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理性的な選択する事にかかる脳みそのエネルギーによって、人間はいとも容易く疲れてしまうって話。
疲れた一日だったなぁ。
卒業論文の提出日が迫っているので、原稿の添削作業が増えてくる。ちょっと緊急の案件が飛び込んできて、仕事に割り込んでくる。やることが増える。
でも、時間は限られている。
何かをやめなきゃ時間は作れないが、全てやらねばならぬ事なので、「必要なんだけど今は後回しにすること」を決めなければならない。
経済学では、その100円を何に使うか?と考えた時、数ある選択肢の中から現状の満足度からその100円をさらに「追加で使った時の満足度の増加分」(「限界効用」という字面だけ見ても何のことやら全く分からない謎の名前がついている)が最も高くなる選択肢を選ぶと教えるが、
その選択に必要な脳みそのエネルギーは一切考慮しない。
でも、この「何を買うか」はつまり「全て必要だと思ってる選択肢の中で何を買わないか」を決める事であり、有限な資源(お金・時間など)を有効に使うとはそういうことだ。
そして、その選択はとても疲れる。一見すると、多様な選択肢から選べる事はいいことのように見えるが、選択肢が多けりゃいいってわけじゃない。その分最適解を選び出すのに必要な知的エネルギーの消費によって、脳みそはすぐに疲れてしまう。
そして、選択の結果やらなかった事はいつかやらなきゃいけないわけで、今日やらずに残したことをいつかやらなきゃと思って心にしこりが残る。育児が無ければできたのに…なんて思ったりすることもある(実際無かったら多分それはそれでやってないかもしれないけどね)。
理性は万能じゃないし、有限な資源をやりくりするのは実際に行動する事の前に、何をやり何をやらないかの選択の時点で理性を発揮するためのエネルギーが消費される。
理性的に生きるのは大変な事業だ。もしかすると、楽しいことをしよう!とか、好きなことで生きる!とか、生き方において感情や本能的な部分を強調する言説が増えているように見えるのは、選択肢がどんどん増える世の中で理性の発揮に疲れた人たちが増えていることの現れなのかもしれない。
まぁなんだかんだで結局は、「俺頑張ってる。えらい。俺最高。史上稀に見る理性的な人間だ」ってこと。ふはははははは。
はぁ。疲れた。noteを書くのはやめなかった。
んじゃね!
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