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豊島紀 ㉜あまりに人間的な豊島将之の将棋について
「ひきつづき、せいいっぱいがんばりたいとおもいます…」
と、さきほど王将戦挑戦者決定リーグ永瀬拓矢九段戦を投了したのち、インタビューの最後に豊島はそう言った。静かに。この人は腹の底から声を出したことがあるのか?と思うような、吐息みたいな声だった。
その四日前の、王将戦挑戦者決定リーグ3回戦、羽生善治九段を相手に豊島は飛車を振った。おい、相手は羽生善治だぞ、と見物がうろたえるのもものともせず振った。そして、途中やや押されはしたものの勝った。この何日か前にはA級順位戦で天敵(と私が勝手に思っている)永瀬拓矢と戦って勝った。この対永瀬戦と、対羽生戦、二局を見て「豊島将之の将棋は次のフェーズに入ったのではないか」と感じ、そのことについて考えていた時に、こんなことが起こった。
昨日の番組最後でまともに答えなかったのはウケ狙いではなく機嫌が悪かったからです。どれだけ答えようが、もらうお金は変わらないので別にいいんですけど、質問、それだけ?もっと話せたのにな、竜王戦の展望だって、第1局を自分は3日間現場で見てるのに聞かないんだ?そもそも、そのこと自体把握して…
— 渡辺 明 (@watanabe_1984) October 18, 2023
騒ぎがあると聞きつければ走って見にいく私。ただちにNHKプラスで、
この『クローズアップ現代』を見直した。オンエアの時は途中で見るのをやめてしまったので──というのは別に藤井聡太に思うところがあったわけじゃなく、単に「そんな新しい知見も得られないなー」と思ったので。クロ現なんて「堅い話題を扱うワイドショー」のようなもんで、月〜金帯の三十分番組がそんな深掘りできるわけがない。前にクロ現で藤井聡太七冠ネタでやった時も内容浅かったし。最低限、『NHKスペシャル』ぐらいやってもらわないと将棋ファンが「ほおー」と思える内容にはならないだろう。
そんなわけで、渡辺明が言ってる「ラストの攻防」を見直した。どんだけ空気悪くなったのか前のめりになって見てたが、「……べつにたいしたことなくね?」。いつも通りの、わかりやすい渡辺のトークで、いかに藤井聡太が強いかを説明させられたあとに、「これから藤井八冠とどのように戦いますか」「さあー(苦笑)」って、これだけですよ。あんなツイートしなきゃ騒ぎなんか起こらんよ。誰かになんか言われたんだろうか。いやたぶん、渡辺さん本人がいちばん、あの対応を気にしてたんだと思う。やっちまったー、と。しかし同時に「オレを呼ぶならもうちょっとどうにかしろよな」という腹立ちもムラムラと思い出してしまい、黙っていられなくてついツイートしちゃったんだ。自虐も折り込みつつ、チクチクと。しかし……
たくさんの励まし、ご意見、ありがとうございました。自分が怒りやすいこと、面倒なやつであることを改めて自覚しました。
— 渡辺 明 (@watanabe_1984) October 18, 2023
今後は周りに迷惑をかけないように心掛けて、受けた仕事は誠心誠意、取り組みたいと思います。
ううう、胸が痛い。いやー、ここに至るまでの渡辺さんの胸中が手に取るように(勝手に)わかる。クロ現に呼ばれて思ったようなパフォーマンスを披露できず、それは渡辺さんとしては「敗北」であり、負けたことにガマンができず(勝負師はすべて負けず嫌いである)、辛抱たまらずツイート。そしてこんなことに。しみじみと「負け方を誤ったな」と思った。負けた時には黙ってじっとしておくのが最善手なのだ。しかし、どうしてもジタバタしてやらかしてしまう。そういうやらかしを、まったくしたことがない人間というのはいるのだろうか? 私なんかそんなやらかしを続けて生きてきたようなもんだ。だからじゃないけど、「まったくやらかさない人間」を私は信用できない。
藤井聡太が八冠を達成した棋聖戦第4局の永瀬拓矢のことを思い出した。ワイドショーなどでもネタにされた、悪手に気づいた永瀬が「ぐわー」と髪をかきむしり、天を仰いだ、アレ。あの場面は「あの永瀬がそんなことをしてしまうぐらい、あの局面がすごいものだった」ということを、将棋を知る人にも知らない人にも見せつけた、ある意味名場面であったわけだが、そして私も「うわー、これは」と衝撃を受けたが、永瀬が投了するまでの時間(けっこう粘っていた)、中継の画面を見ながら、「永瀬は、見られることを意識して髪をかきむしったのでは?」という考えが浮かんだ。
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ひどいことを言ってると思われるかもしれないが、永瀬という人は、対局やインタビューを見る限り、自分の言動は相当自覚的になされてるじゃないですか。それは渡辺明もそうなんだけど、やや方向性がちがう。渡辺は「私は私のことをわかってもらうために、はっきりと語り行動する」だし、永瀬は「私は、私のことなどわかってもらう必要はないと思っています、と大声で宣言する」感じ。聴衆に向かって「大きな声で自分のことを表明する」という意味では同じで、聴衆に求めるものは真逆。
あの永瀬の「ぐわー」というアタマかきむしりの様は、永瀬が「やらかしで負ける(=タイトルを失い、藤井聡太に八冠を与えることになる)自分を、聴衆にぶちまけたかった」ように、私には見えたのだ。その姿がどんなふうに受け取られることもわかった上でやっている。
そうやって見ていると、豊島将之の特異性が浮かび上がる。豊島って、「言わないでいいことを言っちゃった」「やらんでいいことをしでかす」「あえてこんなことをやってみせます」みたいなことが、
いっさい、無い
じゃないですか(将棋じゃなくて盤外の話ですよ)。将棋は勝負事でありプロ棋士はいわばプロレスラーと同じような「プロファイター」で、マッチメイクが決まった瞬間から勝負が始まってるプロレスと同様、将棋には盤外戦術というものがあり、大山名人などガン手術後、対局時に手術痕を相手にチラ見せして動揺させて勝った(うろ覚えのエピソードなので記憶の捏造があるかもしれません)なんて話を聞くにつけ、盤外での言動もまた実力のうちといえる。渡辺明も永瀬拓矢もそのへんをじゅうぶんに意識した上で発言し行動し、それで「たまにやらかす」わけだ。しかし豊島にはそれがない。盤外をあまり感じさせないし、「やらかし」はもっとない。
豊島の失言ってきいたことあります? 黒豊島の「菅井さんのNHK将棋講座見てました?」「いや(即答)」みたいなやつじゃなくて。豊島の発言で賛否両論とか、炎上とかそういうの。ないでしょ。
勝っても負けても見た目も言動も変わらない。そういう面が、「将棋におけるマナー」「上品なたたずまい」として豊島賛美のネタになったりする。しかしそれ豊島さんが「自制することによってそういう行動をしている」からだけじゃないと思う。
豊島将之は失言も失敗もやらかしも、賛否両論の発言も炎上も、感じの悪い行動も、すべて将棋の盤の上で行っている
そう考えればすべて納得する。やらかさない人を私は信用しない、と書いたけれど、針の穴を通るような細い道を通って相手を追い詰めていくのも、弱った老人から着物をはぎとるように相手の駒を取っていくのも、有り余った札束で若い女の頬をたたくようにして相手の王様を囲んでいくのも、たいがい感じ悪い。悪手を指した=やらかした時、豊島の駒は「ぎゃーーーー」と断末魔の悲鳴をあげている。そして追い詰められてもぐずぐずと、なんとか逃げ込む穴ぐらでもないかとあらゆる道をさぐって、みっともないと言われようがあきらめない粘着性。どうですか、こう書いたら相当にやらかしてるではないか。
「ひきつづき、せいいっぱいがんばりたいとおもいます…」
豊島は、見かけ上がどうであろうとも、勝つためにはこの先、なんでもやっていくだろう。それが私は見たいのだ。だからずっと見続ける。
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