筆者の自己紹介(①不登校〜脱不登校編)[記事NO.0]

こんにちは。不登校経験者の大吉neatです。この記事では私の学生時代を紹介できたらな、と思っています。※文字数の関係で①とに分割しています。

まずは大人になった「今の私の自己紹介」

私はいわゆる「難関大学卒業」で、大手と言われる企業に勤め、年齢の割には高い給料を貰って働いている30歳前後の会社員です。良い大学を卒業して、良い会社に入り・・・という昭和・平成的なエリート街道を歩んでおります。

なんかきもいナルシストっぽくなってしまいましたが(笑)、私は中学生の時に不登校を経験しており、進学した高校は「入試で1桁の足し算が出題される」レベルの高校でした。なので輝かしいエリートというよりは、陽の光の当たらない落ちこぼれという言葉がしっくりくる中高生時代でした。


★中学生編

不登校のきっかけ

中学1年生、2年生と恐らく私はどこにでもいる中学生でした。今でも思い出せることは、勉強は苦手でも得意でもなかったこと、部活動のスポーツが得意だったことと、中学1〜2年生の時に同じクラスの同級生(渡辺くん、他数名)にいじめられていたことです。といってもトイレに連れていかれてバケツの水をかけられるとかタバコを押し付けられるといったことはなく、教科書を隠されたりたまに殴られたり(痛くは無い)、意味もなく恫喝されたりちょいちょい嫌がらせをされるぐらいで、「いじめで不登校」という言葉から連想される「過激ないじめの内容」とは全然異なります。要するに私は世間一般の人よりも「嫌なこと耐性が低かった」&「思い切りが良かった、行動力があった」のだと思います。(行動力はこの時悪い方に作用していますが笑)

あれから15年以上経ち、おじさんの感性を獲得した今となっては、「そんなことで・・・」と自分でも思うのですが、当時の私にとっては本当に不愉快なことで毎日がとても憂鬱でした。

ちなみに、これを読んでいる方の中には「そんなに嫌なら”いじめられている事実”を学校や親に言えばよかったじゃないか」と思う人もいると思います。
これがね・・・言えないんですよ。特に私は親には絶対に言えなかったし、学校の先生にも言えなかった。なんなら「いじめられているのか?」と問いかけられたとしても「いいえ」と返していたと思います。
それには色々な感情が入り混じっていますが、学校や友人に対してはいじめを相談することは「恥ずかしい」「みっともない」、親に対しては加えて「子がいじめられていると知って悲しませたくない」「いじめられている”みっともない”自分を隠したい」と思っていました。
残念ながらいじめが原因で自殺してしまう子が毎年います。そういった痛ましい事件が起きるたびに、多くの先生は「知らなかった」と回答します。これはおそらく多くは上記のようないじめられっ子の心理により本当に知らなかったのだと思います。

少し話がそれましたが、そんな私が中学3年生に進級した時、ついにクラス替えで「いじめっ子と離れられる!!!」と期待していたのですがクラス名簿には「渡辺」の文字。自分の中で「嫌だが学校には頑張って行かねば」という思いが消え、「ふざけるな、学校はなぜ自分に嫌がらせをするのか」と感じていました
こうしてクラス替え発表の翌日から中学卒業までの約1年間、不登校をしました。4月の頭に一度だけ頑張って午後から登校したことが確かあったのですが、同じクラスにいた渡辺くんの姿を見て、不快感を覚え翌日からは「学校へは行かない」ことを選びました。


学校へ行きたくない理由は誰にも話さなかった

不登校をし始めた4月上旬、私は仮病を使い「頭が痛い」「朝起きられない」といいながら共働きの両親が出かけるまで布団に包まっていました。この仮病の理由は、仲の良い友達が低血圧(恐らく起立性調節障害)で朝起きられず、いつもお昼から登校してきていたから「これは使える!」と悪知恵が働いたためです。

8:30ごろに母親が家を出て行ったことを確認すると、後は自由時間。何事もなかったかのように過ごしていました。

次第に両親も不登校の心理などを勉強したようで、不登校については触れなくなりました。こうして私は仮病を使うこともなく、仕事から帰宅した親と顔を合わせたくないから部屋に引きこもることもなく、好きなことだけをして生きていました。

ちなみに「私が不登校をした理由」は不登校から約15年が経過した今も話していませんし、聞かれません。「親ならどこかで聞きつけてわかっているのかな」とも思っていますが、大人になったいま「親も人間である」「(私は長男だったので)初めての子育てだった」ということを考えると、毎日不安に押し潰れそうだったのかな、と15年遅れで反省しております。


フリースクールに通うも続かない。

不登校になった直後ぐらいに学校の勧めでフリースクールにもに通ったこともありました。結論から書きますと、私の記憶だと初回の面談1回を除けば2回ぐらいしか行きませんでした。行かなくなった理由は単純につまらなかったんですよね。

もう記憶はほとんどないのですが、確か午前中は室内で勉強し、午後は晴れていたら近くの公園でスポーツをして、学校が終わるよりも少し前に解散&各自帰宅というカリキュラムだったと思います(恐らくもっとやっていることはあったと思うのですが、私が数回で行くのをやめてしまったので実情は私にはよくわからないため、勧めることも「行くべきではない」と否定することもできません。)

フリースクールにもよるかとは思いますが、各地域のいくつかの小・中学校に通っていたはずの学生が集まってくるので、同い年ぐらいの学生との集団生活と、ほんの少しだけ勉強(自習)もさせることができます。

完全に余談ですが、1つだけフリースクール関連ではっきりと覚えていることがありまして、それは小学校が同じで中学は別だったK君がフリースクールにいたことです。約2年ぶりの再会ですから最初はK君なのかわからず、「もしかしてK君・・・?」と恐る恐る話しかけたことを今でも覚えています。K君は気弱そうな見た目&運動は大の苦手というタイプでしたが博識で小学生ながらに感心させられることが多かった記憶です。結局その時連絡先を交換しなかったので、その後どうなったか私はわかりませんが、今でも元気にしていると地元が同じ&元不登校をした同志?として嬉しいのですが。


不登校期間中に何をしていたのか?

これは近々別記事を書こうと思っていますので、詳しくはそちらに書こうと思いますが、中学3年生(一般的な同級生は受験を意識して勉強を頑張っている頃)にも関わらず私は一切勉強しませんでした。

もともと私は勉強が嫌いだったので、勉強しなくて良いことはラッキーと当初は考えていたのですが、不登校をしてから数ヶ月経った頃には、「(当時中学校3年生だったため)もう今から頑張っても高校受験には間に合わない」と諦めの境地に至りました。
もうここまで来ると、考えると不安になるだけなので、思考停止して現実逃避していました。老若男女問わず多くの人間は辛い現実となかなか向き合うことができません。
これは「自分は騙されているのではないか」という現実を認められずに、考えることなしに更に詐欺師へお金を渡してしまう心理と近いのかもしれません。

では何をしていたのか?

不登校をし始めた当初はゲームをやったり、漫画を読んだりしていましたが、1日中やっていれば1ヶ月もしないうちに飽きます。そのため、基本的に毎日「暇」していました。もし2023年現在で不登校をしていたら、無料でできるゲームとyou tubeの毎日だったと思います。

しかし当時はまだyoutubeには子どもが見て楽しめるコンテンツはほとんどなく。ブックオフとゲオに入り浸り漫画を読み漁り(腕が筋肉痛になるまで立ち読みしました笑)、午後のロードショーで週に何本も映画を見て、なんならその前の午後ドラを見たりと暇な毎日を送っていました。

とは言え、それでもやはり暇で仕方がなく・・・
PCで絵を描いたり、ゲームを買うお金欲しさにHPを作って今でいうアフィリエイトを始めてみたり・・・と、その後の人生で役立つことも少しかじっていました。詳しくはまた別記事で・・・!


話は少し飛んでいざ高校受験

通年の成績が固まる前、恐らく秋冬ぐらいだとは思うのですが、私も高校へ行くことになりました。クラーク記念国際高等学校という広域通信制高校の高校です。なんだそりゃって人もいるかもしれないので、簡単に説明すると「不登校経験者などを積極的に受け入れている高校(多くが私立高校)です。

いくつもある広域通信制高校からクラーク高校を選んだ理由は「親が推したから」「他の高校の説明会へ行くのがめんどくさかったから」の2つです。

今思うと「おいおい」とツッコミどころ満載な理由ですが、おそらく多くの広域通信生高校へ進学する生徒の多くは同じような動機だと思います。
不登校経験者に限らず、進学先の高校や大学を選ぶときは一般的には「偏差値」「学費」「通学距離」「その学校の魅力」になります。
広域通信制高校の偏差値は”どこも同じ(願書出せばだいたい入れる)”、学費は”どこも高い”、通学距離もだいたいターミナル駅など栄えている場所が多いので”あまり変わらない”。
よって、本人が”この学校に魅力を感じるか”でほぼ決まりますが、大学進学率とかを高校生に説いても???な訳で、よっぽど自分が気に入っているカリキュラムがないとプラスには作用しません。
なので、おそらくこれを読んでいるあなたのお子さんも、高校に対する熱量はこんな感じだと思います。(※むしろこういうところが良いという希望があることはとても良い!)

本流に戻ります。そのため、私はいつ高校入試をいつ受けたのかもあやふやですし、合格通知が来た日は寒い時期で普通の高校入試の結果よりもずっと前に決まった&寒い季節だった気がする・・・くらいしか覚えていません。要するに親が言うから「わかったわかった受ける」状態で、受かっても「ふ〜ん、よかったね(自分のことなのに)」でした

ちなみに私が進学したクラーク高校に限らず広域通信制高校の生徒は中学以前で不登校を経験した人や病気等の理由で中学に通うことができなかった人が多数派だと思いますクラーク高校に限れば中学以前で不登校を経験した人がほとんどの”はず”です。

小学生から不登校をしている人もいれば、私のように中学校から不登校をしている人もいますし、難関私立中学校をドロップアウトしてきて「中学2年生の時点で中学範囲の勉強をほとんど終えている」なんて人もいます。このように志望してくる生徒側の学力水準の幅が広すぎるため、高校入試で小学校の学習内容〜中学3年生までの内容が出題されることが多いようです。そして同様の理由で入学試験のテストも点数は参考値として用いられるだけで実際はその他試験科目(面接や作文)で入試合否が判断されるようです。
※当時のクラーク高校の話ですので今日の事情は各校へお問い合わせください。

余談ですが、私は試験を受けたときに「足し算でた・・・」など驚きも感じましたが、アルファベットを書けという問題が出たときに「あれ?アルファベットのLMNの順番ってどうだっけ・・・?とかなり悩みました。そして恐らくNMLと間違えて記述しています。※順番を間違えて覚えていることはずーっと先になって気づきます。」


そして中学卒業、高校入学

再掲になりますが、私は不登校をした約一年間のうち勉強らしい勉強は1秒たりともしていません。ということでこの1年間の不登校期間を振り返ると、通信簿は通年でオール1、出席日数10日以下/年。学年イチのワルを圧倒する、ぶっちぎりで低い成績でした。

中学校の全体卒業式(AM)の後、午後になってから両親と中学に行き、卒業証書を職員室でもらいました。いわゆる「ボッチ卒業式」です。その時職員室にいた先生方が私一人のために何かの合唱曲を歌ってくれたのですが、それを嫌嫌歌う先生方の姿と、その歌を聞かなければならなかった謎の時間が今でも記憶に残っています(控えめに言っても地獄でした笑)生徒に普段「真面目にやれ!」と言う先生も所詮人間なんだな、と感じた瞬間でした。
このためだけに正装して一緒に中学校に来てくれた両親に申し訳なく思ったことを今でもよく覚えています。

そして高校入学

中学を卒業したと思ったらすぐに高校の入学式。嫌だめんどくさいと思いながらも両親と入学式会場に向かって歩いて行ったことを今でも覚えています。

クラス分けを見たら男女混合の25名ほどのクラスで、1組に振り分けられていました。(当時1組は学力水準で生徒をクラス分けした時に最も学力が高かった組でした。※とはいえ私の学力は中2で止まっています。)

あんまり可愛い子もカッコいいやつもいないな、というのが私の感想でした笑(決して人のこと言えるわけではないんですよ笑)
毎日学校行くの大変だな、と思いながら、不登校をしていた自分でも入れるぐらいのレベルの低い高校だけど頑張ろう・・・と決意し帰路につきました。


あまり高校に期待していなかった割には高校生活をめちゃくちゃ楽しむ。

入学当初は「レベルが低い」と毛嫌いしていた高校でしたが、入学して1〜2ヶ月が経ち慣れてくると、なかなか悪くないと思いました。皆不登校をしていた経験がある(と思われる)ことから中学時代の話をしない、しても相手に質問をしてはいけないという暗黙のルールがあり、聞かれたくないことは聞かれなかったのがとても居心地がよかったです。(※なので、先に「クラーク高校に限れば中学以前で不登校を経験した人がほとんどの”はず”です。」と記載したのは本当にあまり知らないからなのです。)

いじめられない学校生活。アニメやゲームといった自分にとって新しいカルチャー。高校がターミナル駅に近い場所にあったため行動範囲が爆発的に広がったこと・・・などなど。
仲の良い友人もでき、毎日そこそこ楽しいことに心躍らせていました。中学3年生で不登校をしていたのが嘘のように、学校にはちゃんと通っていましたし、生徒会や軽音楽部に入部したりと青春らしきことはそこそこできたかな、と思っています。私の同級生を思い返すと、8割以上の人は「本当に中学校行っていなかったの?」と言われるぐらいちゃんと学校に来ていました。

クラーク高校の話は別記事で詳しく書く予定です。そちらを参考いただけますと幸いです。


「不登校〜脱不登校編」は終了

これにて不登校〜脱不登校編は終了となります。次は②大学受験編になります。

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