ここは雪国、もの寂しい月のようだった
ここは雪国、頼りない空気が流れる。町が全て白一色に染められている。白以外の色ももう白になってしまったような、慈悲めいた色に。
群馬の水上からの上越国境を越え、湯沢にたどり着いた。降り立つと本当に違う国に来たのかというように、身長なんかよりもはるかに高い積雪を見た。違う国、異世界、そういう例えより、もはや時代を越えてきたのかと言う方が適切かもしれないほどである。それは過去へなのか、はたまた未来へなのか、どちらでもあるしどちらでもなかった。
かつて川端はこの雪国を見たか。できる限り川端の世界に憑依したいと思って上越線下り列車の新清水トンネルでは『雪国』を読み込んだ。「憑依」。このとき文学、音楽、絵画、あらゆる芸術は憑依のために用意されているのだと思った。
湯沢をあとにして北越急行で十日町に向かった。そのまま直江津へ直行しても良かったのだが、どうしてもあらゆる雪国の町を見たかった。『雪国』で島村が縮の産地へ一人汽車で向かったように、私も雪国の頼りない有り様をもっと見たかった。
十日町駅、それは意外にも立派な駅だった。北陸新幹線開通以前は越後湯沢ー金沢間の重要な中継地だったが、開通後はその色が薄れたように感じる。駅を背に、国道を歩いた。晴天だったからか、町の者はみな屋根に登り、雪かきをしていた。その光景はまるで羅生門から外来種の私を監視しているようであったが、人々はそういう好奇の目は一切向けず、ただひたすらに屋根から雪を降ろしていた。
雪解け道はとにかく歩きづらい。凍っていて滑るし、人が歩いた後の硬い雪はつまずきやすい。やはり雪国は頼りないと思った。
ここには都会に蔓延る猥雑さや雑多さがない。都会は本当にぐちゃぐちゃで不協和音で覆われると改めて思った。でもそれは時として均衡を与えてくれる材料になる。できる限り平均的な人間でいさせてくれる。倒れそうになっても倒れきらない。そこには汚くて雑多な密度があるから。雪国はそうはいかない。ぐらぐらと揺らぐし、ふわふわと浮遊する。均衡はほとんど与えられない。
そうか、私は汚れに支えられていたのか。汚れのない単色的な雪国は、汚れを持つ弱い私を支えない。私は簡単に転ぶだろう。なにも、頼りないのは雪国ではなく私のほうだった。都会が地球なら、ここは月か。
そうだ、今日は闇夜だという。島村と駒子がみたあの天の河は見えるだろうか。