終わりは新しい始まり 本の価値を考える 学びのアップデートのために
現代は、検索すればすぐに何でも知ることができますよね。今、わたしたちが一日に得ている情報量って、膨大だと思います。意識して情報の断捨離を知たり、テレビを置かなかったり、SNSをしないという選択をしたりなど、自分で情報の取捨選択をしないと、さまざまな情報のシャワーをずうっと浴びることになります。
無料でも有益な情報はたくさんあります。
しかしながら、多角的・多面的に情報と向き合わないと、時には、ミスリードされてしまったり、ある特定の意図をもった方向にコントロールされたり、購入する(させられる)ビジネス?の方向に誘導されたりなど、「情報の精度をいつも意識する」ということが大事ではないでしょうか。
だからこそ、わたしは有料の本を読むということに価値があると思います。とくに、仕事関係の情報は、お金を出して学びをアップデートすることを意識しております。
一冊の本、いったいぜんたいどのように世に出るのでしょうか。
表舞台にはあまり出てこないので想像できないかもですが、本ができあがるまでには編集、校閲、デザイナーなど多くのプロフェッショナルな方々たちが関わっています。
情報の精度、質の担保という意味で本が有料なのは、執筆者(著者)には原稿料が発生します。そして、執筆者(著者)を支える編集チームにも人件費がかかります。また、印刷代、送料などの経費がかかります。場合によっては広告宣伝費もかかります。
繰り返しになりますが、無料でも有益な情報はたくさんありますが、お金を支払い学びをアップデートする本の価値って、とっても大きいとわたしは考えています。
たぶん対価を支払うということで目標に対してより明確に意識される(意識する)ことが、学びをより進化、深化させると思います。
功徳を積むというか、お賽銭と同じ理屈ですかね。
ありがとう!と笑顔は無料です。ゆえに、大いに無限で無量、しかも無料の魔法の言葉「ありがとう」を活用しちゃいましょう!スマイル(笑顔)も無料ですね。ありがとう!とスマイル(笑顔)は多用しても罰があたることはありません。
では、本題に戻します。神仏に何かをお願いするときに、お賽銭はしますか。
お賽銭の金額で高いから願いが叶う?とか、お賽銭の金額が低いから願いが叶わない?ということではないですよね。
けれども、神仏にお気持ちをお賽銭したら、お賽銭をしないで何かをお願いするよりかは御返しをいただける可能性は高まるかもです。もちろん、打算的な考えは神仏に通用しないとは思いますが、一般論として恩返しの真理(理屈)ですかね。
たとえば、誰かにプレゼントを渡して、御返しがあるときと御返しがないときがあるじゃないですか。それって、ご神仏に対しても有効な気がします。ご神仏も人間と同じ?!でこちらが助けてくれるような人間になることが大事なのかもしれません。生きざまですかねー。
さて、話が飛びましたが、本の価値の話に戻します。社会人になったとき、当時のトップに「学びを続けなさい」という言葉をいただきました。
わたしにとって、「学びを続けるということ」は仕事をする上での重要なテーマになっています。なぜなら、時代は動いています。守るとは、現状維持することではないと思います。時代の要請に敏感に柔軟に、走りながら勇気を持って最善最良を考えて変えて行くというのが本来の「守る」ということではないでしょうか。
ルーティンも大切ですが、アップデートも同じく大事です。身銭を切って学びをアップデートする。無料よりも意識が違うから学びの深さと恩恵を享受できるかも。そんなふうに、わたしは考えております。
皆さんは、どう思われますか。よかったら、お気軽にコメントをお願いいたします。感想なども大歓迎です。
ご縁はつなげるものでなく、自然とつながるもの。このご縁に、心より感謝しております。ありがとうございます。
そして、わたしの好きな言葉
終わりは始まり
学びのゴールは、ゴールではなく
新しい学びのスタート
最後までお読みいただきありがとうございます🙏
いつもありがとうございますの方も、はじめての方も、ご自愛くださいませ。