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ある暇人(狂人)の日記 2日目

 ニ◯ニ四年五月四日。朝5時にiPhoneの目覚ましが起こしてくてる。アトリエのベッドから起きて、家に向かう。家のキッチンで杜仲茶を牛乳で割ってラテをつくる。ハチミツを入れた。暖かい味がする。家からアトリエまでは徒歩15秒。空はうすい水色だ。山々の緑もうすいグリーン。朝日が当たったところは燃えるような黄色で、影になったところはモノノケでもいそうな深い黒色をしている。空には細くて尖った三日月。野菜の苗は朝露と朝の光を浴びて生き生きとしている。
 生まれてからいままで日記は書いたことはほとんどない。十年くらい前にブログで書いたことがあるが、三日で飽きた。今回は五日間と決めているのでフレッシュに楽しめている。本を書くとき、いまは以前ほど推敲しなくなったとはいえ、二、三回くらいは読み返して、大胆に改稿することもある。この手記は読み返さずそのままnoteにアップしている。新鮮な感覚だ。即興演奏のようでもあるし、その日にアップすると決めているので書く手に迷いがない。このスタイルで何冊か本を書いてみてもいいかもしれない。たぶんぼくの本で自分が納得がいく名作が出来るのは、まだまだ先のことだと感じているし、死を間近にしたときかもしれない。いまはその大いなる助走だと思って書いている。書いている(読んでいる)瞬間にしか小説はない。みたいなことを作家の保坂和志は書いていたが、いままさにぼくは小説を書いている。日記って何を書いたらいいのだろうと、思っていたが小説を書けばいいんだ。昨日は小説家のカフカの日記を手にとってみた。日記といいつつ寓話のような短編も書いているし、日々の記録や妄想、一人の人間が毎分毎秒ごとに考えや気分が変わり続けて、不安定で不定形なことに安心する。ぼくたち生きものは、ころころ変わり続けているのだ。
 アンネの日記もAmazonでポチッてみた。ゴッホの弟テオに宛てた手紙をまとめた文庫があった。ゴッホの日々の記録が綴られている。パラパラめくる。一八九〇年七月二十九日。ゴッホが死んだ日に当日持っていた手紙だ。調べず書いているので合っているかわからないが、ゴッホはピストルで腹を撃ち、そのまま2日くらい生きていたそうだ。

他の画家たちがどんな風に考えていようとも、無意識ながら実際の商売のこととは、およそかけ離れたことを考えている。
 そうだたしかに、我々は自分たちの絵のことだけしか語れないのだ。
(中略)
 自分の仕事のために半ば理性を失ってしまい、そうだ、でも僕の知る限り君(テオ)は画商らしくないし、君は仲間だ。

 ここまで書いて書く手が止まったので、お茶タイム。アトリエの書斎から家にもどってお茶を入れる。アトリエにもどってきてトイレに行き、キッチンで手を洗う。キッチンにはヤドカリたちがガラスの大きめ底が深い器の中にいる。昨日、海水を変えたし、エサもあげた(寒いときはまったく食べない)ので元気だ、と思ったら一匹死んでいる。死んだヤドカリを手にとる。ヤドカリの指なのか腕なのか足なのかわらからいが、カラダ全体ではなかった。たぶんヤドカリたちの中で一番大きなやつだ。大きなヤドカリは巻き貝の中でまだ息をひそめているが生きていた。カラダの一部が取れたのか。ヤドカリたちはカラダが大きくなると今より大きなサイズの巻き貝を探して宿を変える。その大いなヤドカリくん、略して大ヤドカリくんと書くが、大ヤドカリくんは今自分が住んでいる巻き貝より大きな宿がないから困っていのか。ふびんに思って大ヤドカリくんの宿より大きめな巻き貝を拾ってきてガラスの器の海に入れてみたんだけど、引越ししようと四苦八苦してカラダを動かしていたが、引越しは成功しない。彼らを飼いはじめて一年くらい経つ。どうやら大ヤドカリくんはカラダの一部を欠損させながら、同じ宿で生き続けているようだ。世の中は手放しブームですが、嫌なこと向き合いもせずに、単に「やーめた」としても、やっぱり手放したものは違うカタチで返ってくる。大ヤドカリくんのカラダがまたそのうち大きくなるように。ただ大ヤドカリくんはカラダを傷つけて、切り離した。ゴッホの手紙のことを書いていると手が止まった。死を前にしたゴッホの手紙に反応しない訳にはいかないのに、死の間近に持っていた手紙の文という物語以外に反応するところがなかったのだ。画家(自分)と商売(社会)の関係に悩んだままゴッホは死んでいった。悩んでいるというか、ゴッホはどこかで売れさえすれば、この悩みは解決すると思っていて、ぼくはそう言った単略的な答えありきの悩みに興味がない。売れなくて悩んでいる人は、売れても悩む。売れてないことにワクワクする人は、売れてもワクワクしている。もちろんすべてが単純に当てはまる訳ではないが、いま与えられた条件というか、秩序というのもちょっと違う、いまある手持ちの材料や目の前の光景の中で、こさえて、こさえることの喜びを感じてなきゃ、売れないとか売れてても長く続けて作ることはできない。ゴッホの制作期間は十年。十年がきっと限界だったんだ。
 ここで書く手が止まった。家にもどって、ばあばが作ってくれたオートミールとレーズンのオヤツをトースターで焼いて食べる。人間には限界などあるのだろうか。大ヤドカリくんのようにカラダの一部を切り取り、生を続けることもできた。ゴッホは耳の一部を切ったり、腹にピストルを撃ったりしたのも生きるための延命作業だったのかもしれない。大ヤドカリくんはカラダを切り取り死ぬことに失敗したが、ゴッホは間違って死ぬことに成功した。その答えは手紙には書いていない。人の考えが読み解けたり理解できたりはしない。誤解はできるし、誤解こそが自分の心に何かを灯してくれる。ゴッホの手紙は凡庸ともいえるほどシンプルで、彼は本当に見たまま感じたまま絵を描いたんだと思う。これも誤解だろうが、ぼくは大胆に間違って生を謳歌したい。印象派以前の画家の絵を見てから、実際に描かれた場所に行くと、あの絵が描かれた場所だなあ、と感動する、とある美術評論家が言っていたらしい。らしいというのは、ぼくはその言葉をテレビやネットやましてや直接聞いた訳ではなく、本で読んだからだ。だかセザンヌやゴッホの絵はそうはならない。ゴッホの絵はゴッホの絵を見たときだけ感動するのだ。ぼくもゴッホの絵を見たときに絵の前から動けなくなった。絵は止まっているはずなのに、絵の中ある描かれたもの、描かれていないものまで、すべてが動いている。大ヤドカリくんの切り取られたカラダを畑の土に埋めた。美術評論家は、ゴッホたちは風景を書いたのではなく、ゴッホは自分を描いたと言ったらしいが、半分はほんとで、半分は間違っている気がする。ゴッホは手紙で純粋に見たまま描いているし、見えているものしか描けないとどこかで書いてた。ただゴッホもセザンヌも、絵がヘタだったので、見たまま描いたものが、技術と現実を超えてしまったのかもしれない。ぼくはゴッホやセザンヌのヘタさに勇気づけられる。

 昨日は、自転車で家からちょっと遠くの食材屋さんに行って、ひまわり油、粉糖などを買った。実家に行くと、使ってない薄力粉、シナモン、カカオの粉、などがあったので、今日はドーナツをつくる。五月十二日にミドリノコヤのミドリちゃんたちが主催のマルシェがある。この前、ミドリノコヤに行ったときに、ミドリちゃんと、東京から小説家の光ちゃんも来てて、ノリで出店するよと言ってしまった。最近は料理するのが楽しいので、たまには遊びで何か作って出店するものいいかも。ノリは大事だ。昨日も書いたが、子どもは突然やり始めると熱中する。やる前に「ワクワクしない」「閉塞感がある」とか「やる気だったのになくなった」とか「面倒くさくなった」とかをぼくはまるっきり信じていない。やったあとの「思ってのと違った」「結果が出なかった」「意味がなかった」も信じていない。生きていることすべてに意味がある。みんなやっているときは集中して楽しそうなのに、やる前とやった後に記憶の捏造や軌道修正がおこなわれる。社会は、その時代ごとにあった規制をかけると思われがちだが、いつも止めているのは、社会ではなく、社会が住み着いた自分の心だ。やる前の「予想」と、やった後の「記憶」が、集中した楽しさを思い出せるものに変われば、革命はおきるし、すでに革命は起きてる。

 現在は九時ちょうど。さてこの後は小説を書いて、昼ごはんを作って食べて、昼寝をしたら、ドーナツを作ろう。時間が余ったら畑に苗を植えよう。サビサビで四つしか弦がなかったギターの弦を変えて、音を鳴らそう。ぼくの一日は手を使った世界との感触で満たされている。


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