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ある暇人(狂人)の日記 1日目


 ニ◯ニ四年五月三日。朝五時にスマホの目覚まし時計が鳴る。起きて島で手積みした杜仲茶の乾燥した葉っぱを煮出した。アトリエの書斎の長机にカフカの日記を置いてパラパラとめくる。

一九一一年二月十九日。最も幸福にしてまた不幸なぼくがいま、夜中のニ時に寝につくときのインスピレーションは多分ぼくがそれを考えさえしなければ、いつまでも続くだろう。なぜなら、それは以前のどんなインスピレーションより高尚なものだからだ。ある一つの仕事だけを目指すものではなく、何でも出来るという性質のものである。

 ぱら読みしながらざざっと書き写したので、漢字がひらがなになっていたりはするし、何度も読み直さないので、だいたいだがそう書かれていた。作る前に考えない。書き始めると事前に考えていたことと違うことが浮かんでくる。この現象とどう向き合うのか、というのが小説を書くことで必要な誰も教えてくれない真実です、みたいなことを作家の山下澄人が書いていた。書いていたと書いたが読み返してないので書いていないかもしれない。カフカもそう感じていたのか。大人が何も準備しないで何かが始まることはない。子どもは準備されたことを嫌がる。突然起こったことに熱中する。最低限の準備だけして、子どものように書く。ある一つの高みや深みを目指さず、何でも出来ることをやる。それはぼくが最近、試している創作方法ともユニゾンしている。
 二年くらい前からアコースティックギターを弾くようになった。ぼくは絵や文章を書くことを仕事としている。描いた絵、書いた言葉はすべて発表している。日常に何か一つは秘密の芸術行為があったほうがいいのではと演奏を始めた。見せること見せないこと両方ともぼくには重要なことだ。譜面を読んだり、若い頃はバンドもしていたのでギターコードもいくつかは知っていたが、もう忘れたし、覚えようとも思わない。一人で何にもとらわれず自由に弾く。誰かにみせることもない。作曲したりしてカタチにもしない。一度だけ録音したが、録音すると正確に演奏しようとする自意識がでてきて、つまらない気分になるからやめた。ただただ即興で弾きたくなったら10分くらい弾くというスタイルで二年がたった。
 二年前に因島に移住してきたゴブさんはドラマーだ。散歩してるときに、たまたまゴブさんと奥さんのカオルンにあった。カオルンはゴブさんが医者からお酒をやめるように言われたことを心配している。ゴブさんは何で楽しいことをやめなあかんねん、という楽観的な考えの持ち主だ。黒澤明も大酒飲みの大喰らいで医者からもとめられていたと、どこかで語っていた気がするがいまぼくが捏造しているかもしれないからテキトーに読んでてほしいが、無責任には書いていない。黒澤明は九十才まで生きて元気に映画を撮った。ぼくは心配や不安から何かを辞めるという極めて人間的な好意をはなから信じていないのだ。ぼくは、ゴブさん楽しいこと辞める必要はないよね、ただお酒飲んでない時間が楽しくないのは違うと思うから、もっと楽しいこと増やそうよ、といった。ゴブさんはバンドしているときが楽しいそうだ。こちらに来てからもバンドをしているが、他のメンバーはちょっと離れたところに住んでいるから、あまりスタジオに入れない。ライブも頻繁にはできない。じゃあ、ぼくと一緒にバンドしようぜ、とその場のノリで誘った。ぼくはノリでどんどん新しいことを始める。もちろん失敗したり苦しみを産むこともあるが、新しいことを始めるとすうっと心と体に風が吹き抜ける。それは今までに感じたことのない穏やかで心地よい風だ。光に照らされすぎて熱を帯びたカラダに清涼をあたえてくれる。この心地よさと、苦しみのどちらもぼくには必要なことだ。楽しいばかりでも苦しいばかりでも人生はつまらない。差異が変化を生み出すのだ。という訳で中年のオッさん二人がバンドを組んだ。
 二日前にさっそくスタジオに入った。ゴブさん家から徒歩三分、ぼくのアトリエからも徒歩十分のとこに、もともとBARだったとこを借りてゴブさんたちのバンドがスタジオにしている。ありがたいことにそこを借りて演奏することになった。ラッキーだ。
 エレキギターをギターアンプから音を出して弾くのは二十年ぶりくらいだろうか。タンスの上に置いていた黒色のSGというエレキギターは表面がびっしりホコリにまみれていて、ネズミ色のギターになっていた。娘のゆもちゃんに、大ちゃんが高校生のときに買ったギターやで、と見せると何だか興奮している。ギターを吹くのを手伝ってくれた。

 とここまで書いたところで、空っぽになったコップにお茶を注ぐために家にもどる。アトリエから家までは徒歩15秒くらい。家の玄関には空のペットボトルが二本置いてある。うちではヤドカリを飼っている。定期的に海水も変えてあげる。近くの海でペットボトルに海水をくんでるんだけど、ずっと忘れてしまっていて、玄関に置いたら忘れてないだろうと思って置いてたら、もう二日ほどたっている。忘れないようにカバンにペットボトルを入れた。忘れていたついでに昨日、ホームセンターで野菜の苗を買った。トウモロコシ、大玉のトマト、ナス、あと何種類か買ったが忘れた。畑に置いていた苗が元気が見に行く。ぼくの畑は今年から耕さずに肥料もなしでやってみてる。草も刈りそろえるが、根っこから抜いたりしたい。種を植えてみた。発芽したものしないものがあるが、いつもどうり順調だ。うちはコンポストトイレを使っているのでウンチを肥料にして畑をしていた。肥料消費のため、一部だけを耕す。種を植えたわけではないが、うんちのなかにあった種から、トマトとカボチャが発芽する。なんかどんどん畑が自由になっている。何もしないわけではないが、しようとはしていないが、偶然何かが生まれる。作為と作為を超えたものの間。そう言ったものに惹かれる。完全な好みだが、計算どうり、みたいなものに興味はない。ゴブさんとの演奏をそうだった。ゴブさんの安心感のあるリズムの中で、いつも一人で弾くような不定形なリズムは鳴らせない。ある意味では一人きりの孤独な自由はなくったが、ゴブさんのリズムの中で弾くギターは新しい自分に出会えたみたいで新鮮だ。演奏が終わるとカオルンが、カッコいいと涙ぐんでいる。ゆもちゃんもスタジオに来ていて、だいちゃんまた仕事になるんちゃう、といい、ゆもちゃんの予言は当たる、半分くらいと自信まんまんにいう。さっそく7月にライブの予定を入れてみた。

 昨日から、ミワコちゃんとゆもちゃんは木須家のみなさんと長崎に旅行に出かけた。ぼくはめちゃくちゃ気を使ってしまうので、ミワコちゃん家族の旅行には参加しない、笑。だから暇なので五日間限定で日記というか、朝起きてから思いついたことの手記を書いて公開しようと思う。また暇なときにもう五日分かけば本になりそうだ。

 昨日、ホームセンターで苗を買って家に帰ると、ちょうど、ミワコちゃんたちは出発するところだった。夕焼け前の淡い光が車とミワコちゃん、ゆもちゃんを照らす。ゆもちゃんは車でドライブが苦手で機嫌が悪い。ミワコちゃんは旅が大好きなので上機嫌。ぼくも旅はそこそこには好きだけで、もっと好きなことがある。机の上で作業しているときが、もっとも遠くに行ける。小説を書いたり、絵を描いたり、音楽を奏でるときもそうだ。人類が夢想した宇宙の果てよりもっと遠いところへ。

 
 

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