なんで?」
「どうして?」
って思うことだって少なくない。
もしかすると多いだろう。
残された側が、故人がなぜ自死を選んだのかってわからないんだから、
「どうして、もっと良くしてあげられなかったのか」
とわからなかった自分を責めてしまう。
自分はそういう考え方にはならなかった。
父との今生の別れは、父の自死だろうとなんとなく頭にあったから。
だけど、やっぱり思うことはあったりもする。
死にたいくらい辛かったのはわかるけど、結局何が原因なのかはわからずじまい。これはたぶん本人もわからなかったんだろう。それが余計に希死念慮を加速させていたのかもしれない。
結局、かもしれない。で終わってしまう。
全てが憶測になってしまう。今後一切、答えがわからないのだ。
そういうこともあったりするから、遺族は自死を話さなかったりする。
聞かれても答えられなかったりして困るし、自死はなんだか恥ずかしいみたいな風潮もあったりする。
もし、周りにそういう人が居て、話を聞いたら、
「大変だったな。」と労わってあげてほしい。
自死を打ち明けるってことはその人のことを信頼しているから。
寄り添うというよりも、なんとなく気にかけてあげるくらいがちょうどいい。
遺族となって思ったことは、隠し通すっていうのはそれだけでエネルギーが消費する。
ずっと隠し通せるわけでもない。隠せば隠すほど、いざっていうとき真実を話すタイミングがなくなってしまう。
本当に信頼できる人だけでもいい。
そういう人がいないなら、カウンセラーとかでもいい。
打ち明けるってことだけでも、心に余裕ができる。
一人だけで、受け止めようとしても無理。自分がパンクしちゃう。
いずれかは、一人でやらなきゃならないこともでてくる。
だけど、初めから一人でなんて無理。
最初のうちは周りの人に助けてもらう。
落ち着いてきてから一人でやっていく。
全部ひとりで抱え込む必要はない。